羅漢拳  第40回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

第40回
幼なじみ
「誤解しないでちょうだい。クリストフ、ルカッチ氏の犬を殺害しようとしているのはあの男よ」
志水桜は村上弘明の腕をふり払った。そのとき、屋上にしかけられていた爆発物がふたたび爆発して屋上は煙で充満した。
「油断していたでござる。こんなに周到に用意されていたとは予想もしなかったでござる」
煙の向こうから
「近寄るな、近寄ると、この犬を殺すぞ」
狂ったようなさけび声が聞こえ、煙がとぎれたあいだから子犬をナイフで刺し殺そうとしている犯人の姿が見えた。村上弘明がそばを見ると志水桜の姿はなかった。また煙があたりに充満して犯人の姿は見えなくなった。ハンケチで口をおさえながら江尻伸吾と村上弘明、深見美智子の三人は犯人のナイフを恐れながら、時計台のそばに近寄って行くと、子犬の吠える声が聞こえて、クリストロフ、ルカッチの秘蔵の愛犬が走り寄って来た。深見美智子はその犬を抱き上げた。やがて煙がとだえて時計台の下が視界に入るとそこには一人の男が立っていた。胸にはナイフが突き刺さっている。そして上がってくるときには気づかなかったが、時計台の下のところから非常用の避難のためのコースターがついていて、そこから地上に降りられるようになっていた。煙がすっかりはれると、志水桜の姿はすでになくなっていた。このできごとがあってから週に一度くらいあった大阪府内の犬の虐殺事件はすっかりとかげをひそめた。クリストフ、ルカッチ氏はこうして自分たちの愛犬を守ってくれた労をねぎらうために、大阪でも有名なイタリア料理店に予約をとって、日本を離れて行った。ナイフを胸にさされて殺されていた犯人は栗毛百次郎だった。大阪府警は栗毛百次郎の住んでいる逆さの木葬儀場の家宅捜査をおこない、栗毛百次郎のかずかずの犯罪の証拠を押収した。犬を殺害したと思われる凶器は発見され、また彼が女子高生たちを狙っておこしていたいくつかの犯罪もあきらかになった。吉澤ひとみは変わった色に揚げられた海老をナイフで切り分けると、村上弘明の方を見た。
「でも、意外だったわね。川田定男が女だったなんて、そのうえ、兄貴の幼なじみだったなんて」
「幼なじみじゃない、高校時代のマドンナだ」
村上弘明は憮然とした表情をした。志水桜と再会した村上弘明は彼女との結婚まで思い描いていたのだ。その幸福な未来の設計図はすっかりと、破れてしまった。
「でも、本当に栗毛百次郎が犬殺しの犯人だったのかしら」
「そうに違いないでござる。逆さの木葬儀場からあんなにたくさんの証拠が発見されたのでごじゃるからのう」
「じゃあ、江尻さんは、栗毛百次郎が犯人だと確信しているの」
「ひとみ殿、こういう、パラドックスを知っているでござるでごじゃるか、すべてのクレタ人はうそつきだとクレタ人が言った。つまり栗毛百次郎が犯人であり、また、犯人ではないとも言えるのでごじゃる。栗の木市で起きている女子高生に対する、のぞきなんかのいかがわしい事件、犬を殺すなどという脅迫状、それらは栗毛百次郎がやったかも知れないでごじゃります。しかし、実際に犬を虐殺したかどうかということになるとかなり疑問が生ずるのでごじゃる」
「江尻さん、わたしにも、疑問が残るのですが、なぜ、喜多野公会堂にあんな大がかりな爆発物の準備がなされていたのでしょう」
「それは、あの時間、あの場所を混乱させるためではないかしら」
「ひとみ殿、ある音響メーカーがこんなものを発明したでごじゃります。まだ市販はされていないでごじゃるが」
そう言って江尻伸吾はガリレオが発明した望遠鏡のようなものを取り出した。安物の双眼鏡のような大きさである。
「江尻さん、それはなんですか」
「どんなスクリーンにも正しい形で映像を映す機械でごじゃります。これが、あの公会堂の屋上の隠れた場所にとりつけてあったのでごじゃります」
