刀剣始末人   第1回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

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刀剣始末人   第1回
  世が乱れ、戦や略奪が日常茶飯の世になると、殺伐とした時代が訪れた。諸国の大名、豪族たちは武に秀でる者たちを欲した。武術の技も発展を遂げ、名だたる武芸者たちが輩出した。戦でつねに武芸者たちは必要とされたが、その過剰な供給は為政者にとっては必要のないことだった。むしろ害悪しかもたらさなかった。ここで武芸者始末人という職業が発生する。武芸者始末人は必ずしも武芸に秀でた者たちではなかった。むしろ、武芸をたしなむ者は少なかった。それなら武芸の達人をどうやって始末したのだろうか。権謀術策、寝込みを襲う、方法はどんなものでも良かった。武芸者始末人はむしろ今までこの国の主要な部分を担っている者ではないところから出て来た。新しい、埒外なやり方、権威や体裁から遠く離れたなりふりかまわない、武芸とは遠く離れた方法で技を一生をかけて磨いてきた武芸者たちを始末したのである。火薬職人、味噌職人、鍛冶屋、伴天連の通訳、炭焼き職人、薬屋等々と多様だったが、彼らが史書に残ることはなかった。彼らは大金を短期間につかむことが出来たが、すぐに身を持ち崩すのが普通だった。また、武芸者たちに返り討ちにされることも多く、その職業についてから五年のうちに足をあらわない限り、命を落とす者の方が多かった。そんな武芸者始末人のひとりに網野五郎座という男がいた。

 網野五郎座は懐中が暖かかった。ぬくくなったふところで蛸薬師を抜けて寺町通りを横切って錦天満宮のお水で口をゆすいでから、いつもの倍のお賽銭を投げ込むと小気味よく銭が賽銭箱の底に落ちてちゃりんとする音が聞こえた。
賽銭箱の横では野良猫がその音を聞いてニャ-と鳴いた。
拳大の頭をくるくると振って、そのたびにひげが上下に動いた。それから彼ら特有の娼婦を連想させる目で網野五郎座を威嚇した。
いつもだったらその猫を追い払ってしまうのだが猫が神牛の台座の下でこっちをじっと見ているのもまるで自分を同類と見ているのではないかという好意的な解釈をしてしまう。確かに彼らには彼同様の世の中からはじき出された者特有の亀裂が感じられた。
拝殿の横の方からこのあたりに住んでいるらしい男が野菜の切れ端を野良猫に差し出すと地面に落ちた途端に野良猫はそれをがつがつと食い始めた。
これから芝居を見物するか、それとも旨いものを食べるかどちらにしょうかと楽しい選択に迷っていた。
芝居の方は伊勢長三郎という役者の鮫行者天竺絵巻という演目が評判らしい。西の櫓でその芝居が上演されている。この前も刀の鍔を買った商人からその演目の汐汲みの翁が良かったという話しを聞いた。その翁は大和の人であるがまるで唐人のようであるということだった。翁が砂浜を歩いて行けば唐国にもたどり着けるようでもあったと言われた。
芝居もいいが、それともうまいものを食べようか、市にはいろいろな食材が集まり、それを料理して食わせる店があった。
とくに最近は半島の方から人が来てこの国にないような食材を運んで来た。その中には京の町で評判になり船商いで大儲けした堺商人もいるという噂だ。実際、市を歩いていてもこれをどう料理するのか想像もつかないような食材が置いてあったりする。
それを扱っている人間もときには大和の国でない人がいる。
その上途方もない値段のものもあって商人に聞くと、これは薬でもあるという返事が返って来たりするのだ。
網野五郎座は身体の疲れも感じていた。だから何か旨いものを食う方の選択をした。
網野五郎座はそのとき金持ちだった。
ひとつの請負の依頼をこなしたからだった。
仕事と言ってもそれは通常の請負ではない。
それは闇の請負である。
自分の身が危なくなることもある請負である。
それは多くの金子と同等のものである。
一つの仕事が終わると太刀数振り分の金子が入った。
  旨いものを食べようと思って市を歩くと近在の農民たちがやって来て彼らの収穫物であるまだ泥のついた蕪や青菜などを並べて商いをしていた。
