大江戸パープルナイト  001 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

ときは江戸時代、今でいう東京の大江戸のど真ん中よりやや東南の場所に由緒ある武家屋敷があった。
そこにむさ苦しいさむらい、阿部寛という剣の達人が弟のペ・ヨンジュと一緒に住んでいた。そして不思議なことに阿部寛の屋敷には宇宙から来た四人の客人、四天王という殺し屋が逗留していた。安部寛は宇宙人がどういうものかわからなかったし、他の惑星の住人という概念はなかった。当然、阿部寛は四天王たちの地球降臨の目的を知らなかった。
同じように彼の屋敷には華剣、雷剣という魔力を持つ妖刀があったが阿部寛はその本当のすべての使い方を知らなかった。そしてその妖刀は剣豪から剣豪への手に渡るという数奇な運命を担っていた。
このふたつの宝刀がその屋敷にあることを探り当てた、くのいち山田優はその剣をねらっていた。色仕掛けで阿部寛に近付いた山田優は自分にとっても相手にとっても危険な、くのいち忍法の奥義ディープキッスを使って妖刀華剣を盗み出す。山田優を怪しいと睨んだ阿部寛は床の間に飾られている華剣を偽物に替えておいたのだが、阿部寛とペ・ヨンジュの手違いから山田優が盗み出した剣は本物の魔力を持つ妖刀雷剣だった。


 ☆ その剣法 宇宙剣
「弟のヨンジュはいないのか、なに、桃祭りに出ているって、囲碁の勝負の続きをしようと思ったのに、それになんだって、客人の四天王も一緒に出かけたって。アヒー」
阿部寛はかわやから出て手水鉢で手を洗いながら屋敷の中にいるこの屋敷にむかしから仕えている清べえに尋ねると弟のヨンジュは四天王を連れ立って桃祭りに出かけていると返事が返って来たので、気抜けしたようにあくびをした。
「桃祭りはこの辺では一番にぎやかな祭りだからな、きっとお客人たちも目をまわしていることじゃろうな、出店もたくさん出ているんじゃからな。あの客人たちが喜びそうなものがいっぱい置いてあるだべ」
実際、客人たちである四天王たちは出店の中を歩きながら目を回すようないろいろな種類の商品を見て興味本位にいろいろな店に首を突っ込んでいる。
彼らにとっては何もかもが新鮮だったに違いない。
藩の税の取り立ての仕組みのためにこのような露天は桃祭りのときにしか開けなかった。
この祭りのあいだだけは藩の税の徴収がこの日だけは大雑把になる。
それでふだんは商売をやっていないような町人や農民たちが露天を開いているのだった。四天王たちはある露天の前で釘付けになった。
氷をかんなで削ってガラスの器の中に雪をすくい上げたように山盛りにして中に黒蜜をかけている。その甘味がうっすらと暑い初夏に涼しげな要素を与えている。
現代で言えばかき氷であろうか。
四天王たちはその露天の前をじっと動かなかった。
「お客人たち、これらを所望ニダか」
四天王たちはどこか爬虫類じみた目を細めた。
「ピー、ピー」
さっそくヨンジュはそのガラスの器に盛られたかき氷を四つ買い求めた。
「お客人たち、ここで召し上がっていてくだされニダ」
彼らはそれらを手にとると黒蜜のかかったその冷たい氷の粉を杓子ですくって口の中に入れた。
「拙者、少し、そこらをぶらぶらして来るでござるニダ」
このことはヨンジュにとってははなはだ都合が良かった。
そのために桃祭りに来ているようなものである。
藩の威光が薄れ、いろいろなことに取り締まりが緩くなるのは露天だけではない。ふだんは外に出て来ないような町娘や村娘が異性を求めてこの華やいだ場所に出て来る機会はこの桃祭りのときが一番である。
それは暴発を防ぐ圧力弁の一種でもあった。
「いるニダ、いるニダ、どこにもここ一番に着飾った娘たちが」
海上にだけ首を出している潜水艦の潜望鏡のようにヨンジュはあたりを見回した。
中でもとびきり美しい娘の瞳とヨンジュの瞳を結ぶ直線は空中で結び会った。
しかもその娘は何かを訴えかけるようにヨンジュの方に瞳の視線をからめてきた。
ヨンジュは片手を上げて合図をするとその娘の方に駆け寄って行った。
「わたくしペ・ヨンジュと申しますニダ。時々、記憶喪失になるニダ」          
「お武家様、どうかわたしを助けてくださいませ」
離れていたときは聞こえなかったが娘のそばに近寄ると赤ん坊の泣き声がきこえる。
林の中に赤ん坊が寝かされていてさかんに泣き声をあげている。
「わたしの赤ちゃんが、赤ちゃんがお漏らしをして、おしめをぬらしてしまったのですが、替えのおしめがございません、一体どうしたら」
「おお、おお、よく泣くニダ、よく泣くニダ」
ヨンジュは、娘御、おぬし嫁だったのか、と口の中でつぶやいてその言葉を飲み込んだ。
「とにかく どこかでおしめを替えなきゃだめニダ。おむつかぶれになっちゃうニダ」
またのあたりの濡れている赤ん坊を抱きかかえるとその娘をつれて市場の雑踏の
中に入って行った。
「おしめになる布は、おしめになる布は」
娘もヨンジュのあとをついて来る。
鉄製の鍋や釜、そしてその隣にはふかし釜があり、芋をふかしている。
市場の片方の並びの背後はお寺の辻塀になっている。
日よけのためか木で骨組みを作って幌を被せている露天がその隣にあり、頭に布を巻いた農家の嫁らしいのが地面に大きな布を敷いて少し疲れたような布をたくさん敷いている。
「あった、あった、娘御、あったニダ。失礼、娘御ではなかったニダ、とにかくだ。おしめになるような布がたくさん置いてあるニダ」
その途端、泣き続けていたヨンジュの腕に抱かれている赤ん坊も泣きやんだ。
「よし、これに決めたニダ、いくらニダ」
