ここからは、「STEINS;GATE シュタインズ・ゲート」の「ネタバレ有り」の感想です。







※以下、ネタバレがあります。








 って事で、「シュタインズ・ゲート」です。

元々はゲームがオリジナルですが、アニメは昨年2011年に2クールに渡って全24話で放送(Blu-ray・DVDセル最終巻に第25話がOVAで収録)。

その当時はチラリと名前をネットで見かけた程度で、何か(ネットかテレビ放送)でチラリと本編を観て、ヲタクアニメっぽい印象を強めた作品です(;´∀`)

まさか、観終わってみれば「まどか☆マギカ」と並ぶほど神アニメだったとは・・・

 物語はタイムマシンを扱っているタイムトラベルもののSF。

一見するとヲタ向け萌えアニメっぽい感じがするんだけど、中盤以降はもうシナリオが見事すぎて、こりゃ下手なハードSF小説よりも見応えのある物語では?と思ってしまった。

冒頭の何話かは、ラボメンたちのキャラの日常を延々と描く地味目のヲタアニメっぽい感じだった。
電子レンジが云々とか、小規模実験を展開してはいるけれど、あくまでも萌えとコメディ中心のアニメだ・・・と思っていたわけです。

ところが、岡部たちがDメールを開発して、そのDメールの内容によって過去が改変されて「現在」が少しずつ変わっていくって展開が出始めた時点で「お!」と感じ始めました。

このDメール、最初は「宝くじを当てる」って他愛もないネタだったのですが、それが「るか」のエピソードあたりから結果の変化が現実を大きく・・・と変え始めて、その時点で「おお!」に変わって行きました。

このあたりから、彼らが開発したDメールを送るタイムマシンが、単に金儲けや遊びの域を通り越して、現実を別のものにする恐怖を感じさせるものへと変わっていくのです。

それを決定づけたのが、アキバから萌え文化が消えてしまったエピソード。あの時点ではまだ「悲劇」とまでは言えなかったのですが、それでも観ている私は現実の変わり方の大きさに危惧を一気に抱いたエピソードでした。

ドラマ的に未来の世界が大きく変わる展開の物語であるのは分かりきっている。そして会話の端々からその原因がCERNの開発したタイムマシンでは無いか?とラボメンが思っている事も分かる。

でも、観ている私は実はCERNのタイムマシンではなく、岡部らラボメンが創りだしたタイムマシンこそが、将来世界を危機的状況に追い込むのでは無いか?と薄々ながら感じていたのです。

 最終的に、この物語が強烈なドラマであると感じさせたのは、例の「まゆり」のシーン。

第12話ラストでいきなりラボに乱入してきた萌郁以下数人の武装集団。
その中で不必要とされたまゆりが萌郁によって銃殺される・・・・

その衝撃のシーンのシリアスさは冒頭のチャラけた感じからは全く想像出来なかった。ここより物語はハードな展開へと突入する。

次回以降、岡部は(ここから開発された)タイムリープマシンを使って記憶を過去に転送して、物語を「自分自身の手」で改変しようとする。Dメールでは間接的にしか干渉出来なかったが、このマシンが出来た事によって、「自分」で全て行動出来るようになる。
このあたりも一気呵成な展開を可能にした設定ですね。

だが、そのタイムリープで過去を変えようとしても、まゆりは死んでしまう。別の出来事で。
それを変えようとさらに過去に戻るが、やはりまゆりは死んでしまう・・・別の出来事で。

こうなると運命だとか神の手が干渉しているのでは?と思いたくなる展開で、観ているこっちも鬱になりかける話ではある。
このあたりはどこか、リメイク版の映画「タイムマシン」の冒頭あたりを思い出させる。

このアニメが素晴らしいのは、そこにダイバージェンスメーターの概念を導入して、時間軸がより合わさった紐のような形になっていて、過去を少し変えただけでは起こる結末が変わらないって設定にしている点。
これによって、ダイバージェンスメーターの値が1を超える事を起こさないと、まゆりが死亡するってこの時間軸からの移動は無いって事に。

