羅漢拳   第22回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

第22回
松田
栗の木団地前駅のそばにある洋菓子屋でシュークリームを買ってから吉澤ひとみは自宅に向かった。地方都市の駅前にある洋菓子屋ではあったがここの店主の腕はよく、吉澤ひとみも弘明もここの洋菓子はなかなかお気に入りだった。それでそこのシュウクリームを買ってかえってひとみは弘明と一緒に食べようと思った。団地の一階の集合ポストを覗くと吉澤の家のポストの中にラシャ紙の封筒が入っている。ステンレス製のふたをあけて封筒を取り出すと手紙が入っているにしては少し重かった。宛名には村上弘明様宛になっている。ひとみはその封筒をかばんの中に放り込んだ。ひとみがコーヒーカップに紅茶をいれて待っていると村上弘明が帰ってきた。今日もどこかK病院のことを調べに大阪の御堂筋の方に行っていたらしい。弘明の紅茶茶碗の受け皿のはしにひとみは輪切りにしたレモンを置いた。
「兄貴、何か、新しいことがわかった。」
もちろん、松田政男、つまり、K病院に関してのことである。
「K病院の建設資金に関してのことだよ。絶対にやましい金が動いているのに違いないんだ。K病院の件に関しては福原豪が動いているに違いないんだ。それで建設資金の補助がどう市議会の方から出されているのか、それを調べに行ったんだよ。」
「あっ、そうそう、駅前でシュークリームを買ってきたから食べる。」
シュークリームを袋から出すとき、ひとみは下のポストに入っていた郵便のことを思いだした。
「そうだ、それから、下のポストの中に兄貴にあてて、郵便が来ていたわよ。普通の封筒に入っているんだけど、中には手紙は入っていないみたいよ。」
「どれどれ、どんなもの。」
弘明はシュークリームを頬張りながらけげんな顔をしてひとみの方に手を伸ばした。ごく普通の薄茶色の封筒だった。宛名書きには村上弘明様宛になっている。中には手紙が入っていないようだった。それにしては少しだけ重い。五百円玉が一枚くらい入っているのかも知れない。何のときだったか思い出せないが、何か五百円玉を一つ封筒に入れて送られたことがあったのだ。村上弘明はその封筒を破ってみた。すると中からは銀色に輝くクロームメッキされた鍵が出てきた。どこの鍵かはわからなかった。手紙は入っていないと思っていたが中に小さな紙片が入っていてそこには電話番号が書かれている。
「電話番号だよ。」
「どれどれ。」
吉澤ひとみもその紙片をのぞき込んだ。数字の桁数から電話番号だと判断するのが妥当だつた。
「どうするの。」
「とにかく、ここに電話をかけてみるしかないだろう。」
村上弘明はその数字のボタンを押していった。
「あっ。待った、待った。」
村上弘明はひとみに促した。台所にある電話は玄関にある電話の子機で玄関にある電話の方で録音をすることができる。そっちの方で電話の中の会話を録音することに決めたのだ。村上弘明が電話をかけると、電話をかけられた方でも電話がかかってくることを予想していたのか、すぐに村上弘明の方の受話器から声が聞こえてきた。
「もしもし、封筒を送りつけてきたのはあなたですか。」
村上弘明は最初その声の主が誰だかわからなかったが、すぐに思い当たる人物にぶつかつた。
「私です。K病院の事務長の小沼です。」
小沼、村上弘明たちが最初にK病院に調査に行ったとき、自分でこの病院の経理長をやっているといい彼らを案内した人物だ。しかし、実際はその病院の入院患者であり、病院関係者に連れ戻された。しかし、松田政男のことは少し、知っているらしかった。自分が小沼だと信じ込んでいる大沼が松田政男の入院していた部屋を案内してくれたのだ。そしてその後でも自分が不当に入院されていると市役所に訴え出て、その調査に同行して村上弘明は福原豪の屋敷まで行った。もっとも小沼が本当に精神病で入院しているということは福原豪に疑念をいだいている村上弘明の目から見てもあきらかだった。しかし、病院の中に長いこと入院していて、どうして身につけたのか、病院内の鍵を誰にも知られず入手するという特技を持っている小沼が意外な事実を知っている可能性はあった。そうなると。単なる狂人の奇矯な行動だと片づけられないものがあった。とにかく彼の網膜に何らかの事実が焼き付けられているかもしれないのだ。また何か重要なことを聞いているかも知れない。とにかくそれらの事実を引き出すためにも彼に調子を合わせなければならなかった。