「じゃあ、煙を大量にたいたというのは煙をスクリーンがわりに使ったといわけですか、それでわたしたちにあの場面のある部分は幻影を見せて混乱させたと」
「そうでごじゃります」
「志水桜さんはなぜ、あの場所からいなくなったと思いますか、どうやっていなくなったのでしょか」
「時計台の下に非常避難用のコースターがあったでごじゃる、あれを使ったとしか考えられないでごじゃる。弘明殿、あなたさまはまだ、志水桜殿のことを愛しているでごじゃるか」
「そんなことを急に言われても」
「兄貴、照れずに白状するのよ」
「もちろん、高校時代のマドンナですから」
「こんなものが送られて来たでごじゃる。川田定男、こと、志水桜からでごじゃる」
「なに、写真じゃない」
その写真をとりあげた吉澤ひとみは急に悲鳴をあげた。
「そのものずばりじゃない」
「そのものずばりでごじゃります」
その写真は気味の悪いものだった。そして冷徹な事実そのものだった。青白い若者がナイフを持って犬の首を切り離そうとしている。手は血だらけになり、頬のあたりに血がついた若者が薄気味悪くほほえんで、こちら見ている。
「これは、福原豪の一人息子の福原一馬じゃないですか」
村上弘明は福原一馬の顔を知っていた。K病院のゴミ捨て場でも見たし、そのあとで別の写真でも見たことがある。
「じゃあ、江尻さんは、福原一馬が犬殺しの犯人だと確信しているのですね。じゃあ、なぜ、福原一馬を捜査せずに、栗毛百次郎を犯人であるかのような扱いをしているのですか」
「大阪府警も証拠つかめないでごじゃる。こうやって栗毛百次郎が犯人であると思っているふりをすれば、福原一族も油断をするでごじゃる」
そこへ長身の外人が近づいて来た。そして彼は江尻伸吾の隣の椅子を勝手にひくと、そこに座った。すぐにウエーターに料理の注文を外国なまりの日本語で告げた。
「紹介するでごじゃります。今、日本に来日中のマイケル、クランプトン氏でごじゃります」
「ハウ、ドュ、ドウ、ミスター江尻に紹介された、マイケル、クランプトン、です。どうぞ、よろしく」
「マイケル、クランプトン氏は**に勤めているでごじゃります」
吉澤ひとみも知っている外国の証券会社の名前をあげた。
「彼には本山神太郎二号の改良を頼んだでごじゃります」
「どんな改良を頼んだのですか」
「本山神太郎を使って、大阪府内の銀行の金の振り込みをすべて調べられるようにしたのでごじゃる」
「マイケル、栗毛百次郎の通帳にふりこまれた金がどこから流れこんだのか、わかったでごじゃるか」
「ミスター、江尻、わかったよ。恵比寿建設というところだよ」
「恵比寿建設というのは、福原豪の経営している建設会社じゃない」
「そうでごじゃります」
「じゃあ、これで、犬殺しの犯人は、福原一馬に決定ね。あとは証拠を固めるだけ」
「そうでごじゃる。そう思って、福原豪の一家には大阪府警から尾行をつけているでごじゃります」
そのとき江尻伸吾の携帯電話が鳴った。村上弘明も吉澤ひとみも自分の携帯を取り出して耳につけた。江尻伸吾が二人の電話に改良を加えて、江尻伸吾のところにかかってきた電話はすべて聞かれるようにしておいたのである。
「江尻課長、大変です。福原親子が小型飛行機に乗って、大阪湾の上空を飛んでいるとき、空中爆発をしてふたりとも死んでしまいました。」
「なにをやっているのでごじゃりますか。なんで、福原親子をどこまでも追って行かなかったのでごじゃりますか」
「そんなことを言ったってそこまでできるほど大阪府警は予算をもらっていないです」
「いいでごじゃります。それでふたりの死亡は完全に確認されたのでごじゃりますか」
「海上にただよっている二人の死体を確認しました」
「これで松田政男の事件は完全に迷宮入りね」
吉澤ひとみがつぶやいた。