ヨンジュがおしめに変化しようというその布を買い求めようとしてふところの中から紐で結んだ一文銭の塊を取り出そうとすると
「待てえ、その布、わしらが買おうと思っていたのじゃ」
横から人相の悪い侍が口を出した。
その侍の横には四五人のやはり人相の悪い侍が控えている。
「そんなこと言ったって、この布は赤ん坊のおむつになる運命ニダ、ほらほら赤ん坊が泣いているニダ。邪魔しないニダ」
ヨンジュはその侍を無視した。
ヨンジュは腕をつかんで制止しようとしている侍の腕を払いのけてそのもえぎ色の布をとろうとすると背後に金属の冷たい気配を感じた。
ヨンジュが背を丸めてその楕円軌道を描く刀の切っ先が半回転する前に腰に差していた刀を抜かずに小づかで背後にいた男の顎の真下あたりを強打するとその浪人はもんどりうって背後に大の字に伸びた。
刀を抜くよりもその方が効果的なのである。と言うよりも刀を抜く時間がなかったと言った方がよいかも知れない。
「きっさま、命はないと知れ              
「お前たち、何でヨン様を襲うニダ。ヨン様は身に覚えがないニダ」
ヨンジュにはまったく身に覚えのないことだった。
しかし、この乱暴狼藉を働く侍たちは刀の鞘を払って、抜き身の真剣を頭上に振りかざしている。
「正当防衛ニダ、ヨン様も真剣で太刀打するニダ。しかしニダ、ヨン様をなぜ襲うかしゃべるなら命までは奪わないニダ」
「それはこっちのセリフだ」
一人は気絶して倒れていたがのこりの三人はじりじりとヨン様に近付いてくる。ヨン様は左の方にゆっくりと動いた。
そしてその剣のさきには雑炊を煮ている鉄鍋があった。ヨンジュは剣の先でその鉄鍋の取っ手を引っかけると煮えたぎった中身を暴漢に浴びせた。彼らは顔を覆った。
「あっちちちちちち」
侍たちがひるんだすきにヨン様は水平に刀のみねで相手の急所を打った。返す刀でもう一人も倒した。残った一人が大上段に振りかぶってくるのをまわりにまるで透明な鉄の鎧で覆われてもいるように空振りさせるとその男の背後にまわり後ろの首筋のあたりに当て身を加えると最後のひとりはあっけなく崩れ落ちた。
それはたった十五秒のあいだにおこなわれた。
「へん、口ほどにもない奴らニダ。赤ちゃんのおしめを取り替えるニダ。ぶつぶつ」
赤ん坊はふたたび泣き始めた。
ヨン様は軽く鼻歌を歌い始めた。
「さあ、赤ちゃんをここに寝かせるニダ。おしめを取り替えるニダ」
「フツフツ」
確かにフツフツという声が聞こえたのである。
ヨン様がガールハントした若い女は無言で指をさした。
するとその指し示した指の方には容貌魁偉な侍がヨン様の方を向いている。
「まだヨン様に何か用あるニダ」
「フツフツ、お前の命を頂く」
「何で、と聞いてもきっと教えてくれないニダ。さっきは余裕があったから命まで奪わずに済んだニダ。でも余裕がないと死んでもらうことになるかも知れないニダ。それでもいいニダか」
「フツフツ、誰がお前と剣で勝負をしようと言った。俺の背中に担いでいるのが何だかわかるか」
男はそう言うと背中に背負っているまるで死んだ水子のようなものを肩から下ろすとヨンジュの方に向けた。
大きな金属製の筒が主になっていてその先に十本くらいの金属製の筒がついていてその先についている筒は一つの円周状に並べられてあり、その円周に沿って回転出来るようになっている。
どうやら西洋から渡来した飛び道具のようだった。
「これはなガトリング砲と言って瞬きするあいだに十もの鉄砲玉が飛び出す仕組みなのだ。さあ、ヨンジュ、お前の身体は蜂の巣になっちまうぜ。くっくっくつ」
「卑怯ニダ、卑怯ニダ。お前は卑怯ニダ。少なくとも侍の魂があるなら正々堂々と剣で勝負するニダ」
「卑怯もへったくれもあるか」
「いやだもん」
ヨンジュは鉄鍋で顔を隠しながら、この暴漢の方を盗み見ている。
「あっ、あれは」
この血なまぐさい騒動のために市場にいた群衆は遠巻きにこの死闘を見物していた。
その中から人の波を押し分けてガラスの容器をかかえて四人の子供が前の方に出て来た。
四人の子供という言い方はおかしい。
その中の一人は顔中を毛だらけにしたけだものだったからである。
「客人」
ペ・ヨンジュは絶句した。
四天王たちはやたらに興奮し、かつ憤慨しているようだった。顔を真っ赤にしているからそう解釈するほかない。
何かわけのわからない言葉を発した。
市場の群衆たち、暴漢、そしてヨンジュまでがその突然の訪問者たちをじっと見つめた。
すると彼らは何かを期待されていると誤解したのか両手を合わせてさかんに振った。
そしてそこには見る側と見られる側のあいだの越えられない誤解の壁による沈黙が重々しく流れた。
静寂の世界が広がった。
その均衡が突然に破られた。
この中の一人が腰にさしている剣を突然に抜いたのである。
すると他の三人たちも剣を頭上に捧げた。
そして四人たちは誰がリードをとるでもなく踊りを踊り始めた。
それを遠巻きにしている群衆は誰でもなく歌を歌い始めた
  ひとり、ふたり、三人のインディアン
  四人、五人、六人のインディアン
  ・・・・・・
十人のインディアンボーイ
彼らはインディアンの歌を歌い始めた。
すると天上は一天にわかにかき曇り、巨大な何者かがやはり巨大な杖を使ってかき混ぜているように、暗雲が水槽の中に水をためて急に栓を抜いたときのように巨大な円錐型の底を見せた。
「何をしやがるんでぇ」
ガトリング砲を持った暗殺者はいらだちと半ば恐怖の感情にとらえられ、その速射砲を四人の居候の方に向けた。
四天王たちは剣を暗雲に向けた。すると巨大な光に包まれ爆発音がきこえた。
天と地上をつなぐ幾本もの光とエネルギーの矢が降ってきた。
暴漢も大鉄筒を落としている。