「私は小沼です。以前あなたにK病院でおあいしましたよね。」
「小沼さん、あなたですか。この鍵を私の家に送りつけてきたのは。」
吉澤ひとみは親子電話の親機の方で彼らの会話を録音していた。
「どういうつもりですか。そもそもこの鍵はどこの鍵なんですか。」
「その鍵がこの病院のどの部屋の鍵かをいうことはまだいえませんよ。それは恐ろしいことなんですから。あなたは日芸テレビの人なんでしょう。とにかく、私を助けてください。」
「助けるって、どうすればいいんですか。」
「だから、私がこの病院から出られるようにしてくれることですよ。私はこの病院の事務長なのに福原豪の奸計によって、精神病患者に仕立て上げられてこの病院の中に押し込められているんですよ。だから、福原豪の悪事を暴いてください。」
「福原豪の悪事をあばくと言っても、福原豪がいったいどんなことをやったというんですか。具体的に教えてください。」
「だから、私をここの病院長である私を、精神病患者に仕立て上げてここに監禁しているということですよ。私が何故、ここの経理長だとわかるか、それが証明されるのかと言えばその鍵をあなたに送ったことでもあきらかでしょう。経理長ででもなかったら、その鍵はあなたのところになんか送ることができませんよ。」
「何故、この鍵が重要なんですか。」
「ふふふふ。」
電話の向こうで小沼は笑っているようだった。
「吉澤さん、あなたは松田政男殺人事件を調べているのではありませんか。この鍵はそれに関わっているのです。重要な鍵なんです。」
狂人は狂人なりに人の気を引くすべを知っているらしかった。あるいはもっと重大な謎をつかんでいるのか。
「じゃあ、この鍵は松田政男さんに関係しているということですか。」
どこかの部屋の鍵には違いない。あるいは何かの戸棚の鍵なのか。
「どこの鍵なのか、何故、重要なのか。松田政男とどう関わっているのか、教えてください。」
「それはあなたが私をここから出してくれたらですよ。」
吉澤ひとみはその会話を聞いていていらいらした。親機の外部スピーカーを作動させていて二人の会話が受話器を使わなくても聞こえるようになっていたからだ。吉澤ひとみは小沼と自分で名乗っている沼田がやはり妄想にとりつかれた現実と空想のはざまで自己を引き裂かれた人間だと思った。確かに現実の中の自分と空想の中の自分がこの人物の意識の中に混在している。
「だから、言っているでしょう。あのK病院が福原豪の悪の果実だからって。こうしてあの病院の中の鍵をあなたに送りつけたというのが何よりの証拠じゃないですか。私が本当のあの病院の経理長だということの。あいつらの手によって不当に監禁される前にあの病院の鍵のコピーを全てとっておいたんですよ。」
村上弘明はいらいらしていたがやはりこの男はそれなりに重要なことをつかんでいるのではないかと思い、自分の感情を押し殺して、この男の話に口を合わせることにした。
「じゃあ、この鍵は何か重要な鍵なんですね。福原豪の悪事をあばくような。もしくは何かの戸棚の鍵かも知れないけど。」
電話の向こうで小沼は満足しているようだつた。
「まあ、そうでしょうな、この鍵を私が持っていることを知ったら、福原は夜もおちおちねむれないでしょうな。あはははは。」
「それほど、福原豪の致命傷になるような証拠を握っている鍵だと。」
「まあ、そうですな、しかし、まだまだ、すごいものを私は持っていますよ。」
「すごいものって。」
「松田政男に関したものですよ。」
村上弘明は思わずのどから手が出かかった。しかし、精神異常者特有の吉澤の気をひくための嘘かも知れない。
「そんなすごいものを持っているなら私のところに送ってくださいよ。テレビで大々的に特集を組んで福原豪の報道をしますから。」この言葉には小沼もまんざらではないようだった。
「しかしな、そうなると私が福原に不当にここに監禁されていることも無駄ではなかつたということだ。つまり、私がいるために福原の犯罪が世間によって裁かれるということだからな。」
電話の向こうでの小沼はある種の感慨に浸っているようだった。しかし、それがあまりよい結果をもたらさないということに吉澤はすぐあとになって気づいた。