背中に赤子を背負った頭にかぶり物をした近在の女がそれを買うように網野五郎座に話しかけたが五郎座はそれを無視した。疲れた身体を癒すには精力が足りない。
そしてその隣の隣のござには若狭の方から来たらしい男が魚の干物を並べていた。生きて泳いでいるときは丸々と太っていたに違いない魚はまるで脱皮を繰り返した蛇のようだった。
それがござの上で白濁してゆでた卵の白身のような目を上に向けている。
その隣に茶色の丸瓶が置かれていた。上薬がいい具合に焼けていていい色を出している。紫蘇の葉を薄くしたような色をしている。
丸瓶の後ろにはしなびた感じの中年の男が座って番をしている。
五郎座がその瓶の滑らかな紫がかった茶色の表面を眺めるとその男の死んだような目とかち合った。
 そのとき瓶の中から水の跳ねるような音が聞こえた。
五郎座はほくそ笑んだ。
その瓶の中を覗き込むと瓶の中程までにはられた水の中で五六匹のすっぽんが浮かんでいる。こっちを見ている。時々その中の数匹は何かを探すように水の中に潜ったりする。厚い皮で覆われたその亀たちは自分たちが食べられる運命にあるということも知らないようだった。
市と言ってもそこは掘っ建て小屋のような木を心棒として骨組みを作り、その上にござをかけただけの作りではない。
その通りのさきの方には道を挟んで両側に板葺きの屋根を持った住まいが並んでいる。その中で鍛冶屋や茶、味噌、うどんなども売られている。道の両側に並んだ低い屋根の向こうには立派な寺院の大きな伽藍が控えていた。またその背後には丸みを帯びた山々の稜線が空気の作用でぼんやりと見える。ここは北を小山に囲まれた盆地なのである。すぐそばにはその名残であるか、巨大な湖があった。
そして南の方にも山の名残のようなものがあり、だからこの地形は馬の蹄鉄のようなもので囲まれているといえないこともない。
背後に控える山々も田圃の中からひょこりと顔を出したようにも見える。
暑い、網野五郎座は一言つぶやくと首のあたりを自分の手で掻いてから再び瓶の中で泳いでいる面妖な亀たちを覗き込んだ。
最近、京の町ではこのすっぽんを食べることが分限者の間では流行っている。誰がこの変わった亀を最初に食べ出したのかわからないが、御所の方では秘密でかなり昔から食べられていたらしい。そして農民も田圃や川で見つけると食べていたらしい。
分限者はこれを朝鮮人参と一緒に煮込んで食べるらしい。
この亀は精力を増進させると言われている。
網野五郎座も分限者と同じものを食べられるだけの金子を持っていた。
網野五郎座にはそれを自分で買って食うべきか、それともどこかで料理されて出されたものを食うか、ふたつの選択肢があった。
とにかくこのしなびた木の根のような男に聞いて見ることにした。
「見たところ立派なすっぽんじゃないか、これは売り物だろう」
「あん、いや、もう買い手がついているんでがす」
「誰にじゃ、これを料理して出す商人がいるのか」
「いんや、三条大路に住む分限者があってな、その使いの者がまもなくやって来るじゃろう。もう売れておるんじゃ」
「売れてしまったものならこんなところに置いて置く必要もないじゃろう」
網野五郎座は目をむいた。
するとこの商人はへらへらと笑いながら瓶の縁のところを両手でつかみながらこぶしふたつぐらい前の方に身を乗り出して網野五郎座に話しかけた。
「しかし、この分限者はな、孫が死んだとかで一年のあいだは功徳を一日にひとつは施すのじゃて。お前さんは運がいいのじゃて。こうやって売れてしまったすっぽんをここに置いておくのもそんな意味があるのじゃよ」
「げせんな。どんな意味で言っているんだ」
「つまり、こういう事じゃ。ここにすっぽんを置いておき、買い求めに来た御仁を家に招待してこのすっぽんを料理して食べさせるという事を伝えてくれと言われたのじゃて。あんたがその最初の客だというわけじゃ」
網野五郎座は腑に落ちないものを感じたがすっぽんをただで食べさせてくれるならこの上もない。その分限者というものにも興味があったので使いの者が来るというまでここで待つことにした。
そのあいだにこのそばで馬を扱っている商人がいたのだが、その店の前に一匹の栗毛の馬がつながれていたのが買い手がついて手綱がほどかれどこかへつれて行かれた。
