大江戸パープルナイト  第七回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

大江戸パープルナイト  第七回
皇居の中では今回起こした不祥事について御前会議が開かれていた。
思い空気が流れていた。
誰も一言も発する者もいない。
愛子親王が博打場で壺を振っていたという一件である。
「そもそも、何故愛子様があんな場所に行っていたかという問題です。愛子様がひとりで行けるはずがない。誰かが連れて行ったとしか、思えない」
「これはやはり乳母に多いに責任がある」
「わたしより侍従に問いただして頂きたいわ」
「巧妙に仕掛けられていたんです」
「ずっと、愛子さまがいると思っていました。皇居内のすずらんの間で遊んでいたとわたしたちは思っていたんです」
「一番悪いのは病院長だと思いますわ」
「私が、なぜ」
「そもそもの原因は病院長ではないですか」
「なぜ、病院長の名前が上がるのですか」
話しの内容を良くわかっていない宮内省の責任者の一人が口を挟んだ。
「これはごくごく内密にしておかなければならない問題ですが」
「あんないい加減な話しを最初に持ち込んだのは病院長ですからね」
「わたしが持ち込んだわけではない、わたしの名前を勝手に使ったんだ」
「でも、あの男たちは病院長が連れて来たんじゃないか、病院長も何か弱い尻でも握られているんですか」
「そもそも、あのふたりの人間は何者なんだ。全く、あいつらにいっぱい食わされた」
「だって、あいつらは小泉の名刺まで持っていたんだからな」
ときの首相の名前まで呼び捨てにしている。
「小泉の名刺を持っていた時点で怪しいと思わなければ」
そのときこの会議の机の端の方に控えていた子供が重々しく口を開いた。
「麻呂が知っているでごじゃる」
「おじゃる丸様」
その子供は子供のくせに平安時代の貴族が持つ、しゃくを持ち、烏帽子を被っていた。
「麻呂が知っているでごじゃる。麻呂に何度、言わせるのじゃ」
この子供はおじゃる丸と呼ばれていた。
この子供こそ、摂関政治の始まった平安時代から綿々と続く、お公家忍法第九十八代当主、おじゃる丸、その人であった。
お公家忍法の使い手たちは、遠く天皇のそば近くに仕え、その権謀術数のわざを磨いていたのである。
「麻呂の不覚じゃった。麻呂が六本木でホットドツグを食っていた、すきをつかれたのじゃ。しかし、彼らふたりの名も素性もわかっている」
「だいたい、愛子様と同時に双子の男の子が産まれていて、病院の手違いで男の子が民間の家に引き取られているなんて、でたらめをよく信じましたね」
「そのとおりじゃ、麻呂がいればよかったでごじゃる」