*****************************************************************************************
吉澤ひとみは明日の学校の宿題をやろうと思って自分の机に座って日本史の教科書を読んでいたが、古本屋で買ってきた雑誌を机の上にひろげてちらちらと眺めた。日本史の中でも現代史のところで、調べたい項目があって、そのことが書いてある二十年ぐらい前の雑誌を古本屋でみつけたのでむだにはならないだろうと思って、その雑誌を買ったのである。その雑誌の中に執筆者の顔写真がのっていて、その古ぼけて紙の質までおかしくなってしまった雑誌のなかを見ているとき思わず、ちらりと目をとめた。その顔写真の中の一人がどこかで見たことがあるような気がしたからである。しかし、教科書を広げていた時点で充分、眠気にさそわれていたから、吉澤ひとみはそのまま服を脱いでベッドにもぐりこもうと思った。上着の第一ボタンをはずしたところで食堂の電話がなり始めた。吉澤ひとみはそのまま、食堂へと行った。
「なんだ、兄貴、電話に出ればいいのに」
スリッパをつっかけて電話をとると、相手が出てきた。
「吉澤さんのお宅かな」
「どなたですか」
「K病院に入っている沼田です」
電話をかけてきたのは精神異常者の沼田だった。しかし、いつものあの凶人特有のうわついた声の調子はなく、声が落ち着いている。
「村上弘明さんに代わってもらえますか。話したいことがあります」
「ちょっと待ってください。今、兄を呼んで来ますから」
吉澤ひとみは電話の受話器を置くと、村上弘明を呼びにリヴィングへ行った。村上弘明はソファーにもたれかかって居眠りをしている。
吉澤ひとみは彼をゆり起こした。
「兄貴、電話よ、電話。あのK病院の大沼よ。兄貴に何か、大事な用件があるみたい。早く、起きてよ。いつもと様子がちょっと違うよ」
「なんだよ、こんな夜中に、誰から電話なんだよ」
「大沼、あのK病院のか」
村上弘明は急に眠気がさめたのか、眠っていたソファーからとび起きると電話口に行った。吉澤ひとみが食堂にいる村上弘明を無言で見つめていると、村上弘明はときどき合いの手を入れてうなずいたりするが、ほとんど無言だった。
「じゃあ、そういうことで」
村上弘明はそう言うと受話器をがちゃりと置いた。吉澤ひとみはソファーに腰掛けながら、村上弘明が戻って来るのを待っていた。
「兄貴、なんだって」
「あさって、K病院に来てくれと言う話だ。自分の知っていることは全部、話すと言っている」
「いつもと、あの大沼は調子が違っていたわ」
「ひとみもそう思うか」
「うん、まるでふつうの人みたいだった」
「一体、どんなことを話すと言うんだろう」
「兄貴、福原豪が死んでから、あの病院の経営権はちゅうぶらりんになっていて、どこかの会社がその権利を買うという噂じゃない」
「どこの会社があの建物をゆずりうけるの。もう市役所の管理ではなくなるんでしょう」
「今までもほとんど、病院としては機能していなかったんだからな、仕方がないさ、全くの私的な建物とあそこがなったら、そう簡単にはあの中に入ることはできなくなるさ、どこの誰があの建物を買うのか、江尻伸吾さんでも全く、わからずじまいなんだ」
「大沼さんも、あそこを追い出されるというわけ」
「そう、最後の入院患者としてあそこを出て行くわけだ」
「あの病院がなくなると、警察署に死体安置所を作らなければならなくなるのね」
「あの病院にしか、死体安置所はないわけだからな」
すでに村上弘明がK病院のことを調べはじめてから三人の人間が死んでいるというのに、次の日のテレビ局の仕事はのどかな企画だった。アイドルが奈良にある古寺を訪ねるというもので、最近、テレビに出始めている女性を起用していた。その寺のしおり戸をあけると、楓の木立で囲まれた細道になっていて、道の両側の木の根本には村上弘明が名前も知らないような草がはえている。細い葉を何百もたばねてかつらのような草の束がいくつも並んでいる。