 一人の下人らしい男が向こうからやって来た。
膝小僧が丸くなっていて汚れた着物が膝小僧のすぐ上までまくりあげられている。男はこれも使い古されてぼろぼろになっている台車をひいて来た。
網野五郎座がこのすっぽんを最初に買おうとした客だということを理解した。
「どこに行くのだ」
「三条坊門小路でごぜぇますだ」
男は多くを語らなかった。
丸瓶を台車に荒縄で縛り付けると車の音をぎしぎしさせながら歩き始めたので網野五郎座もそのあとをついて行くことにした。
男はまっすぐに北の方角へ進んで行った。六角通りを過ぎ、それから三条大通りに出てからどちらの方向に曲がるかと思っていると西の方へ曲がった。右手に曲がれば、かも川の方に抜ける。
左へ抜け、松の木の並木を見ながらだいぶ歩いた。それからしばらく進むと土塀の途切れたところがあって、そこを右に曲がった。土塀のひなびた土台には雑草が生い茂っている。この土塀に囲まれた屋敷が誰の家なのか網野五郎座にはわからなかった。
土塀の上の瓦はだいぶはがれていた。瓦と瓦のあいだは隙間が出来ていて雨漏りをふせぐための藁と漆喰を混ぜたものの中からは雑草がぼうぼうと生えている。修復するゆとりもないようだった。そのさきを歩いて行くとこれは明らかに貴族の屋敷だと思える家があった。
「ここでごぜぇますだ。しかし、料理の出来るまで何もお聞きなさいますな」
男は玄関の木戸を開けながら顔だけを網野五郎座の方に向けて言葉を発した。この屋敷に人の住んでいた気配は微塵もなかった。しかし、ここが確かに公家の屋敷であることは確かであろう。下人たちの住む小屋は別に建てられ、台所は別棟になっていて廊下でつながっている。
大広間で待たされていた網野五郎座だったが、鍋のにおいがかすかににおってきた。やがて、くだんの男が土鍋のまますっぽんの煮えたのを持って来た。彼の前に土鍋が置かれ、それを取り分ける小皿も用意された。
「ここですっぽんを食っていなせぇ」
「主人はどうしたのだ」
「まもなく、お戻りになられますだ」
まだ焼け石のように燃えている土鍋の中には無惨にも切り分けられたすっぽんの肉がぐらぐらと揺れている。土鍋と肉汁が接している面からは蒸気となったあぶくが次々とういてくる。男は飯も盛って来た。網野五郎座はすっぽんの肉を箸でつまんで口の中に入れた。口の中が焼けるように熱くなったがはなはだ美味である。そのまま飯も口の中にほおばった。
滋養のあるすっぽんの肉汁もはなはだ美味である。
凝縮されたうま味が口の中にひろがる。百年の命を長らえるというこの亀の話ももっともと納得させられる。そして男は酒も盛って来た。しかしこの酒がはなはだ変わっている。見たこともないようなギャマンの透き通った器に盛られ、透明な紫色をしている。
「これは」
「南蛮から渡来した葡萄酒というものだそうじゃ」
それを口に含むとすっぱかったが口の中がさっぱりとした。ギャマンの器に盛られたそれを飲み干すと男はさらに一杯ついでもって来た。
酒の酔いもまわり網野五郎座はうつらうつらしてきた。
飯も腹一杯食べてくちくなった。この無人とも言える屋敷の滞留した空気も睡魔を誘う要因であった。さんざん食ってから五郎座は肘枕をして横になった。すると弧月に吠える虎の描かれた屏風の陰から人の気配がした。
「だいぶご機嫌のようですな」
網野五郎座は半眼を開けてその言葉をはっきりと聞いていた。
五郎座はあくまでも酔ったふりをしていただけだったのだ。
「内裏にお仕えする公達だとばかり思っていましたが、だいぶ風体が違いますな。亡くなったお子の供養のために功徳にあずかれる幸運だと思いましたが、これが幸運なのか、不幸なのか、どちらでございますかな」
「もちろん、幸運でございましょう」
「僥倖を運んでくださる方たちにしてはまた武骨一点ばりのような」
その影は三人いた。
一人は中年に近い老僧でふたりの岩のような身体つきの修行僧らしい若者を従えている。そのふたりの若い僧たちは六尺三寸、このような巨大な体躯の都人を見るのは網野五郎座は初めてだった。
「このようなおいしい料理を馳走するわれわれが悪人だとも」
「いやはや堪能させて頂きました」
立ったまま寝ころんでいた網野五郎座を見下ろしていた僧たちは腰を下ろして彼の前に座った。