ここからクライマックスへは、一人悩んでいた岡部が今までの出来事を転移した時間軸の紅莉栖(や他のラボメン)に話して協力を仰ぐ展開になる。

ここからは、ダイバージェンスメーターを1にする為には、過去に送ったDメールを取り消す作業が必要だと考えて、今までの出来事を一つづつ遡っていく作業に入る。

全24話って物語は、観る前は「ちょっと長すぎるのでは?」と感じた。事実、冒頭の10話くらいまではけっこうスローテンポで、この話数は多すぎるようにも感じた次第です。
でも、後半のこの「Dメール取り消し」で、いままでの物語を逆に辿っていくって展開は素晴らしかった。これを描くためには、確かに24話の2クール必要だな、と納得した次第です。

折り返し地点から逆にスタートに戻っていくって展開は素晴らしい!
しかも、それが前半の展開とは違って、次第に悲劇性を増していくあたりが良い。

 その折り返し点となるのが、第一のクライマックスであった「第16話」です。

 このエピソードでは、未来からきた阿万音鈴羽がダルの手を借りてタイムマシンを修理して、最初の目的地であった1975年に向かう展開になる。

前半部分では、鈴羽がラボメンと急速に仲良くなっていって素敵な時間を共に過ごす姿が微笑ましく描かれている。

さらには、鈴羽が2010年に立ち寄った目的である「父親探し」が、まゆしーの名推理によって父親が実は「ダル」だったと判明するシーンも見事!これはなかなかに良かったなぁ。
ダルと鈴羽が親子の対面をする場面でも、すこしコミカルさは入れているものの、鈴羽の感激の涙にこちらもホロリとさせられる。

・・・それが・・・

後半に入って扉の向こうに鈴羽がIBNを持って立っているのか?と思いきや、階下の家主ミスター・ブラウンが。そしてブラウンが手渡した手紙には・・・

「失敗した、失敗した、失敗した・・・・」

これには頭をガツン!とやられた(;´Д`) もう死にかけた。

最初は岡部の声で読み上げていて、「失敗した」のあとに岡部と鈴羽の声が重なって「失敗した」と続いた場面では、引き続き文面を鈴羽の声で読み上げるのかな?と思っていたら、そのまま鈴羽の声で「失敗した、失敗した、失敗した・・・」と延々と続き、画面にも「失敗した」の文字が並ぶ文面が・・・

この時点でやっとそれが延々と書かれた文章であると気付かされ、ガツンとやられたわけです。
そのラスト、「こんな人生は無意味だった」と締めくくる文面の辛さは、観ていて胸が締め付けられるようだった。途中、鈴羽が血を流しながら両目を見開いて涙を流す映像、これが決定的だった。

その後聞かされた鈴羽の死の様子が実は「自殺」だった・・・ってのが追い打ちをかける。
彼女は記憶が戻ってミッションに失敗したと気付いた瞬間、自分の人生を悔いて1年後に自ら命を絶ってしまったのだ。

このエピソードのあとは、少し続きを観る気が失せてしまった。それほどまでに強烈だった物語だ。

その後は、各キャラの送ったDメール取り消し展開で、フェイリスやるかを主人公にしたエピソードが1話ずつ続きますが、すこしダレが感じがしたのは否めません。

 ところが次に第22話が待っていた。

幾つかDメールを送った時点で、残すは岡部が最初に(偶然)送ったDメールだと気付くのだが、その内容は・・・そしてそれによって変わった出来事は・・・紅莉栖の死・・・

この時点で、そのDメールを取り消す事によってまゆりは助かるけれども、紅莉栖が死ぬ時間軸を受け入れないといけないって展開になる。

この悲劇性。

これは第16話と並ぶ悲劇的な展開であり、その時点で、幾度も繰り返す世界の中で、唯一リーディング・シュタイナーを持ち全ての時間軸展開での記憶を有する岡部にとっては、その重ねた時間だけ牧瀬紅莉栖と過ごした時間が積み重なっていった。