「見て、見て、この墓、ちょっと形が変わっているわよ、吉澤さん来てよ」
村上弘明がそこの墓に行くと、確かに変わった形をしていた。この寺の案内を買って出ている僧侶が横から口を出した。
「太鼓橋を作った人物の墓ですよ」
「太鼓橋というと」
「太鼓みたいな形をしている橋だから太鼓橋と言います」
「太鼓橋って、ここの本堂のある山と毘沙門堂のある山を結んでいる橋です」
「その橋で、絵になるから撮影をすると言っていたわよ」
「その橋は明治になってから作られたんですよ、江戸時代には小さな山でしたが、坂をくだって、また、坂をのぼって、そこに行かなければなりませんでした」
そのあとでその僧侶はその橋の来歴をくどくどと説明した。しかし、村上弘明には寺の中堂から出ている渡り廊下がイタリアにある橋の上の市のようになっていて、その上、そこが無想窓ではなく、武者窓になっていることに興味をひかれた。しかし、太鼓橋のところに彼女と来て、撮影をはじめても、大沼のことが気になっていた。そんなふうに、本来なら気晴らしになるような仕事だったが、村上弘明にとっては少しも気が晴れない一日だった。日芸テレビに戻って、テレビ局の中の食堂でご飯がぱさぱさしたカレーライスを食べているとお尻のポケットに入れておいた携帯電話が急に鳴りだした。
「村上弘明殿でごじゃりますか。麻呂でごじゃります。江尻伸吾でごじゃります。大変でごじゃります。大沼が水死体で発見されたでごじゃります」
「本当ですか、場所は、場所は、すぐそこに行きます。場所はどこなんですか」
「武庫川が大阪湾に流れ込む河口付近の横に走っている運河のあたりで、大沼の水死体が水面に浮かんでいるのを河を行き来している運搬船の乗組員が見つけたのでごじゃる」
村上弘明がその場所に行くと江尻伸吾はそこにいた。場所は船を停泊させるためにひいた水路の川縁だった。航海や漁の安全をいのるための神社がたてられていて、その神社の中の大木の木陰が水路になっていて、その水路の中で大沼の死体が浮かんでいたらしい。場所がわかりにくい場所になっていたためか、野次馬もいなかった。
「河の上流から流されて来て、潮の満ち干で特異な水の流れが出来たためにこの水路に流されて来たのだろうと、ベテランの刑事は言っているでごじゃる」
「河の上流から流されて来たということしかわからないのですか」
「そうでごじゃる
「大沼からおととい、電話があったのです。自分の知っていることは全部、話すからK病院に来てくれと言っていました」
「なにを話すつもりだったのか、なにも、言わなかったのでごじゃるか」
「そうです」
「口封じで大沼は殺されたと、村上弘明殿は思うでごじゃるか」
「それしかないでしょう」
「そうすると、大沼は非常に重要ななにかを握っていたということになりますでごじゃる」
「栗田光陽や井川実、そして福原親子の死因についてはなにかわかったことはあるのですか」
「皆目、見当がつかないでごじゃります。なにぶん、神山本太郎二号を使ってもあまり古いことは出てこないでごじゃります。しかし」
「しかし、なんですか」
「大阪湾に墜落して死んだ福原一馬の死体解剖に関して、今、警察の鑑識だけでは、理解できない部分があり、その遺体の一部は大学の研究所に運ばれているでごじゃります」
「福原一馬はたんなる精神病なだけではないのですか」
「そうではないようでごじゃる」
「そうすると、精神病の新薬を開発していた松田政男になにか関係があるということですね」
「そうでごじゃる」
「大沼についてはなにもわからないのですか」
「そうでごじゃる。今、言ったように神山本太郎二号を使っても古いことはわからないでごじゃります」
*********************************************************************************************