寺の築地の上から顔を出している松の枝がめらめらと燃え、築地が五メートルの長さに渡って崩れ落ちている。
その爆発によって倒れた市場の商人が十四五人気絶して大の字になっている。
「ピーピー」
四天王たちは何かが不満のようだった。
今はもうその恐怖によって身動きもせず暗殺者は地面の上に倒れている。
ふたたび四天王たちは暗雲の渦巻きの中心に向かって剣を捧げるとその渦巻きの中から毛むくじゃらな豚鼻のわけのわからない巨大なけだものが自分の身体のまわりにいかづちをしたがえながら降りてくると暗殺者の首を食いちぎり空中に投げ上げた。
ペ・ヨンジュはあまりのことに言葉も出なかった。
「今の術は、なんニダ、なんニダ」
としっこく聞くと居候たちは
「宇宙剣」と
ぶすっと答えた。
その様子を少し離れた大木の高いところから白い太股もあらわに見物しているくのいちがいた。
「ふん、ばかめらが」
女は吐き捨てるように言った。
くのいち、山田優であった。
  ☆くのいち忍法 ディープキス
鬱蒼とした森の高い枝の木の葉のあいだを抜ける木漏れ日とともにどことなく悲しい野生の猿の鳴き声が時々もれてくる。
森に囲まれた秘密の場所があった。
ここで生まれ育ち、木から木へと飛び移る猿と同じ子供時代を過ごしたくのいちしかこの秘密の場所は知らない。
忍者屋敷の裏手からつま先上がりの茂った木々の葉に隠された小道を上がって行くとそこだけは森の天井が抜けて蒼天がのぞき見ることが出来る。
自然の摂理で大きな岩がいくつも置かれ、岩に囲まれた一角に小さな小さな湖が液体をたたえていた。
その液体の表面からは湯煙が上がっている。
ここは忍者しか知らない温泉であった。
その温泉につながっている細い坂道をふたりの女が浴衣を着て上がって行く。
ふたりは木製の桶を持ち、その中には綿の手ぬぐいが入っていた。
ふたりは素足に下駄をひっかけて、その足の指先はほんのりとピンク色になっている。
「姉じゃ、そこそこ、そこの枝からこのまえ蛇が出て来たのよ。今日も出てくるかも知れないから、気をつけてね。ほら、出た」
「いやん、優、お前は何て意地悪なの」
「はるか姉さん、くのいちが蛇ぐらい怖がって、どうするのよ」
くのいち山田優は片手に持った小枝を振り回しながら、前を歩いているくのいち井川遙を笑った。
ふたりはくのいちである。
山田優はナンバー十一、井川遙はナンバー七。
したがって井川遙の方が若干年上であった。
ふたりは軽口をききながら小枝を払い、木の葉が途絶え、満々とたたえたお湯が見える場所に立つと自分たちの持って来た桶を緑がかった灰色に輝く大岩の上に置いた。
お湯がかからないあいだはこの岩は灰色をしているが深い地の底に沈む自然からの贈り物で濡れたとき、何とも言えない緑色に変化をする。
大岩の上に立つふたりは下駄を脱ぎ、素足で岩の感触を感じていた。
井川遙のふくらはぎのあたりは見えていたがやがて見えなくなった。
彼女は着ていた浴衣をするすると脱ぐとくろぶしのあたりに浴衣が固まった。
くのいち山田優は腰をおろしたまま、くのいち井川遙のフランス梨を思わせる裸体の背後の映像をじっと見つめた。
くのいち井川遙は浴衣を着たままじっと自分の裸体を見つめている山田優に顔を赤らめた。
「優ちゃん、何を見ているのよ。自分は浴衣を脱がないで」
「やっぱり、見事なものね。大名の美人局を得意な技にしているだけのことはあるわ」
「やだわ、優ちゃん。あなただって似たようなものじゃないの。こんな格好をしているのをお猿さんに見られても仕方ないわね」
くのいちナンバー七は手ぬぐいで前の方を隠しながらゆるゆるとお湯の中にその見事な裸身を浸すと濡れた手ぬぐいであげた髪の生え際のあたりを拭うった。すると耳たぼのあたりがうっすらと桜貝のように染まった。
くのいち山田優はその様子をじっと見ている。
「優ちゃん、あなたも早く入りなさいよ。わたしだけ先に帰っちゃうわよ」
くのいち井川はやはり手ぬぐいで首のあたりを拭いながら首だけ振り返り、くのいちナンバー十一の方を見た。
山田優は忍者の早技を使い、浴衣を脱ぐと同時にお湯の中に入った。
「いいお湯」
優は遙の方に近付きながら言った。
お湯は思ったよりも透明でふたりの裸身が透けて見えている。
「姉じゃの乳首って思ったより大きいのね。つまんでみたいくらい」
「優ちゃん、実は自分でももてあましているの。えっ、なに、何、冗談言っているのよ。優ちゃん。それより、あなた大変な宝物を盗んで来たって本当なの」
「ああ、そのことね」
ナンバー十一は透明なお湯をかき混ぜながらつまらなそうに答えた。
「阿部屋敷に入ったそうじゃない。阿部屋敷と言ったら、阿部寛といい、その弟のペ・ヨンジュといい、大変な剣の使い手、気をつけてよ。命あっての物だねだわ」
「あははははは、キスマークいりの置き手紙も置いて来たわよ。また来てねって。そのときはメイクラブしましょうって。だって阿部寛の奴、布団まで敷いていて泊まって行けとまで言って、わたしを誘ったのよ」
「何、言っているのよ」
「遙ねえさん、心配しないで、こっちには雷剣があるわ。雷剣をうち破るものはいない」
「雷剣って」
「最初、華剣を盗むつもりだった。そもそも雷剣なんてものがあることは知らなかったんだもの。でも、間違えてかえって良かったわ。雷剣って大変な代物よ。雷、電撃を起こすことが出来る。天から地上のものはみな一瞬のうちに破壊しつくすのよ」
「優ちゃん、あまり、あぶないことばかり、続けないでね」
「もし、雷剣に対抗出来るものがあるとすれば、あのわけのわからない四人の生き物だけだわ」
「四人の生き物って」
「何でもない、こっちの話しよ」