「じゃあ、とにかく、福原の犯罪についての特集を組みますから、あなたのつかんでいる重要な証拠を私のところに送ってください。たのみますよ。」
「まだ、あなた、吉澤さん、あなたは私の言っていることに半信半疑なんじゃないですか。まだ、あなたは私のことを本当に信用していない。私はこう見えてもアジア相互援助公団の調査員をやっていて五、六年前は日本国内をくまなく歩き回っていたのですよ。」
小沼の口から聞き慣れない言葉が急に出てきた。小沼の話によると小沼は五年前には本当にあるのかどうにかわからないのだが、アジア援助相互公団というところの調査員をやっていたという話しだ。その仕事は日本が資金の一部を出してアジアのどこかの国に鉄道などを建設したときに日本が輸入しなければならないものを日本に送る量を確保しておかなければならないという取り決めでその機構の中に位置している日本国内の保税倉庫の調査をするという仕事だそうだ。その仕事のつながりによって小沼は有力な政治家とのつながりもあり、そのからみで福原豪の病院の事務長になったと言った。いろいろと彼の知っている有力な政治家の私事にも詳しくゴルフのときのくせなども小沼は得々として話した。それがどこまでも真実かは、吉澤が検討することはできなかったが、どれもこれもまゆつばものだった。とくに疑わせられた言葉はゴルフ場で日本の石油資本と結びつきが深いといわれている福岡出身のある政治家が那須のゴルフ場で内密に石油産出国として知られるある東南アジアの王族とゴルフをしたとき、その三週間後に日本の石油の税制が変わる法案が国会を通過したとか、そんなような話しを二、三、した。
「瀬野弥十郎の事務所が何故、弥生町にあるか知っていますか。あれは本当の事務所じゃなくて、本当は・・・・・」
そのとき突然電話が切られた。電話が切られる直前の一緒に受話器に入ってくる声で、沼田さん、沼田さん、また、関係のないところに変な電話をかけているんですか。いいかげん、やめてくださいよ。という声が聞こえた。
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村上弘明が日芸テレビの通信部のファックスの前に立っていると制作部の星谷みすずが彼を呼びに来た。機械から出てくる用紙を眺めながら吉澤は少し小太りの星谷みすずの方を見た。
「吉澤くん、すごい美人のお客様よ。つれの人と一緒に応接室に待たせてあるわ。」
吉澤は一瞬、自分では勝手に婚約者だと思いこんでいる岬美加が来ているのかと思った。しかしそれは吉澤の希望的観測であり、自分の内心の希望にすぎなかった。自分自身でもすぐに来ているのがひとみだということはわかった。案の定、応接室のドアをあけると吉澤ひとみが松村邦洋と滝沢秀明をつれてそこのソファーに座っていた。
「何だ、びっくりさせるなよ。一体どうしたんだよ。」
「岬さんだと思った。」
吉澤は図星をさされて閉口した。彼女がつれている二人はそのことについて知っているのか、知らないのか、無表情だった。
「兄貴、兄貴、聞いて、聞いて。すっごくいい情報よ。」
「お前のいい情報はあてにならないからな。」
「吉澤さん、それがすっごくいい情報なんです。」
松村邦洋が横から同意した。彼女が二人を連れてきたということはS高に関連したことかも知れない。
「K病院に勤めていて、最近やめた人が見つかったの。うちの高校の戸田先生っているんだけど、その先生がよく行く近所の定食屋で会う人がいるんだけどその人の知り合いなんだって。その人と一緒に住んでいるらしいよ。」
「大阪港の海に面した倉庫にその人と一緒に住んでいるらしいですわ。」
「倉庫に住んでいる。」
「一緒に住んでいる人が前衛画家だという話しですわ。」
「じゃあ、これからみんなでそこに行くということね。」
「そうよ。」
