少年ブック 1964年(昭和39年)4月号 前年の11月号から連載が始まった手塚治虫の「ビックX」は連載当初から人気作品の定番である本誌から別冊へ続く連載形式であった。次号はB6版120頁の別冊で読者指示に応える。「ビックX」の人気に続けとばかりに6月号からは吉田竜夫の「宇宙エース」の連載が開始される。「ビックX」と「宇宙エース」は共にテレビアニメ放送の開始と相まって『少年ブック』を代表する人気連載漫画となった。この号は新連載漫画が二作品あり、川崎のぼるの「忍び狼 はやて」は、すでに連載中の人気漫画「大平原児」と二作同時連載。望月三起也の「飛燕」は日本傑作戦闘機シリーズと冠した読切連作で、以降、②ゼロ戦 ③隼 ④屠竜 ⑤紫電改 ⑥雷電 ⑦月光 ⑧紫電ま で8回の連載であった。
『少年ブック』5月号予告 すごいぞ!日本一の少年雑誌・少年ブック大サービスの5月号
♣️ ①別冊「ビックX」たっぷり読める単行本以上の豪華第別冊 ②忍者屋敷 たくみにしくまれた忍者屋敷のからくり!そのすべてが、ズバリわかる、日本ではじめての傑作組立付録です!③別冊「はやて」④別冊「ニッコリ大助」⑤別冊「白虎戦車隊」
ビックX 手塚治虫 4色3+2色4頁+別冊
★あきら少年は、博士からゆずりうけたビックXのシャープを注射して、サイボーグになり、ナチス同盟と対決したが、はかりごとにあって、あれはてた土地の収容所に、ほりょになってしまった。つらい労働のすえ、シャープをやっとうばいかえしたのもつかのま、あきらは敵にかきこまれてしまった。★ビックXの計画は失敗したようだ。ナチス同盟の銃口がせまってくる。ビックXがうったつぎの手は・・・
★敵の戦車隊はせまってきた。だが、ビックXももとにもどったぞ!この決断は別冊ふろくで楽しもう!
忠臣蔵だよ カン太郎 赤塚不二夫 4色1+15頁
★刀でころすのはカンたんさ、カン太郎はわらいころすよ、ハをくいしばって、さあよもう!
忍び狼 はやて 新連載 川崎のぼる 2色3頁+4+別冊
★いまから350年まえ、天下をねらう徳川と豊臣は、強力な兵器天雷火砲の設計図をめぐって、徳川は服部半蔵十人衆、豊臣は真田の忍者霧隠才蔵を大将とする黒風組をつかって、たがいに死闘をくりかえしていた。★ゴォーッ!服部十人衆をギョッとさせた、ものすごい竜巻術・・・あらわれでる忍者は、いったいだれが⁉︎
飛 燕 新連載 日本傑作戦闘機シリーズ① 望月三起也 2色1+19頁
★さあ、はじまったぞ!望月三起也先生の傑作戦闘機まんが!しらないともだちにもおしえよう!★日本傑作戦闘機シリーズの企画は、清水市宮代町の川瀬寿弘くんのアイディアを参考にしました。川瀬くんありがとう。
次号予告『ゼロ戦』日本傑作戦闘機シリーズ②
★日本人なら、みんな知っている!世界にほこる空戦の王者・ゼロ戦が、いよいよ5月号で大あばれします!
風雲児ケン 最終回 貝塚ひろし 2色折込み+21頁
★あらすじ 剣城の若殿・二階堂剣之進(ケン)は家老に城をうばわれ、父をころされてしまったが、忍者・トビ猿のヒントをうけ波切り抜刀剣をえとく、みごと、父の仇をうった。しかし、天下を左右するという秘密兵器作成図事件にまきこまれ、織田信長の命令一下、伊賀七忍は、ケンの命をすきあらばとねらっていた。
次号予告『ニッコリ大助』貝塚ひろし
★講道館柔道をよき手本として、練習にはげむ主人公・大助!つぎつぎおそいかかる柔術・空手・ボクシング・プロレスをうちやぶり、日本柔道の伝統をまもる我らが日本男児・大助!
なくなモサ太郎 伊東あきお 8頁
★ナミダがでるほどおもしろい、爆笑よみきりまんが!ヨワムシ息子が、ある日とつぜん・・・
けいれい!しんぺいくん 山根赤鬼・青鬼 16頁
★スパイのしわざか、つぎつぎおこる爆発事件!コンペイ島中隊大さわぎ‼︎
メソ吉くん 読切 菅島勢吉 16頁
★このまんがを読んで笑えなかったら・・・すぐお医者さんにいってください!
大平原児 川崎のぼる 第三話「血ぞめの拳銃」4色1+2色1+25頁
★いままでの話 南北戦争が終わった頃、幼な友だちの保安官を暗殺されたチャーリーは、真犯人をもとめて西部の町へやってきた。流れ者バーレット兄弟は、町のひとびとを苦しめ、その上、AT牧場をねらっていた。やがて、真犯人は、兄弟がやとった殺し屋ジャックとわかったが、証こがない。チャーリーは保安官を志願した。ある日、牧場主ストック氏殺しの現場を目撃して、バーレットの弟をとらえた。怒った兄は、気の弱いストック氏の息子モロスをだまして、チャーリーを死の谷におびきよせ、出口をふさいでしまった。
★西部の町にふたたび平和がもどった!親友の仇をうち、人びとに惜しまれながら、チャーリーは去っていった‼︎
忍者作戦 え:小松崎茂 4色1+2色折込み+8頁
世界のオートバイ王 チャンスをつかもう① 本田宗一郎 8頁
★はげしい闘志をもやして、チャンスをつかんだ、修理工本田少年は、どうして、世界一のスピード王になったか?★本田宗一郎は明治三十九年、浜松市に鍛冶屋の長男としてうまれた。少年のころみた自動車に夢中になり自分も、自由にのりまわしたいと、思いつづけた。その願いが、アイデアをうみ、チャンスをつかんで、優秀なオートバイを作った。今日では、従業員五千名、年間一千億円のうりあげのある大会社、本田技研工業をきずきあげ、世界のホンダとよばれるようになった。