くのいち山田優はあの市場での恐ろしい場面を思い出していた。
もし、あの四人を敵にまわしたら、もっとも恐ろしい敵になるに違いない。
「優ちゃん、何を考えているの」
井川遙は山田優がもっと女らしいことを考えているのではないかと思っているらしかったが、実際はあの恐ろしい四人組の剣法のことで頭がいっぱいだったのだ。
「優ちゃん、前から心配していたんだけど」
「何よ」
「もう、くのいち忍法ディープキスを使うのはよした方がいいんじゃないかしら。たしかに忍法ディープキスは最強の忍法だわ。でも、成功と破滅との表裏一体の忍法だということはあなたも知っているわね。あなたが自分を投げ出してその忍法をつかうとき、あなたは相手に技をかけると同時にかけられる運命にもあることを知っている。つまりあなたがくのいち忍法ディープキスをかけるとき、その相手が運命の人だったら、あなたはその人と恋いに落ちるの。そしてあなたは身も心もその人の恋の奴隷になってしまうんだわ」
くのいち井川遙が潤んだ目をしてくのいち山田優に訴えかけると
優は温泉のお湯をばしゃばしゃさせて笑い転げた。
「運命の人、運命の人ですって、あの唐変木のしやくり顎が。遙ねえさん、もう九百九十九回もくのいち忍法デイープキスを使っているのよ、一度だってわたし、その術は破れたことはない。あの芋野郎で千回目だわ。わたしがあんな奴の術中に陥るなんてあり得ない、あり得ない、よしてよ。くっくっくっくっ」
くのいち山田優は忍法ディープキスが決して破れないという自信があった。つまり、運命の人に出会わないだろうし、恋いにも落ちないだろうと思った。強い自信があった。
ましてやあんなあごひげ伸び放題の男にである。
だいたいわたしのようないい女が最初に会ったその日に自分の家に泊まって行けというような無神経でずうずうしい男と恋いに落ちるなんて考えようがない。
「遙ねえさん、これからも必殺技忍法ディープキスを使って金目のものを盗みまくるつもりよ。そして大金持ちになってルソン島に移り住むの、大きな屋敷に住んで女王様のような生活をするつもり」
くのいち井川遙は優から何度この話しを聞いたことだろうか。
金目のものを盗むのはくのいち十一号自身の目的があるということはわかる。
しかしだ、しかし、忍法ディープキスを使うのは危険すぎる。
七号は十一号に危ういものを感じた。
そう思って遙は湯に浸かって上気している優のほっぺたにある変化が生じているのを発見した。
「優ちゃん、ほっぺた、ほっぺた」
「なに」
「ほっぺたにピンク色のハートのマークが浮かび上がっている」
「えっ、なに、なに」
優はお湯に映った自分の顔を見た。
たしかにほっぺたに小さなピンク色のハートのマークが浮かび上がっている。
「あいつのせいだわ。あいつのせいだわ」
「あいつって誰」
「あの唐変木よ」
「千人目のあいつよ」
山田優の頭の中にはあのいまいしい雷剣の持ち主、阿部寛の顔が憎々しげに浮かんできた。
くのいち忍法ディープキスは無敵の忍法である。
そのわざをかけられたら最後、相手の男は気絶するしかない。
しかし、阿部寛は一度だけ顔を離して優のほっぺたにキスをしたのである。
「あいつに変な病原菌うつされた。もう、ただじゃすませないわ」
優はお湯の中で立ち上がると両腕を振り回してお湯をばしゃばしゃと叩き出した。
お湯しぶきがばしゃばしゃとあがる。
「やめて、やめて、優ちゃん、わたしが忍法博士マイケル・ジャクソンにそのこと聞いてあげるから」
くのいち屋敷に戻ってから山田優はすぐ寝てしまった。
くのいち屋敷の中には忍者のことを何でも調べている忍法博士マイケル・ジャクソンも住んでいた。
くのいち屋敷は大きな農家にも見えるし、匠の工房のようにも見える。
しかし、その中にはいろいろな仕掛けが施されていて、変なところを歩くと足に輪をつながれて逆さ吊りになったり、変な滑り台に乗っている自分を発見して屋敷の外に放り出されてしまったりする。
しかし、くのいち井川遙は屋敷の中を熟知していたからそんなことはなかった。
変な掛け軸の裏の隠し扉を開けて階段を上がって行くととても実際には使えないくらい大きな火縄銃やその逆に小さな火縄銃、かんじきのようなかたちをしていて水面の上を歩いて行ける道具、水の中に何時間でも潜っていられる道具、おぼろ影という忍術に使う道具、
そんなものが天井からたくさんつり下げられている。
その中でかび臭い和綴じの本の中で忍法博士マイケルくんは何か調べ物をしていた。
「マイケルくん、相変わらず熱心ね」
「なんだ。遙さん。お久しぶりです。ここ二三日お会いしませんでしたね」
「これなに」
「あっあっ、やめて下さい。遙さん、その紐を引っ張るとこの部屋全部が空中に飛んで行きます。緊急脱出装置です」
「あら、危ない」
くのいち遙は持っていた紐を離した。
「遙さん、最近、役小角が実は忍者だったということを発見しました。もっとも古い忍者かも知れません」
くのいち遙は役小角と言われても何のことかさっぱりわからなかった。それよりも緊急を要する問題がある。
「くのいち忍法ディープキスのことですが」
「遙さん、くのいち忍法ディープキスを使っているのですか、やめなさい、やめなさい。
あれは大変危険な忍法です。仕掛けた相手に身も心も奪われてしまう可能性のある忍法だからです」
「わたしじゃありません。ナンバー十一の優のことです」
「えっ、えっ、彼女、忍法ディープキスを使っているって」
忍法博士マイケルくんは頭をかきむしった。
「やめさせなさい。やめさせなさい。あれは大変危険な忍法です」
「それで忍術のことなら何でも知っている忍法博士マイケルくんに教えてもらいたいことがあるんです」