四人は日芸テレビのビルの地下駐車場にとめてある四輪駆動車でそこに行くことにした。ひとみたちは自分たちの交通費を浮かすために弘明のところを尋ねたのかも知れなかった。日芸テレビからこの取材用の四輪駆動車を走らせて三十分ぐらいで倉庫に着いた。今は使わなくなった倉庫にその画家は住んでいるらしかった。道が大型車がとおるのでだたぴろっくなっていた。昔はたくさん工場などがあったらしいが不況の影響か多くの工場は住む人もなく、次の事業展開を待っていた。たってから四、五十年経っている工場が多かったので大部さび付いていてそれがどこか横たわっている古代の恐竜を思わせた。すでにゴルフ場に変わっている工場もあった。工場の敷地と敷地の間には名前もわからないような外国の雑草が生えていたりした。海に面した大きな直角三角形をつなげたような倉庫だった。倉庫の扉は二トン車ぐらいは入れるようになっていたので大きく、そこには大きな数字で番号が書かれている。中に物が置かれているだけの倉庫と違うのは扉の横の方に住所や住人の名前が書かれていることだった。扉の前には軽四輪のトラックがおかれている。中古で買ったらしく大部さび付いている。ここがこれから尋ねることになる画家の家だ。ここには昔、K病院で働いていたという医者が同居してるらしい。
四人は表札に書かれている名前を確認してインタホーンを押した。
中から三十才くらいの長髪のひげ面の人物が出て来た。髭をそってこざっぱりした顔をさせればもっと若く見えるかも知れない。出てきた人物は四人が立っているのを見て不審な顔をした。服装もあまりきれいとは言い難く油で手来たしみのあとがついている。一応洗濯をしてあるのが救いかも知れない。
「突然、お邪魔して申し訳ありません。井川さんですか。ここに栗田光陽さんという人はいますか。」
「あなた方はどちらの人。」
「日芸テレビのデイレクター兼、アナウンサーをやっている村上弘明と言います。」
「ああ、あんた、テレビで見たことある。」
「栗田光陽さんにお話をお伺いしたくて来たんです。」
「栗田光陽とは一緒に住んでいるんだ。だからと言って変なことを想像しないでくれよ。あっちの方には全く興味がないんだから、ここ、こんなにだだっぴろいじゃない、一人で住むには大きすぎるからね。」
井川という画家は聞きもしないことを話した。
「栗田なら中にいるよ。おーい、栗田、お客さんだぞ。さあ、中に入って。」
ぼさぼさ頭の井川とは対称的に栗田光陽は髪を七三に分けていた。この二人が同じ屋根の下に住むということは不思議な感じがした。それよりも何よりもこの家の中に栗田光陽がいるということがある種の違和感があった。この倉庫を改造した家の中にまず入ると作業場のような平間と段違いになっている居住区間にわかれていた。平間の方はこの芸術家の仕事場になっているらしく百五十号とか百号といった制作途中の大作がたてかけられていた。コンクリートの床になっていて絵の具が床の上にこぼれていた。階段状になっている居住区域の方はまるで新劇のそれもロシアの題目を主に上演している舞台のようだった。居住区域の方は二階建てになっていて一階に台所などがあった。二階にベットがおかれている。二階のスペースを二つに区切っていて、間を薄い壁で区切られ、それぞれにベットが置かれている。一階には台所のほかにもテレビやラジオが置かれている。仕事場には絵の具やイーゼル、それに大きな石油ストーブが置かれている。屋根の片方が通し窓になっていてブラインドもついているのだがブラインドが開かれているので空がそのまま見えた。井川は二人で住むには大きすぎると言っていたがそういう事もないように思えた。栗田光陽は一階の居住空間の方でテレビを見ていた顔をこちらの方に向けて来た。見たこともない人間がそれも他の三人は高校生だったから、さぞ驚いたことだろう。
「栗田さんですか。私は日芸テレビでアナウンサーをやっている吉澤と言います。」
「はい、何の用ですか。こんなところに住んでいるので変わった人間かと思われるかも知れません。倉庫だって改造すれば結構住めるようになるんですね。でも、この家の持ち主は井川さんの方ですからね。私は実は自分の実家が大阪市内にあるんですよ。市内病院に勤務先が変わったので知り合いの井川さんに頼んで住まわせてもらっているんですよ。」
栗田光陽は二十代後半の青年だった。丸いめがねをかけているのが誠実そうな印象を人に与える。
「いえ、この家のことでここに来たわけではないんです。」
「じゃあ、井川さんに会いに来たんじゃないんですか。」
そばで話しを聞いていた井川は席をはずそうとした。
「俺は席をはずそうか。」
「いいえ、結構ですよ。人に聞かれて困るような話しではありませんから。」
「そう。」
この芸術家もここに居たいようだった。
「じゃあ、コーヒーでもいれるか。」
この無骨な感じの絵描きも思ったより気がきくようだった。
「今はどこに勤められているんですか。」
「市立病院で内科を担当しています。」