「すっぽんというような珍味を用意させて頂ければ必ず貴公をつかまえられると思いました」
「よく私の性癖を調べ尽くしていらっしゃる。たしかに私は珍味には弱い。しかし、南蛮の天緑を何の目的もなく私にふるまうとは思えませんな」
網野五郎座は坊主たちを斜めに見上げながら言葉を発した。
「いかにも、あなたが武芸者始末人なればこそ」
「さて、これは面妖な。仏法に使える者が武芸者とどういう関わりがあるのでしょうか、まずあなた方から身分を明らかにして頂けることが礼儀かと、たとえすっぽんの恩義があったとしてもそれぐらいのことをして頂いても罰はあたりますまい」
「いや、もうしわけないが私どもの身分をすべて明かすことは出来ません、それは御門の治世をとやかく言うようなもの、かつてあった平安京の都を口汚くののしるものと同じことでございます。だから、ある寺のある宗門の話としてお聞きください。見たとおり私たちは仏に仕えております。これは紛れもない事実。この寺では後朱雀天皇の御代から武芸の奥義を探求してまいりました。そして唐国にも匹敵する武の術が確立していました。その技を使えばたとえ百人のもののふを相手にしてもひけをとるものではありません。その技を使い御門をお守りして来たのでございますよ。されど少し変わった事態が起こりました。ある日、わたしたちの寺にある商人の息子が入って来たのが三十年前、まだ小さな子供でしたが、父親が読み書き、数の勘定を習わせたいというので寺で預かったのでございます。寺の若い僧たちがおもしろがって武芸を教えたところ、その進歩は怖ろしく、瞬く間に私たち十傑に入るようになりました。それがその子供が数えで十一になる頃でございました。このまま行けば怖ろしいことになると思った管長はこの子供を寺からもとの家に帰すことにしました。そしてこの子供は商人として武芸とは縁遠い生活を始めたのでございます。わたしどもはこの商人の息子が武芸のことはすべて忘れたとばかり思っていました。しかし、その当時の寺でのこと、習え覚えた技などもを覚えていたに違いありません。寺の宝物の地図を奪われてしまったのです」
「宝物の地図とは」
「それを奪われたらわたしたちの誰もが太刀打ち出来ない武芸の奥義の秘密が隠されているものです。管長が隠しており、どこか遠くに移動するときは肌身離さず持ち歩いているのですが、その子供、いや、そのときから三十年も経っているのですから老年の商人になっております、管長の護衛にいつも五六人の術者を従えているにもかかわらず、その商人に皆殺しにされ、その地図も奪われてしまいました」
この坊主たちがすべて本質的なことを言っているかどうかは怪しいと網野五郎座は思った。大事なことはまだ話していないような気がした。
 「その地図とは」 
網野五郎座はその僧の背後に控えているような僧兵たちが殺されたのだからその商人は大変な使い手だということは想像出来た。 
しかし、たちまちのうちに術者を五六人をうち負かすということと矛盾しはしないだろうか。その商人の息子は武芸の奥義書を必要とするのだろうか、すでにその商人は深奥を極めたと考えた方が当然だろうから。 
その一点が疑問である。 
「宝物とは一体何でござるかな。今さら技を加える必要もないのでは」 
網野五郎座の内心の疑問に答えるように使者の坊主は苦笑いをしながら口元をゆるめた。 
「貴殿はわが宗派には縁もゆかりもない人間、武芸者の世界からも枠外のお人、実を申しますと、武道そのものよりも、わが宗派の存続にかかわるゆゆしき事態でござります。宝物とはただの一枚の紙切れでございましてな。しかるに、その紙切れを所有している者はわが宗派の代表だと世間に喧伝することが許されるのでございます。辻に立たれてわが宗派の名を唱えて民草から金子を集めることは必定、わが宗派の名を汚されるはめになりましょう。その前に商人を始末しなければなりません」
この坊主たちは武芸で名高い福王寺の者たちだった。
網野五郎座はのちほどその事実を知った。 
確かに江戸時代中期の神官須賀利義積の著した「武芸史或問」にはその商人のことがのっている。 