「十一号の山田優のことですか。早く話してください」
「優は最近、おかしいんです。この前、お腹が空いたのでウサギの肉をとろうとして手裏剣を取りだしたのはいいんですが、つがいのうさぎだったら、手裏剣を投げられなくなっちゃったんです。それにこの前なんか、木から木に飛び移る術は天下一品だったのに手を滑らして地面に落ちて尻餅をついちゃうし」
「それから、それから」
「さっきお湯に入っていたとき発見したんですけど、ほっぺたに小さなピンク色をしたハートのマークが」
「えっ、えっ」
忍法博士マイケルくんはまた頭をかきむしった。
「大変です。大変です」
「本人はくのいち忍法ディープキスを仕掛けた千人目の相手がほっぺたにキスされたときに変な病原菌をうつされたと言っています」
「そんなことはない、そんなことはない。大変です。大変です。優は大変なことになっています」
「大変なことって」
「優は破れました。くのいち忍法ディープキスは破れてしまったのです。優はその千人目の男に身も心も奴隷になるしかありません。ああ、大変だ。大変だ」
「ええ、本当ですか」
くのいち遙は忍法博士マイケルくんの首をしめると激しく揺さぶった。
「やめて下さい、苦しい、わたしを誰だと思っているんですか。忍法博士マイケルくんですよ」
そう言われて冷静になった井川遙はマイケルくんの首から手を離した。
「助ける方法はありません。そのほっぺたに出来たハートのマークはくのいち山田優がその千人目の男に逆ディープキスのわざを返された証拠なのです。ああ、山田優はくのいち失格だ」
「ちょっと黙ってくださらない。このことは誰にも言わないでください。とくに十一号の山田優には」
   ☆子犬のワルツ
すっかりと期待を裏切られて落胆の色がその背中にあらわれているくのいち井川遙が忍法博士マイケルくんの部屋を出て行こうとすると、急に思いついたようにマイケルくんは古びた机の上でにっと白い歯を輝かせて遙を呼びとめた。
「ちょっと待ってください。あの方なら、あの方なら、山田優のほっぺたのマークを消せることが出来るかも知れない」
「えっ」
呼びとめられたくのいち遙は座り机の前で正座して熱い視線を自分の方に向けている忍法博士マイケルくんの顔をまじまじと見つめた。
「あの方って」
「古今を虚しくする恋愛忍法の大家、武田鉄也導師です。今は市井の人となり、城下のどこかに住んでいるはずです。武田鉄也導師の恋愛忍法の精華に較べたら僕の忍法の研究などは児戯に過ぎません。そもそも忍法はすべて恋愛忍法をそのもとにしています。遠く平安京のむかしから恋愛忍法は脈々と続いているのです。われわれのやっている忍術、いや、くのいちの技などはみな恋愛忍法の一部に過ぎません。武田鉄也導師はそのすべての恋愛忍法に精通しています。恋愛忍法の世界は武田鉄也導師にとって自分の住んでいる小さな町に過ぎません。そして導師は町内会でその町のすみずみまで熟知している古株なのです。導師の年齢はすでに千才を越えているといわれています。これは導師の若い頃の話しなのですが遠く中国に渡ったことがあります。そこで貧乏な一族に会いました。一晩の食事と寝床のお礼に何かお礼をしたいと言ったとき、彼らは皇帝のきさきをわが一族から出したら、わが一族の繁栄は約束されるだろうにといいました。すると武田導師は小屋に飼われた一匹のうさぎをつかまえると恋愛忍法をかけました。すると、そこに絶世の美女が生まれ、お風呂に入りたいというのでお風呂につかわせると、その肌をつたう汗は白い花びらとなりました。その一族が栄華を極めたのは言うまでもありません」
「恋愛忍法なんて、いわれたって。でも、魔法みたいなものなんですね。でもそれを使えば優ちゃんのほっぺたのマークもきれいに消えるんですね。忍法博士さん」
くのいちはるかはその名前を口の中で繰り返してみた。
「導師なら逆ディープキス返しの技を解くことが出来るでしょう。しかし、そのための料金が必要となります。それはけして安くはありません」
「マイケル博士、ありがとう、ためしてみますわ」
くのいち井川遙の顔は急にバラ色に輝いた。
井川遙はマイケル博士に礼を言うとその部屋を出た。
翌朝、くのいち屋敷の雨戸を開けると前庭に植わっている竹林のあいだから上がってくる日が笹の葉にぶら下がっている水玉をきらきらと輝かした。
「いいお日より」
山田優の部屋に入って行くと壁の横についている寝床の中でふとももでかけぶとんをはさみながら、すやすやと寝息をかいている。くのいち優のふとももはあらわになっていた。くのいち屋敷の寝床は壁の横についていて、もし敵が襲ってきたときは壁についている秘密の戸を使って他の部屋に逃れることが出来るのだ。
そのために変な位置に寝床がついている。
山田優は目を閉じ、唇を少し開け、寝息をたてながら掛け布団をくしゃくしゃにして抱きしめている、天上での世界を夢見ているようだった。
「優ちゃん、起きなさいよ、起きなさいよ」
くのいち遙が寝ている山田優の肩を揺さぶると眠い目をこすりながら十一号は上半身を起こした。
くのいち山田優はふとももの半分のところまでしかない薄すみれ色のネグリジェを来ていたが、くのいちらしくない格好である。
「こんな姿で敵に襲われたら、どうするんですか」
山田優の太ももは半分以上あらわになっていて胸もそのための下着がないためにその束縛される不自由から解放されてその頂点を向く角度が九十度以上になっていた。
「鳴子を仕掛けてあるから大丈夫よ」
くのいち屋敷のまわりはてぐすが張られ、侵入者が来るとそれを知らせるようになっているし、庭にはいくつも落とし穴が掘ってある。