あの最初のつっけんどんな感じからは大きく変わり、聡明ではあるけれども人情的であってツンデレであって、非常に可愛らしい側面がある紅莉栖。
これほど絵に描いたような見事なツンデレぶりは無いぞ!って感じで、しかもネラーであったりコスプレに興味がありそうだったりと、突っ込みつつも突っ込まれるキャラってのが素晴らしい。

その中で、岡部が紅莉栖を「クリスティーナ」と茶化さずにちゃんと「クリス」と呼んだ事を、紅莉栖自身が「この事を別の時間軸の私は知らないんだな」と残念がる様子を見せる。
つまり、彼女自身もいつしか岡部に・・・

それらの積み重ねのクライマックスが第22話の展開。

岡部が最後のDメール取り消しに二の足を踏むのに苛立つ紅莉栖だが、とうとう岡部がその事実を語ると紅莉栖も自らの運命を悟る。
その悲劇性の中で、二人が互いの愛を確かめ合う後半の展開は・・・もう胸キュンでキュン死してしまった。

外で雨が降る中、岡部がいつものチャラけた態度を払拭して真剣な顔で紅莉栖に「俺はお前が好きだ」「お前はどうだ?」と言ったのに対し、頬を思いっ切り赤らめて照れ、「と、言いますと?」と言う紅莉栖が死ぬほど可愛い!

その後交わされる二人の会話とキスシーンは素晴らしすぎる。これは「とらドラ!」のキスシーン以来か、それ以上のときめきがある。

最初の何話か観た時に、誰がこんな完璧な胸キュン恋愛ドラマを想像出来ただろうか?・・・と。

駅前の別れのシーン、わざとドクペを放り投げて振り向く前に「さ・よ・な・ら」と言う口の形が哀しい。
哀しいのだが、それ以上にタイムリープするキーを押した瞬間、走って戻ってきた紅莉栖が「わたしも岡部の事が・・・」で途切れるシーンに再び滂沱の涙が・・・

その後、勝利宣言をする岡部の姿、声の素晴らしさ。
過去と同じく厨二病発言をしているにも関わらず、そのセリフが素晴らしく悲劇性を兼ね備えている辛さの演出は素晴らしい、観ていて哀しいのだ(;´Д`)

そして変則ED。

この時点でほぼ最終回・・・と言っていい見事な終わり方だったんだが、終わったと見せかけての変則EDにはホラー映画のように驚かされた。これは素晴らしい。
観ていていきなりノイズが走ったので、観ているPCが何か電波障害でも受けたのか?とか思ったらブーブーと携帯のバイブが・・・そこで再びの鈴羽登場に「鈴羽キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!」と思いながら「第三次世界大戦を防ぐために」とのセリフで見事な引き・・・

 とまぁ、第16話のあまりにも哀しい手紙と、この第22話の悲劇の恋愛展開に見事な変則EDでのサプライズには、痺れまくりだった。

よくアニメの凄い回の事を「神回だ」と評する場合がある。

まぁ、これも使い古された言い回しであり使われすぎな気がするので、あまり私は使いたく無いのだが、比較的最近では「まどか☆マギカ」の第10話は文句なしの「神回」だった。
あれは素晴らしい。20分ちょっとの物語の中であれだけの物語を詰め込んで全くダイジェスト感を出さずに全てを語りきる素晴らしさ。

それ以来の神回だと言えるのが、この「シュタインズ・ゲート」の第16話と第22話。

第22話を観てしまうと、どうしても第16話の記憶が薄れそうに成るんだが、1話から観ていて一番最初に強烈な衝撃を受けるのは間違いなく第16話であり(第12話のまゆしーのシーンもそうだが、物語1話としては)、神回だと言って間違い無いだろう。