武芸で有名な八幡の福王寺という寺に大黒屋小助という商人の息子がいた。武芸に優れ、寺内の誰もかなわなかった。十五になる前に寺を出る。若狭の国の猟師の妻が死んだとき、武芸の技を使い、妻を蘇生する。 
とある。 
「武芸史或間」にはその記述がある。そのことを網野五郎座は独自の情報網を使って知った。福王寺の坊主たちの話によると、とにかく大黒屋小助が宗門の認可状を手に入れる前に始末してくれという話だった。 
手段はどんな方法を使ってもいいと坊主たちは断言した。 
しかし、大黒屋小助はどんな技を使うというのだろう。その方法によってこちらも準備がいる。 
とくにいったん死んだ猟師の妻を蘇生させたことが腑に落ちない。
どんな道具を使うべきか。家の中に置かれているいろいろな道具をひとわたり見回した。 
死んだ猟師の妻を蘇生させたという事実、これが本来、人を殺すための手段である武道の技とどういうふうにつながっているのだろうか。今までの経験からもそんな武芸者はいなかった。 
とにかく相手と面対して倒すことが可能な道具としは柳砲をつかうのが賢明であろうという結論を得た。 
柳砲とは面対している相手に対して火薬の力によって数百の鋼鉄の玉をいっぺんに発射する火器である。鎧をとおしても鋼鉄の玉は貫通する。目の前の大きな角度で玉は飛んでいくのでよけようがない。その発射も連続して三度はできる。 
攻撃方法のわからない相手に対してはこれが一番安全であろう。 
柳砲を使うのは七ヶ月ぶりだ。その使ったのも実は人間相手ではない、若狭の海で得体の知れない海竜が出現して漁師が舟をひっくり返され、命も奪われるというのでその化け物を始末しに行ったのだった。そのときも柳砲はたよりになった。海に向けてその砲をぶちかますと海上に赤い色の液体が浮かんで来たが獲物は浮上して来なかった。紺碧の波間は泡立ちながらゆっくりと蠕動していた。しかし再び海竜は出現することはなかった。海の魔物を征伐するほどの武器なのだからましてや人間相手ならおくれをとることはないだろう。柳砲は部屋の隅で黒光りしながらじっとその出番を待っているように鎮座していた。 
 それから四日後に福王寺の使いの者が来た。最初に網野五郎座にすっぽん料理を食わせたのと同じ面子だった。 
連中の話によると大黒屋小助は認可状の隠されている霊場に向かっているそうだ。霊場のどこに認可状が埋まっているのかは官長が持っていた地図を参照しなければわからない。そしてその地図は今は大黒屋小助の手に落ちている。
大黒屋小助はその地図を手がかりにして認可状を手に入れるつもりだろう。
そして福王寺の寺の名を語り、世間に自分こそが福王寺を代表するものだと声高に喧伝するに違いない。
これは坊主たちの話しである。 
網野五郎座は柳砲と他に二三の武器を入れた袋を背中に背負うと坊主たちと一緒に隠れ家を出た。 
網野五郎座は始末を依頼された武芸者については考えないことにしている。どのような面についてかと言えば、その道徳性や社会的側面についてである。もちろんそういう考え方がはっきりとこの時代に現れていたわけではないが紙一重で命の交換を繰り返す武芸者始末人なればこそ、そんな考えに達するのである。果たして自分は正しいことをしているのかという。そのたびに切っ先が鈍ることもあった。だからあえて考えないのである。
もちろん武芸者の武芸そのものについては詳細に深慮をくわえなければならない。そうしなければ自分自身が命を落とすことになる。しかし今、導火線に火がついている状態の爆薬に爆薬自身の来歴などをとやかく語ることは出来ないだろう。それがどんな職人によって作られたか、どんな山の中で作られたか、どんな馬子によって運ばれたか、それらはすべて無意味である。網野五郎座が相手にしなければならない武芸者たちは導火線に火のついた爆薬である。彼らが町にいればまわりの人間たちが殺されていく。ただひたすらに危険な存在なのだ。 
そして彼には関係のないことだが為政者にとってはこれほどやっかいな存在はない。安定したまつりごとをおびやかす存在だからだ。
言うなれば農業や牧畜で経済的に成り立っている地域にモンゴル馬に乗った元の軍隊がやってくるに等しい。 
だから網野五郎座は依頼された対象である武芸者たちを機能でしか見ていなかった。 