「優ちゃん、いいお知らせよ。これから城下に行くのよ。さあ、はやく服を着てちょうだい。あなた、気にしていたじゃないの、その変なほっぺたについているピンク色のハートのマークについて、いいお医者さんが見つかったのよ。忍法博士マイケルくんの紹介よ」
くのいち優は上半身を起こし、ネグリジェを脱ぎ捨てると、小麦色の肌の上に下着をつけた。
「マイケルくんの紹介じゃ、やぶ医者じゃないの」
くのいちはるかはその人物が恋愛忍術仙人だということは隠しておいた。
そして、ほっぺたに出来たしるしが忍法ディープキスが逆に阿部寛に返された結果だということも。
さらに、その逆デイープキスの技を仕掛けられたということも、阿部寛が山田優の運命の人かも知れないということも。
もし、そのことを山田優に言ったら、彼女は大騒ぎをして取り乱すに違いない。
それどころかむやみやたらに暴れ出すかも知れない。とにかく優にとって、あの男は唐変木のあごひげむしゃむしゃの男に過ぎないからだ。
ふたりはくのいち屋敷を取り囲んでいる森の中を、木の高枝から高枝へと飛び移っていた。
森の茂みが途切れるところにほとんど人が来ない寺があって、ふたりはそこの仏像の裏の隠し戸棚に忍者の衣装を隠し、町娘の姿に着替えた。
仲の良さそうな町娘がそこに現れた。
ふたりは田んぼの横の用水路につながれている小舟を盗んで、もやいを解くと小舟はまだ背の低い稲が水の上からちょこんと顔を出しているいくつもの田んぼを横に見ながら春の日の下をなめらかに下流に下って行く。
やがて小舟は江戸の町に入った。
ふたりは橋の下の人の目につかない場所にたくみに櫓をつかい岸に寄せると小舟を半ば朽ちた川面から飛び出ている杭につないで岸に飛び移った。
「江戸の町なんて久しぶりね、姉じゃ」
「せっかく来たんだから、何か、おいしいものを食べなきゃ」
ふたりの意見は一致したが財布の中に一銭もあるわけではなかった。
しかし、くのいちにとって財布の中が空っほ゜などということはなんのその行動の障壁ともならない。
「すっごく有名なおそばやさんがあるって言う話しじゃない」
「知ってる、くのいちナンバー3の裕子が言っていたわ」
くのいち屋敷には多数のくのいち達が住んでいた。どれもおとらずの手練れである。
夜な夜なむじなが出没するといわれている佐賀藩の下屋敷を三丁ほど下ったところに江戸でも評判のそばや玉露庵があった。
ふたりはその玉露庵に行くことにした。
最初ふたりはそこが小さな町家を改造したぐらいの店だと思っていたが、ちょっとした旅籠ぐらいの大きさがあり、何人もの女が働いていて、客もたてこんでおり、客たちのおしゃべりや蕎麦をすする音が華やかな雑音としてふたりの耳に入ってきた。ふたりが玉露庵と障子紙におお書きされた引き戸を開けると、月夜に照らされた夜の江戸の町の透明感とはまた違う、喧噪が充満しているもやった世界がそこにあり、座っていた客が振り返りながら注文したそばがまだ来ないと店の女に苦情を言っている。客席と下半分の高さしかない壁で区切られた、縄のれん越しに見える蕎麦をゆでている場所には天井の上の方にまで湯気がたちこめている。
「優ちゃん、あそこ、あそこ」
大きな杉の木を縦に割ってその割れ口を磨いて平らにしたみたいな机が空いているのを見つけて、くのいちはるかとくのいち優はそこに座るとすぐに店の女が寄って来て
「お客さん、何になさいます」
と言ったので山田優は盛り蕎麦十枚と答えた。
「すぐにね、別にあとから連れが来るというわけではないから」
とも付け加えた。
「優ちゃん、やだわ。盛り蕎麦十枚だなんて」
「姉じゃ、食べられるわよね」
「もちろん、食べられるけど、でも、どうして、つれが来ないなんて言うの」
「くのいち八号から聞いた話よ、くのいち八号、天ぷらそばとおかめそばと合鴨のせいろを注文したら、いつまでたっても料理が運ばれて来なかったんですって、そのあいだもあとから入って来た客にはどんどんと蕎麦が運ばれてくるし、一緒の時間に店に入った客は食べ終わってそば湯まで飲んで店を出たし、とうとうしびれを切らしたくのいち八号は
わたし、ずっと前に注文したのに、ぜんぜん料理が運ばれて来ないじゃないの、一緒に店に入った人はとおの昔に店を出て行っちゃったじゃないの。わたし、怒っちゃうわよ。
そう言ったら店の女の子が
お客様、随分とたくさんお召し上がりなさいますから、てっきりお連れ様が来ると思いまして、あまり早くお出ししてもまずくなってしまうと困ると思いましたので、お連れ様が来るまでお待ち申し上げておりました。
って言ったんですって、
くのいち八号、すっかり恥ずかしくなって顔を真っ赤にしてしまったって言っていたわ。
わたし達のところでも、いつまで経っても蕎麦が運ばれて来なかったら、困るじゃないの、
だから前もって言っておいたというわけ。
でも、わたし、そばって好きだわ、するするすとお腹の中に入って行くし、あののどごしがなんとも言えないのよね」
くのいち山田優が机の上に置いてある七味唐辛子の入った木製の小瓶をお手玉をいじるように触りながら言った。
「もうそろそろ始まるんじゃないの」
濡れた髪をうしろで束ねたままにしている湯上がりの女が前に座っている瓦版や風の男に話しかけると、その男は店の真ん中の柱の中くらいぐらいの高さのところに視線を移したので、それに興味をひかれてふたりのくのいちたちもその視線のさきの方を見た。
そこには変なものが飾られている。
何のまじないだろう。
それとも何か宗教的な意味合いがあるのだろうか。
店の中央に大きな柱が一本立っているのだがその柱の真ん中ぐらいの高さのところに仏壇や神棚を飾るための台みたいなものが拵えてある。
