ぶんぶく狸 第四回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

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ぶんぶく狸 第四回
「あいつの演説を聞いたことがあるよ」
「あのとき漁師を解放したのがあいつの絶頂期だったな」
「まったくあいつには騙されたよ」
自分と同じようなことを考えていると光太郎は思った。
「あいつが嘘を言っていたとは知らなかったよ」
「しかし、金儲けの方法があんなにせこいやり方でやっているとは思わなかったよ」
光太郎はだいたいのことは知っていたがそれの細かいところになるとよくわからなかった。その場にいた何人かはほとんど詐欺と同様のその岩淵のやり方を理解していたらしく他の人間に説明していた。そのうち彼らの話は個人的なことに移っていった。
「三手川の奥さんってきれいな人だって知っていたか」
三手川と云うのは彼らの同僚のひとりらしかった。
「きれいな人だってだけじゃないだぜ、性格も可愛いんだ」
「知ってる、知ってる。三手川が持って来る弁当はいつも奥さんが作っているんだろう」「きみも三手川の奥さんを見たことがあるのか」
「ああ、鈴なり亭の前で三手川といつしょにいたのを見たことがあるよ」
「じゃあ、三手川は果報者だな」
「なぜ」
「そんなきれいで性格も可愛い人を奥さんにしたんだから果報者じゃないか」
「それが、きみのあさはかな考えだと云うんだよ」
「歴史上、ソクラテスの妻、これは悪妻と呼ばれている。それにピカソの最初の妻も悪妻だと」
「ソクラテスの妻のことは聞いたことがあるけどピカソの妻に関してはそういうことは聞いたことがないな」
「それはたとえばの話しだ。歴史上、名をなした偉人の妻はみんな悪妻だと云われている。それらの偉人がみんな悪妻の悪行に鍛えられたか、もしくはそれらから逃れたい一心で仕事に専念したからだな」
「じゃあ、三手川の奥さんはさげまんと云うことか」
「そうだな、美人で可愛い妻を持った男はだいたいが成功出来ない。したがってそういうのはさげまんと云うことになる」
「それを運命に結びつけるのは単純すぎるよ。そういった人を奥さんにして本人が安心してしまうと云うことではないんじゃないですか」
「そうか、きみはまだ結婚していなかったな、その法則をなかなか認めたくないだろう」
「僕はまた違った考えを持っているのだよ。それは人間の一生の運は誰でも同じくらい持っていると云う考えだ。そこでそう云ういい条件の相手をみつける、そこで運を少し使ってしまうと云うことだ」
「きみはじゃあ、だいぶ運をため込んでいると云うわけだな」
そこでみんなは一斉に笑った。
 仕事が終わった光太郎は帰り道、昼間食堂で聞いた会話を反芻していた。飯田かおりはさげまんなのだろうか、と云うことだった。飯田かおりを妻としたことで光太郎は精神的救いを得ていた。しかし飯田かおりと結婚してから、経済的に奈落の底に落ちたことは事実だった。しかし、その転落が飯田かおりとの結婚によってもたらされたとは科学的に証明する方法はない。もしそこに運命論を持ち込んだとするなら、好意的に解釈すれば現在の転落に備えて神は光太郎に飯田かおりと云う救いを用意していたと云えるかもしれない。もちろん悪意やうらみを持ってこの事象を判断するなら、そもそもの原因は妻の飯田かおりにあると云うことで彼女がさげまん女でかつ疫病神だと云うことも云えるだろう。しかし、そう思う光太郎の心の中には妻の飯田かおりが自分に経済的幸運をもたらして欲しいと云う願望が隠されていることは否定出来なかった。性欲や精神的な充足感をもたらしてくれる飯田かおりに対してそれも求めていたのである。そこに光太郎の弱さ、いや、ふつうの人間すべてに隠されている弱さが潜んでいるのかも知れない。
 そんなことを考えながら帰途についたからだろうか、光太郎は飯田かおりに銀座のレモン堂でシュークリームを買ってくることをすっかり忘れていた。玄関に入ると妻の飯田かおりは台所で揚げ物をしていた。光太郎が自分の注文からシュークリームを買って来ることを期待しているからだろうか、横顔も微笑んでいるように見える。
「飯田かおり、ごめん。レモン堂に行くのを忘れていたよ」
飯田かおりは予想に反してその表情に変化はなかった。
「忘れたの。でもちょうどいいくらいだわ」
そう言って飯田かおりは食器棚の真ん中の出っ張りに置かれたレモン堂の包み紙に包まれた菓子箱を目で合図した。
「これは」
「地主の下平さんの使用人と云う人がお詫びのしるしだと言って持って来たんです。お金も置いて来ましたよ。でも失礼よね。下平さんが直接来ないで使用人なんて人を使わすなんて」
飯田かおりは少しくちびるをとがらした。
飯田かおりの話によるとこうである。最近、光太郎の家の裏庭の盆栽やばけつが倒されているのはおかしい、そこで裏庭のずっと見渡せる台所で編み物をしながら見張っていたら、おもちゃのモータボートのような音がしたので外を見たそうである。そうしたらそれはモーターボートのエンジンの音ではなくておもちゃの自動車の音だった。おもちゃと云っても子どもが乗れるようなものでエンジンもついていてイタリアの車のように赤いペンキが塗られてぴかぴかとしている外国の競争用自動車のミニチュアだった。とてもそれは庶民の買えるようなものではなく、日本の国内では売っていず、輸入業者の手をわずらわせなければ手に入らないようなものだった。そこに銀色のヘルメットをした子どもがふたり乗っていてすごいスピードでやって来ると光太郎の家の庭、弘法池のたもとで光太郎の家の花鉢をひとつ倒してとまった。ふたりの子どもは自動車から降りてくると銀色のヘルメットをとり、池の方に向かってなにかさけんだようだった。そのヘルメットを脱いだふたりは地主の下平のふたりの娘だった。急いで飯田かおりは庭に出てふたりの子どもになにをやっているのかと聞くと弘法池一周トライアルレースをやっているのだと答えた。ばけつや盆栽を倒したのはふたりかと聞くと悪びれずに肯定したそうである。飯田かおりがさらに何か言おうと思ったらふたりはふたたびヘルメットを被ってトライアルレースはまだ終わっていないわと叫んでイタリアの自動車の運転席に飛び込むと自動車を急発進させたそうである。ものすごいスピードで飯田かおりはただ見ているしかなかったそうだ。
 光太郎は怒ると云うよりも一種の爽快感を感じた。高級なイタリアのおもちゃの自動車に乗って走っている姿になににつけてもわからないものにおさえつけられている自分に出来ないことをしていると云うことや、幼い子どもの気楽な生活にあこがれていたのかも知れない。しかしあれだけのおもちゃをふたりの娘に与えている地主の下平の経済力と云うものはどのくらいのものだろうか。しかしかつては自分もそうだったのだ。
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