「そこに勤める前はK病院に勤めていたのではありませんか。」
「ええ、そうです。」
「それではK病院のことを少し教えてもらいたいんです。あなたがいたときに、松田政男さんという患者さんが変死しましたよね。」
「ええ、そういうことがありました。」
「松田政男さんについて何かご存知ですか。」
「あそこに勤めていて恥ずかしいかぎりなんですが松田さんについては何も知らないんです。とにかくあそこは秘密の多い病院でしたから、そんなこともあってやめたんですが。」
「最初、何で見てあそこに勤められたんですか。」
「インターンで勤めていた病院の紹介ですよ。何しろ破格に給料が良かったんで。」
「あの病院が福原豪の経営している病院だということを知っていましたか。」
「入るときにはすでに知っていました。もちろん、福原さんがあまり評判のいい人物じゃないということは知っていました。でも、鳴り物入りで開設された病院でしたから、働きがいがあるんではないかと思っていましたからね。」
井川がみんなにコーヒーをいれて持ってきた。井川の作業場の方にみんなが座れるようなソファーと椅子があったのでみんなはそこに座って栗田の話を聞いていた。
「K病院をやめた最大の原因というのは何なのですか。」
「われわれ職員でもふれることのできない秘密が結構ありました。松田政男さんが入院していた部屋なんかは私なんかは行くことができませんでしたからね。」
「ほかにもそんな秘密の場所がたくさんあつたのですか。」
「ええ、たくさんありましたよ。」
小沼が鍵を送って来てこの鍵が福原の喉元にナイフをつきつけていることと同じだと言ったことと符号する。
「じゃあ、それらの秘密をあなたが知る機会はなかったのですか。」
「秘密を知る機会はありませんでした。それに知りたくもありませんでしたから、でも聞きたくないと思ってもいろいろな噂が入ってきたことはありましたよ。」
吉澤は不当な強制入院のことかも知れないと思った。
「あの建物の形は随分と変わっていますよね。まるで中世のイタリアのお城のようでしょう。」
吉澤ひとみも松村たちもそのことに同意した。確かに変わった形をしていた。まるで海にうかんでいる鉄製の明治時代の軍艦のようだった。
「何やら言う、新進気鋭の建築家が設計したという話しでしたが、随分と建設費を浮かしたらしいですよ。市が半分、建設費を出すということで建設したらしいからです。そのへんのことは僕もはっきりとは知らないんですけど、作ったのが福原の建設会社ですからね。」
この言葉は吉澤たちにも初耳だった。確かに人目を引く建物だった。新しく建設された病院だったが、あまり新しさも感じることができず丘の上に立つこの異様な建築物は身を伏せたこうもりのようだった。しかし、それは全体から受ける印象であって建物の形は灰色の明治時代の軍艦のようであり、その奇抜な形というのも野心のある建築家の手にかかっているからかということが栗田の言葉からわかったのだ。しかし、建設費のピンハネのようなことにその建築家がどのくらい拘わっているのだろうか。もちろん、福原豪が建築費のピンハネをしているという仮定のもとでの話しだが。
「その建築家の名前はわかりますか。」
「さあ、何て言う名前でしたか。」
栗田はその名前を聞いたことがあるのだが思い出せないようだった。
「今泉寛司じゃなかったかい。」
そういうことに関しては栗田より興味を持っている井川が答えた。
「あっ。知っている。その人。」
吉澤ひとみもその人物の名前を知っていた。コンサート会場として有名な大阪福祉会館を設計したのが今泉寛司だ。イタリアの中世の城塞都市をモチーフにして建築を設計している異例の建築家だ。吉澤ひとみも彼の設計したコンサート会場に行ったときイタリアの中世の城の中に入っているような感じがした。そういった印象を与えられたのは設計者の好みが現れているからだった。K病院を設計した今泉ならあの建物の中の秘密について知り得たに違いがなかった。
「そうだ。前に一度、日芸テレビにゲストとしてやって来たことがあるかも知れない。」
村上弘明は日芸テレビに移ってからそう日数が経っているわけではなかったが彼の姿をテレビ局のロビーで一度だけ見たことがある。そのとき何故そう感じたのかはっきりと思い出せないのだが頭から動物の首を被っているいるような印象を受けた。遠くから担当ディレクターと話しているのを聞く気もなき聞いていたのだが日芸テレビの近所のたばこ屋の話になっていて、そのたばこ屋はずいぶんと古くからそこに建てられていて、その看板が少し変わっていた。その看板を高校時代に今泉寛司は自分が作ったのだと言って笑った。