しかし、面妖なことにそこには民間宗教の信仰の対象にもなりえないものが飾られているのだった。
台上にはちょっとした木の台が置かれていて、その木の台自体には何の意味もなく、その飾られているものを固定するという意味合いしかないようだったが、その木の台の上に珍奇でかつ凡庸なものが飾られていた。
不思議そうな顔をしてそれを見ているふたりのくのいちに、首に手ぬぐいを巻いた大工らしい若者が話しかけてきた。
「お姉さんがた、江戸っこじゃないね、よそ者だね、どこから来たんだい」
と下心、見え見えで、色っぽい、ふたりのくのいちを見た。
目の玉がくるくると球面運動をしている。
「ふん、わたしたち、生粋の江戸っこよ。墨田川で産湯をつかったんだから」
「姉さん方、嘘、おっしゃい。これを知らないなんて、江戸っこは、みんな、これをはじめているよ、もう、そろそろ始まるんじゃないかな」
その木製の箱の上にはお茶碗が横向きに置いてある。
木製の箱があるのは茶碗が転げないようにするためだけだというのは明らかだった。
ふたりのくのいちは何が始まるのか、わからなかったが口は開かなかった。
すると、突然、音楽が流れ始めたのである。
それも何の変哲もない御飯茶碗からである。
店の中にいる江戸っ子たちはみんな聞き耳をたてた。
「さあ、エブリバディ、グットイブニング、ニダニダ、お江戸の夜に夢の一夜をお届けするヨン様ですニダ。お江戸のみんな、今夜はどんな夜を過ごしているかな。
神田明神の富くじは明日、発売だよ。みんなに幸運があるように。ニダニダ。
深川の植木職人の三助さんから、味噌屋の小梅ちゃに伝言だよ
小梅ちゃん、好きです、結婚してください。おいらは一度会ったときから小梅ちゃんのことが好きになりました。
さあ、熱い三助さんからの告白ですニダ。
今夜も素敵な夜を
キューウーーー
 ヨンさまの江戸紫の夜、始まるよ。
これから丑三つ時まで、みんなつき合ってくれよニダニダ」
それから、電気三味線の音が入り、
その音楽に合わせて、蕎麦屋にいる若者は身体を揺らしている。
「なに、これ」
「江戸の町は一体、どうなっているの」
この面妖な事態に、起こっている事象自体が面妖だというのではない。
確かに、この声は聞き覚えがある、それどころか、その声の主を山田優も井川遙も知っているのだ。
「阿部寛の弟、ペ・ヨンジュ」
ふたりのくのいちは期せずして声を合わせた。
そして、驚愕となかばあきれた感情を持って顔を合わせた。
ふたりの瞳の中にはお互いの驚いた顔が映っている。
何の変哲もないお茶碗の中から、ペ・ヨンジュの声が聞こえてくる。
「アンニョン・ハセミダ、葉書職人くりくり坊主からのお葉書ニダ
幼稚園児がお母さんといつも一緒にふとんに入って寝ることにしていたニダ。
ねえ、ママ、僕の願いを何でもきいてくれるニダか、
ええ、かわいい、かわいい、わたしの息子、子ヨンジュ、何でもいいわよ。
あなたの願いは何でもいいわよ、かなえてあげる。そのかわり、わたしのことチェ・ジュウ・ママと呼んで」
「いいよ、ママじゃなかった。チェ・ジュウ・ママ。恥ずかしくて言えないんだけどニダ。
僕のお手手、さっき外に行ったから冷たくなっているニダ。
暖めて、暖めてニダニダ」
「いいわよ、子ヨンジュ。暖めてあげる」
「ママのおへその穴に指、入れていいニダ。指が冷たいだもんニダ」
「いいわよ、子ヨンジュ」
しばらくすると子ヨンジュは変な感覚を覚えた。
チェ・ジュウ・ママも変な感覚を覚えた。
「やめて、子ヨンジュ、そこはおへその穴じゃないのよ、ああん、それに。子ヨンジュの指、大きくなっているじゃない」
「へへへへへ、僕が入れたのは指ジャナイニダニダニダ」
ばんとテーブルを叩く大きな音が聞こえた。
「下ネタじゃないの、下ねたじゃないの」
「確かに下ねたね」
「あいつの弟がやりそうなことだわ」
くのいち山田優は歯をぎりぎりとならした。
そして立ち上がり、あたりを見回したが息巻いたまままた座った。
「優ちゃん、落ち着いて」
「何よ、これ。江戸の町は一体どうなっているの。下品、下品、下品だわ」
山田優の憤りはまだ収まらなかった。
「やだあ、姉じゃ、わたし、弟がこんなことをやっている兄とディープキスをしたの。
やだあ、やだあ」
くのいち山田優はさかんに地べたにつばを吐く仕草をした。
「おえおえ」
「優ちゃん、そんなに気持ち悪がらなくても」
「これが気持ち悪い以外のなんなのよ。姉じゃはあの男に会ったことがないから平気でいられるのよ。顎から出ているあごひげの気持ち悪さや、鼻の穴から出てくるあいつの息を、私、吸っちゃったんだもん、ああ、思い出してもむかむかする、あいつの体臭が残っていたらどうしよう、ああ、寒気がするわ」
「馬鹿なこと言わないで、優ちゃん、お風呂に入ったんだから、あの人の体臭なんて残っているわけないでしょう。馬鹿ね、あんた」
ペ・ヨンジュの茶碗から聞こえてくる声はまだ続いていた。
「次は向島に住むおけいちゃんから来たお手紙ニダ。今晩はヨン様、いつもヨン様の江戸紫の夜、楽しみにしています。わたしは十三才です。近所のおばさんの家に行って裁縫を同じくらいの年の女の子と一緒に習っています。そこでもいつもの話題はヨン様の江戸紫の夜のことです。みんなヨン様のファンですよ。うれしいニダ。うれしいニダ。みんなで浴衣を縫っているところなんですが、そこでの話題はいつも彼氏のことばかりなんです。