それ以上に、恋愛の悲劇性をここまで高めた第22話は、まさかの一つのアニメで2つ目の神回認定となったわけです。

 ただ、私はこの第22話のボルテージは素晴らしいと思いつつ、果たして残り2話でこの上げまくったハードルを超える物語が描けるのか?と不安になってきた。

思えば、先日ハマった「あの夏で待ってる」も、その最終話の着地点は完璧な大満足・・・とまでは行かなかった。神回があった「まどか☆マギカ」も、残り2話でその神回の第10話を超える事は無かった。

が、この「シュタインズ・ゲート」は第22話で上げまくったハードルをラストのラストでいとも簡単にクリアしたのだ!

まぁ、ラスト2話の展開が完璧に良かった・・・とは思わない。逆に幾つか突っ込む所や不満点がある(後述)。

にも関わらず、最終話第24話のラスト、全てが終わったと思ったあとのラスト・パート(アニメだとエンドクレジット後のCパートに当たるのかな?)で、岡部が全てのキャラクターと会って行く展開の中、再び巡りあう事は無いだろうと思っていた紅莉栖・・・

その紅莉栖と岡部が人ごみの中ですれ違う瞬間、ストップ・モーションに・・・

いや、この文章を書いているだけで鳥肌が立ってきた(;´Д`) それほどまでにこのシーンは素晴らしかった。それだけで鳥肌が立って泣けてきた。

紅莉栖が、自分の命を助けてくれた岡部に会いに来る。それだけなんだけれど「だから私はクリスティーナでも助手でも・・・あれ?」のセリフに再び感動。

物語の後半で、まゆりの台詞の端々に別の時間軸の記憶が残っているような感じがあったのだが、どうやら紅莉栖も全ての記憶が無くなっているのではなく、断片的だが岡部が経験した別の時間軸の記憶が残っているようだ。

完璧では無い。けれども、その断片的な「想い」はやがて紅莉栖から岡部に対する現実の想いへと変わっていく弾みになるのでは?と一瞬で想像出来て、感動してしまったのです。

 この第22話から第24話までの3話、これは本当に素晴らしい。

どう考えても悲劇としてしか終わらないだろうと思える展開。普通なら、やはり第22話のラストでの紅莉栖との別れが最後で、紅莉栖を犠牲にしてまゆりを助けるって終わりか。

或いは、その後の第1話へもどるミッションで、紅莉栖を助けるつもりが実は未来からやってきた自分が紅莉栖を殺す事になるって悲劇性で終わる。

或いは、最後の最後第24話で描かれたように、まゆりを助けて尚且つ紅莉栖を助ける為に岡部が自ら犠牲となって自分の血を流して絶命する展開で終わるか。

普通なら、そういった悲劇性で終わらた方が感動的に終わらせやすいし、印象に残る終わりにしやすい。逆に、これを超ハッピーエンドのパターンで終わらせようとすると、どうしても無理が出てきて「ご都合主義」な印象が強くなってしまって、感動よりもご都合主義が上回ってしまうオチになってしまう。

それを、この作品は描ききった。「超ハッピーエンド」のパターンで、誰も死なずに皆が助かった世界も救えるパターンの中で、これだけ胸キュンで感動させて満足させるオチにしたってのは素晴らしかった。

 まぁ不満を感じる人も居るでしょう。恋愛ネタが苦手な人や嫌いな人は、これだけ超甘々なラブ・ストーリー展開で終わるのはどうも・・・って人も居るでしょうし、万人に受けるオチだったとは思わない。

でも、この哀しみと感動のラスト3話の迫力は、これは本来ならTV版「「エヴァンゲリオン」の最終2話で視聴者が観たかった展開そのものなんじゃないか?と思ってしまった。

内面的世界の描写で完結してしまった「エヴァ」最終2話だが、本来ならカヲルくんの悲劇的なエピソードが終わった後にシンジとアスカ、レイの3人の物語で描かれる恋愛ドラマ、世界を救うドラマの大団円の超ハッピーエンドが皆見たかったのだと思う。
その期待値を、この「シュタインズ・ゲート」のラスト3話が軽々と超えてくれた気がします。

