霧のなかの少女 花村えい子『週刊マーガレット』1967年(昭和42年)14号 母と結婚することが叶わなかったかつての恋人によって誘拐された少女リカは、育ての父を亡くし実母の元に帰る。そこには養女として育てられた少女奈津子が・・・育ての父と実母の愛憎。母を知らずに成長したリカと養女奈津子の心情の揺れ動きを描いたメロドラマ。花村えい子は当初『週刊少女フレンド』に連載の相談をしたが実現せず、『週刊マーガレット』に発表の場を得た。作品は初期の『週刊マーガレット』を代表する漫画に成長し、花村えい子の代表作にもなった。また、タイトルを「家庭の秘密」と変えてドラマ化され、TBS系列で1975年8月21日から同年11月27日まで放送された。

 

花村えい子 1929年11月9日 - 2020年12月3日。埼玉県に生まれる。1958年、貸本誌『虹』に「夢の妖精」を発表しデビュー。63年『なかよし』に「白い花につづく道」を描き雑誌デビュー。少女誌のみならずレディースコミック誌などに作品を発表。89年、第18回日本漫画家協会賞を受賞。そんほかにテレビドラマ化された「霧のなかの少女」「花陰の女」「花びらの塔」などがある。 

 

今までのお話・・・由布子夫人は、江の木明という恋人がおりながら、家庭の事情で一条家へ嫁にいった。まもなくリカが生まれたが、江の木はリカをさらい北海道へ逃げた。夫人は奈津子をもらい育て十数年たった。釧路に旅した夫人は、ぐうぜんリカにあい、リカは事情を知って東京へきたが、やはり江の木が恋しく釧路へ・・・。

 

花村えい子「霧のなかの少女」という作品についてから・・・ 集英社では、長期連載をする際には、作品の舞台となるところに取材旅行をさせてくれました。・・・襟裳岬は寂しいところでした。濃霧が立ち込め、崖に小さな灯台がわずかに光をにじませているだけ。当時一軒しかなかった宿からすぐなのに、文字どおり荒涼とした風景でした。・・・夜になると、小さな宿の明かりと、灯台の淡い明かりが見えるだけ。岩を食む荒い波。「最果て」という言葉がぴったりでした。倉持さん(同行した担当編集者)は翌朝、宿に私の姿がないので岬にいってみると、遠目には私が泣いているように見えたそうです。もちろん泣いていたわけではありません。風景に魅せられて立っていたのですが、そう見えるほど、うら悲しい情景だったのでしょう。私は「ああ。リカちゃんのお父さんが死ぬのに絶好の場所だ」と考えていたのです。作中のリカのお父さん(本当の父ではありません)が、赤ちゃんをさらって育てます。もともと死ぬつもりでしたが、幼いリカを道連れにはできず、遠く北海道でリカを育てます。運命に翻弄されるリカ。そういう設定で「霧のなかの少女」は始まりました。創作にあたっての現地取材がどれだけイマジネーションを駆り立てるか、ということが初めてわかりました。花村えい子著「私、まんが家になっやった⁉︎」より

 

担当編集者 倉持功「霧のなかの少女」の思い出から・・・ 取材旅行のエピソードはたくさんあるのだが、最も印象に残ったことを一つだけ書いておく。〈リカのいる広尾の町から少しはなれたえりも岬 人気のない夜のだんがいに江の木明は立っていた はげしい波が岸ぺきにくだけ目の下でくるったようにうずまいている〉取材当時、襟裳岬は寂しい場所であった。岬の突端に小さな旅館が一軒あるだけで、あとは白く立ちこめる霧があるだけの、物語のクライマックスに相ふさわしいところだった。朝、花村さんの姿が見えないので、表へ出てみると、花村さんは一人で海をみつめて立っていた。江の木明を想っていたのか、梨の花のイメージから名前をつけた主人公リカの人生を想っていたのか。私には花村さんが泣いているように見え、声をかけずに、宿へ引き返した。「霧のなかの少女」発行小学館クリエイティブより

この回終わり

 

1967年(昭和42年)20号

20号までのお話・・・江の木のパパが死に、リカは生みの親である由布子夫人のところへもどってきた。しかしそこには、貰い子ながら、小さいときから育てられた奈津子がいた。表面は仲よくしてもリカと奈津子の心は、おだやかでなかった。それを知った由布子夫人の心もみだれにみだれた。奈津子はしだいに不良グループに・・・。

 

花村えい子と『なかよしブック』1963年(昭和38年)5月号から始まった競合誌『りぼん』の読切別冊付録『りぼんカラーシリーズ』B6版130頁は、愛と感動の物語をテーマにした作品群で瞬く間に読者の大きな支持を得た。『なかよし』も遅れること2年、1965年(昭和40年)5月号から花村えい子による連作で読切別冊付録『なかよしブック』B6版を始める。

 

5月号「ともしびよ永遠にジャクリーヌケネディ物語」98頁・7月号「おかえりなさいトモ子さん松島トモ子アメリカ日記」66頁・8月号「わかれ道感動の名作映画」66頁・9月号「黒潮のはてに子らありて青が島教師10年の記録」66頁・10月号「なみだの折り鶴原爆から生まれた歌手扇ひろ子さんの物語」66頁・1966年(昭和41年)6月号「安寿と厨子王名作物語」130頁

花村えい子の『なかよしブック』花村えい子による連作読切別冊付録『なかよしブック』は途中に中島利行の「ほたるの光」と「あしながおじさん」をはさみ、通算14ヶ月、全12作に及んだ。

 訂正:長崎の鐘12月号・安寿と厨子王6月号

 

 

 

 

 

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