みんな彼氏がいるみたいなんです。でもわたしには彼氏がいません。わたしは十三才なんですが、見た目はみんなよりも幼く見えますって、みんながそう言うからそんなものなのかなと思ったりします。そうかニダ、そうかニダ。みんな個人、個人で成長の速度が違うニダだから、あせる必要はないニダ。まだお手紙の続きがあるみたいニダ。さきを読むニダ。でもヨン様、最近、わたし、好きな相手が出来ました。その人は好物があるので、その人の好きななものをいつも持って行くと喜びます。でも、いつも誰かに追いかけられているらしく、わたしが行っても好きなものだけをくわえると高いところに駈け上って行きます。彼の最大の敵は魚屋です。彼の身体は毛むくじゃらです。わたしの身体は二色の毛が生えています」
「すごいニダ、すごいニダ。とうとう、ヨン様のところに猫から恋愛相談が来たニダ」
「馬鹿だねぇ、ヨン様、猫から恋愛相談が来たと言って喜んでいるよ」
さっきあんた達江戸っ子じゃねぇだろうと言った若い大工がくっくっと低い笑い声を漏らした。
「ねぇ、あんた」
「なんだい、姉さん」
くのいち山田優が顔を向けると、その若い男も優の方に顔を向けた。
「実を言うとわたし達、江戸っ子じゃないのよ。江戸がこんなことになっているなんて知らなかったわ。こんな変なことになっているなんて。茶碗の中から声が聞こえたり、ペ・ヨンジュの江戸紫の夜ってなんなの、江戸の住人がペ・ヨンジュの話しを聞いたりして、中にはペ・ヨンジュの家に文を出しているみたいじゃないの」
「そうなんだよ。不思議なんだけどな。あっしの場合はここで酒を飲んだときのことなんだ。杯の中から変な音が聞こえたんだ。小さな音だったんだけど耳を近づけてみると微かに人の声が聞こえたんだ。それがヨン様の声だったんだよ。江戸中の瀬戸物のがみんなそんなことになつたんだ。それでも瀬戸物の種類によって大きな音が聞こえたり、耳を近づけなければ聞こえなかったりといろいろなんだ。それで、あんな大きな声で聞こえるのは珍しいんだぜ。ほら、あの茶碗ぐらいにヨン様の声が流れてくるやつなんかは瀬戸物が千個くらい集まって一個ぐらいだよ」
ではペ・ヨンジュの方はつまり阿部寛の屋敷の方はどうなっているのだろう。
ペ・ヨンジュは書斎の中で机の前で話していた。ペ・ヨンジュの横には江戸の住人から届いた大量の文が置いてある。
最近はいつも決まった時間になるとペ・ヨンジュはこの作業を繰り返しているのである。
これもまた突然のことだった。
山田優に雷剣を盗まれたために阿部寛の屋敷に残された家宝は華剣のみとなった。
そのために阿部の屋敷にとって華剣の価値はさらに高まったのである。
当然、華剣を手入れする回数は増え、手間をかけるようになっていた。
たまたまペ・ヨンジュが華剣を鞘から抜き、その手入れをしていたときのことである。
台所の方から阿部寛の声が聞こえた。
「ヨンジュ、何か、言ったか」
阿部寛は台所で大根の葉っぱを刻んでいた。
「何も、言わないニダ」
また、阿部寛は台所に戻った。
そこでまた、阿部寛は微かにペ・ヨンジュが鼻歌を歌っている声が聞こえた。
「ヨンジュ、お前、鼻歌を歌っていただろう」
「そうニダ、でも、どうしてわかったニダ」
「お前の声が微かに聞こえた」
「不思議ニダ」
「今度は場所を入れ替わろう」
そうして今度はペ・ヨンジュが台所に行き、阿部寛が書斎にいると同じ現象が起こった。
「兄じゃ、これニダ、これニダ」
ペ・ヨンジュは台所にある桜の花があしらわれた小鉢を持って来た。
同じ場所にいるふたりの声はたしかにその小鉢から聞こえてくる。書斎にはペ・ヨンジュが手入れをしている華剣が置かれている。
その華剣も刀身が畳につかないようにとの、また転がらないようにとの配慮から逆さに伏せた茶碗の底の上に一部が置かれている。
「これニダ、これニダ。犯人は華剣ニダ」
ふたりは家宝の華剣の不思議な使用法を知った。華剣は花園や妖怪を呼び出すだけではなかったのであった。
華剣をお茶碗にふれさせて置くと、遠く離れた場所でお茶碗から華剣が声を拾い出し、その声を遠い場所に運ぶことがわかった。
そしてヨン様は華剣とお茶碗を紐で縛って、お茶碗に向かって話しかけると遠く離れた場所に置いてあるお茶碗からその声が聞こえてくることを確かめた。
そこでいつも決まった時間にそれを使って話したことが吉原の中にあるお茶碗からも流れて遊女もその話しを聞くことが出来ることがわかった。
そうしてヨン様がその作業を繰り返すことにより、阿部寛の屋敷にはその話しを聞いた江戸の住人から文が来るようになり、その文を読んだペ・ヨンジュがその内容を話すようになった。
それに対してまた文が来るようになったのである。
ヨン様はその作業を始める前に自分のこの作業とその作業によって流される内容も含めて、ヨン様の江戸紫の夜と名付けた。
くのいち屋敷に住んでいた山田優も井川遙も江戸の町に起こっているこの現象を知らなかった。
そして、もうひとつ知らないことがあった。
江戸の町には火竜あらため組という、一種の犯罪捜査組織が出来ていて、オランダから流れて来た高性能の武器を使った強盗や金蔵破り、忍者の集団による盗みなどを取り締まっていた。
ふたりはまだ蕎麦を半分まで食べていなかった蒸籠も蕎麦のつゆもまだ大部残っている。
蕎麦屋の中にいた客たちはそわそわしていた。
「もうそろそろ火竜あらため組が来るんじゃないかい」
この蕎麦屋の中に西洋から来た高性能の武器を持っている族や忍者がいたら大変なことになってしまう。
「みんな、そわそわしているみたいだけど」
「姉さん方、火竜あらため組が来るころなんだよ、何もなきゃいいけど、忍者なんかがいたら大変なことになっちまうぜ、ここが桶狭間の戦いみたいになっちまうからな」
あんちゃんは眼の下を赤くして言った。
「どうする、姉じゃ、江戸の町は面倒なことになっているみたいだわよ」
「そうみたいだわね、優ちゃん」