「随分いい情報じゃないの。」
「そうや、そうや。」
高校生たちは小躍りをして喜んでいるようだったが、まだ若い医者とひげ面の芸術家は彼らの喜んでいる意味が皆目わからないようで、だいたい何故、テレビ局の取材に高校生がついて来ているのか、理解ができなかっただろう。その上、これら三人が小刻みに足を動かして踊っているように喜んでいるからなおさらだ。村上弘明は大人だったから落ち着いてはいたが。今泉寛司は関西では異色の建築家として知られている。コンサート会場として多くのポップス系のミュージシャンが使っている大阪福祉会館の設計を皮切りに関西地区で活躍し始めた建築家だった。大阪福祉会館の設計の成功でいくつかのコンベンションセンターの設計依頼が来たらしい。関西国際空港にあるコンベンションセンターの設計も手がけている。それはみな巨大なコンクリートブロックを組み合わせて建物の立体感と建設コストの低減を狙っていた。建設費の削減ということが大きな課題になっている昨今の現状だからそれは当然のことかも知れなかった。建物のイメージとしては中世のイタリア都市をイメージさせるものが多かった。今泉寛司の言うところでは中世のイタリア都市って現代の都市の原型でしょう。商売がさかんで貿易が盛んで船で海外からいろいろなものが入ってくるし、また国内で作られたいろいろなものが出ていくし。大阪はそんなイメージがぴったりなんだな。そう言って作られた建物は市民を中心とした商人の邸宅とはイメージがほど遠い、封建領主の要塞に近かった。その建物のそばに来ると異様な威圧感を感じ、迷宮に住む魔物を連想させた。そう言った意味でK病院を今泉寛司が設計したことは理にかなったことだと言える。
「あなたは、福原豪があの病院の建設費をピンハネしているかも知れないと思っていますか。さっき、ちらっとそんなことを仰いましたよね。」
「ええ、なんで、あんな無駄に大きな病院を建てたのか、私にもよくわかりませんよ。市の方から建設費がどのくらい出たのかわかりませんが。絶対、あれは建設費をピンハネしていますよ。モニュメントを建てているわけじゃないんですからね。あそこで働いたことのある人間なら、みんな変だと感じているに違いないんです。使っている部屋は半分くらいで、鍵がかかっていて何のためにあるかわからない部屋が半分あるんです。」
「松田政男さんの入っていた部屋もそうなんですか。」
「ええ、でも、あれはちょっと意味が違います。あそこの区画は離れになっていて、私たち一般の職員は一切あそこにはいけないことになっていました。最初にあそこに勤めたとき、そういう確約をとらされていてあそこに許可なく立ち入ると有無を言わせず、解雇になるんです。」
栗田光陽はつまらなさそうに言った。
「だいたい、あそこで働いていた人が何人くらい、いたと思います。あの大きさの病院で二十人ですよ。」
「離れにいた松田政男さんの面倒は誰が見ていたんですか。」
「上の連中の何人かです。福原の言うことはよく聞いていましたから、きっと、彼らは福原から法外な給料を貰っていたに違いありませんよ。」
栗田光陽は自分の貰っていた給与からそういう結論を下しているのか。
「福原豪についてもっと知っていることはありませんか。」
「福原とはあまり会いませんでしたからね。噂によると大豪邸に住んでいるそうですね。」
「ええ、彼の屋敷に行ったことがあるんですが、屋敷だけでなく、その敷地も相当なものでした。何しろ塀がどこまでも続いているんですから、ところで、福原についてこんな噂を聞いたことがありませんでしたか。患者を不当に強制入院させるというような。つまり、患者でもない人間を患者に仕立て上げてK病院に入院させて、禁治産者扱いにするというような噂が。」
「今の時代にそんなわけのわからないことがまかり通るのかい。」
井川が自分の世界と違う世界だという表情で吉澤の方を見た。
「いくら何でもそんなことはないでしょう。もっとも僕の知らないところでどんなことがなされているのかはわかりませんが。」
「沼田さんと言う人を知っていますか。自分では小沼と言って本当はこの病院の経理長だと言っているんです。福原の奸計によって不当にこの病院に入院させられていると主張しているんです。」