しかし、今回の場合、その機能もかなりあいまいである。今回の請負についても相手の武芸者のことも大黒屋小助という子供の頃に福王子で武芸を身につけた商人であるとしかわからなかった。 
福王寺の坊主たちもやっきになって大黒屋小助を消したがっている。彼らは紙切れ一枚が小助の手に渡ったら大変なことになると言っている。彼らの言によれば、おそらく宗門の創始者の遺言か何かの紙に違いない。 
その紙切れを手に入れれば大黒屋小助は福王寺の正式な継承者と言ってもいい身分になるのだろう。 
そんな政治的な意味合いも網野五郎座には関係がなかった。 
ここに不思議を集めた「春蝶拾遺集」という仏教説話を集めた資料がある。著したのは江戸時代初期の仁和寺の僧、栄戒である。民衆にわかりやすく仏教の教えを説いたものだが、伝説や口承を宗教的な結論を得るように話の筋を進めてある。その中には若狭の国で仙人からもらった魚を食べたために人魚になった分限者の娘の話が載っているが、そんな話の中に大黒屋小助の話も載っているのだ。 
大黒屋小助という商人あり、医道もたしなむ。辻に立って患者を求む。疱瘡、はしか、腹痛、骨折、よろず治す。その方法は明らかならず。民のあいだでは大黒屋聖と呼ぶものもあり。 
と記されている。町中で病人を見つけ、どんな病気でも治したようだ。しかし、その治療の現場は周囲を覆った小屋の中でなされたので見せなかったと記されている。そして患者自身も治療がはじまると夢見心地で大黒屋の顔が自分のそばに近付いて来たことしか覚えていないと言っている。このことは「武芸史或間」にいったん死んだ漁師の妻を蘇生させたことと一致している。しかし、その料金をとったのだろうか。大黒屋聖と呼ばれているのだから、たとえ治療費をとったとしてもそんな法外な料金を取ったとは思えない。 
しかし、網野五郎座はそんな史実も知らなかった。 
網野五郎座たちは馬に乗って、洛北の地へと向かった。僧兵たちが彼を先導した。 
彼らの馬が到着した場所はまるで人工のため池のような湖があった。湖は何事もないように平らかである。その背後には小高い丘が続いていて、その丘の表面は黄緑色の縮緬縞の織物のように見えた。僧兵のひとりがここが福王寺の霊場であると言った。 
馬を人目のつかない場所につなぐと、一番年上の老僧が言うには、ここから歩いて行かなければならないという。 
また彼は馬の手綱を木の杭に結びながら網野五郎座の方を向いて言った。 
「大黒屋小助を始末するのは大黒屋が福王寺の書き付けを掘り出してからにしてくれ」 
と言った。 
網野五郎座がどうしてかと問うと、今後似たようなことが起こるかも知れない、それならいっそうのこと、書き付けは謎の場所に埋めておくようなことはせずに、福王寺の本堂に安置しておくことにしたからだという話だった。 
日はまだ高く上がり、霊場への道しるべとなる置き石はほとんど土の中に埋まり、その頭を少し地上に出しているだけだった。 
石と石のあいだには古代の剣のような青々とした草が生い茂っている。道のあいだに生えている木の枝のさきから節足動物が細い糸にぶら下がって宙に浮いていた。道を造るために切り崩した崖はその上に草が生い茂り、土が表面に露出して顎の出た異様な男の横顔のようだった。 
網野五郎座はこんな場所こそ古代の集落の王が住んでいた場所ではなかったのではないかと思った。道の両側にはところどころ苔むした石仏が立っている。 
今、歩いている道の片側が少し、傾斜していて、そのさきの方は木の枝に蔦が幾重にもからんだ藪が生い茂っていて見えないのだが、その隙間からなにやら涼しげな空気が流れてくるようで、耳を澄ますと清流が岩にぶつかって囁くような音がする。どうやらこの近くに渓流があるようだった。渓流の中には水を住処とする生き物が住んでいるに違いない。
現在の状態としては、清流の横をつかずはなれず進んでいるようである。さっきも言ったように耳を澄ますと水が流れる音が聞こえる。
網野五郎座は都大路の喧噪から離れて神韻とした気を吸って深呼吸でもしたような気持ちだったが、僧兵たちはずんずんと進んで行く。 やがて道は奇妙な輪のかたちをした門にたどりついた。その門をくぐり抜けるとき僧兵のひとりが網野五郎座のほうを振り向いて言った。