「ああ、小沼氏でしょう。その人なら有名でしたよ。自分は海外に行って調査事業に携わっていたのが、福原によって不当にこの病院に監禁されていると主張している人でしょう。」
栗田光陽は頭の尖った始祖鳥の生きていた頃に生息していた小型恐竜の姿を想い出しているのかも知れなかった。
「沼田さんはどういうわけかK病院の中を自由にどこにでも行けたみたいなんですよ。私も何度も沼田さんがここにいるのか不思議だと思ったことが何度もありましたよ。あるときなんか、白衣を着て患者さんの診察をしていたんですからね。」
「きっと、昔、おおどろぼうか何かだったんじゃないの。」
井川が茶々を入れた。
「でも、あの人は確かに病気ですよ。誇大、とまでは行かないかも知れませんが、妄想狂。」
「じゃあ、やっぱり、小沼氏の言うことを真に受けたらだめなんだ。」
吉澤ひとみが残念そうに言った。ひとみとしては小沼が松田政男の変死の謎をつかんでいるのではないかと思ったからだ。小沼の言うことが全て信用できないとすると重要な手掛かりのいくつかは白紙に戻さなければならない。
「じゃあ、小沼さんは本当にあの病院に入れられていたんだ。」
「何としても、あの病院の中にもう一度入らないとしようやないやろう。」
松村邦洋は若年寄のようにあごを手でさすりながら言った。
「今泉寛司って人のことはよくわからないんだけど、何か、あの病院はちぐはぐな感じがするよね。」
「そりゃ、そうよ。中で何がおこなわれているかわからないような病院だもん。」
「いや、そういうことじゃなくて。建物の内部のことじゃないんだ。俺はあそこに入ったことも診察を受けたこともないからよくわからないんだけど、建物の外観について俺の感じたことを言わせてもらえばK病院の本体とたぶん松田政男が入院していた離れとかがあるじゃん。何か、あれがちぐはぐなんだよね。何かつながりがないと言うか。あの離れだけあとからつぎたしたような感じがするんだ。」
井川は芸術家らしい美的観点から意見を言った。そう言えば外から見た感じ、あの離れだけがとってつけた感じがするのは否めない。井川はいつしか、コーヒーを飲み終えて作業場の奥の方からだいだい色の表紙の本を持って歩いて来た。彼は手に持っているその本を村上弘明たちの方へ差し出した。村上弘明は井川の真意をはかりかねて彼の顔をのぞきこんだ。
「これに今泉寛司の住所も電話番号ものっているから。」
井川の差し出した本の表紙には大阪在住アーティストの現在というタイトルが載っていた。村上弘明がその本を開くと、一枚のチケットの端切れが落ちた。コンクリートの床の上に落ちたその紙切れを見て吉澤ひとみは驚いてその紙を拾い上げた。吉澤ひとみは満面に笑みを浮かべてそばにいる松村邦洋や滝沢秀明の顔を首を左右に振って見比べた。
「ほら、これ。あのときのチケットじゃないの。」
「どれどれ。」
松村も滝沢もそのチケットをのぞきこんだ。村上弘明にはなんのことかさっぱりわからず、井川の顔を見た。
「井川さんもあの試合を見に行ったんですか。」
吉澤ひとみは微笑みながら井川に言った。そのチケットというのはいつだつたか、吉澤ひとみが松村と滝沢の三人でクラブの部長から貰ったプロレスの試合のチケットだった。三人は半ぺらの方を試合会場に棄ててきたのだが井川の方は半ぺらを持って来たらしい。チケットがちぎられているということは井川も試合を見に行ったのだろう。
「ああ、それね。俺もその試合を見に行ったんだよ。君たちも行ったの。」
「あのとき、最後の試合に変わった事がありましたよね。最後に出て来たゴーレムというメインイベンターに日本の空手家が挑戦して、やられちゃってそのあと墨染めの衣を着た若いお坊さんがあらわれて、ゴーレムをKOしてどこかに消えちゃったんですもん。」
「何や、君たちもあの試合を見ていたのかい。本当にあの試合は不思議だったな。あのお坊さんは一体誰なんだい。」
その話しは村上弘明にとっても初耳だった。そんなことがあつたのなら、いいネタになったのに。しかし、ここに赴任して来てからこの大阪の新興住宅地に随分といろいろなことが起こっているのだと今さらながら村上弘明は感じた。
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