 さて、そのラストに関してですが、特に要となる第23話・第24話の展開に関しては、正直、不満や疑問が無いわけではありません。

まず、紅莉栖が死ぬ事になる場面では、おそらく未来からやってきた岡部か鈴羽が紅莉栖を殺す犯人では無いかな?と思っていた。
どちらかと言えば鈴羽が岡部を悪用して、紅莉栖の殺害場所と時間を特定し、その場所に連れて行く為に岡部をタイムマシンに同乗させて過去に連れてきた・・・のでは無いかな?と想像。

それが、実は父親との諍いの中で、実の父親に殺されそうになった紅莉栖を助けようとして、逆に岡部が紅莉栖を刺す事になるとは。
正直、これがエンディングであっても良いと思えた(;´Д`) まぁ彼自身が紅莉栖を刺す事になるのは、うすうす感じていたので衝撃度は少し低いとは言え、ドラマとしては「あり」な展開でしたね。

まぁ、ここまではほぼ完璧だったと思う。問題はこの次、最終話の展開。

未来からの動画の中で、未来の岡部が作戦を披露する。これが、実は紅莉栖を助けて世界も救える唯一の方法だって事で、立ち直れない感じだった岡部がまゆりの励ましもあって一気にマッド・サイエンティストとして復活するあたりは、盛り上がった。

でも、その助ける方法が「紅莉栖が殺された、と過去の自分に勘違いさせるって方法だったのは「?」な部分がありました。
時間軸を移転させる事でしか、その人物の運命を変えられないって事だったから、紅莉栖が殺されなかったとしても、別の方法で事故死とかするんじゃないか?とか・・・それを勘違いさせるだけで助けられるのか?・・・と。

このあたりは、いままで緻密に展開していた物語が、一気にご都合主義になったように思う。
しかも、クライマックスの一番良い点だったんだから、その点は誰しもが納得行く展開で終わった方が良かったように思います。

もう一点は、その作戦の中で血糊が固まってしまって、自分の血を使って目的を達成させるって展開。この場面で、岡部が自らの肉体を犠牲にして紅莉栖とまゆりを生き残らせる時間軸に転移させるのかな?と思った。
その場合、悲劇的なオチとしてそれはそれで非常に素晴らしいのでは無かったかな?と思う。

でも、それを打ち消して、実は入院して助かっていた・・・と分かる第24話のラストあたりでは、ちょっと肩透かしを食らった気もしますね。

でもまぁ、この第23話から第24話にかけてのご都合主義的展開ではありますが、第24話の最後の最後、岡部と紅莉栖の再開シーンの素晴らしき感動で、全て不満点が吹き飛んでしまいました(;´∀`)
それら不満点や疑問点を全て吹き飛ばす素晴らしさと感動がラストにはあったのです。

 と言う事で、この物語はここで終わりますが、実は続きがありまして・・・

Blu-rayとDVDのセル版の最終巻に第25話としてOVAが収録されています。
それをとある方法で観たのですが・・・その感想はまたいずれ(;´∀`)

 いずれにしても、このアニメは全体として「神アニメ」と認定しました。

これだけ素晴らしいアニメが私の情報アンテナに今までほとんど引っかからなかったのが不思議なほどで、たぶん萌え系ヲタアニメって先入観がかなり足を引っ張っていた気がします。

繰り返す時間、タイムトラベルを扱った物語の中で素晴らしい作品では、アニメだと「時をかける少女」、「魔法少女まどか☆マギカ」第10話あたりが最高だと思います。

或いは映画だと「ある日どこかで」と「タイム・アフター・タイム」でしょうか?

小説ではケン・グリムウッドの「リプレイ」、ジェームズ・P・ホーガンの「未来からのホットライン」、グレゴリー・ベンフォードの「タイムスケープ」がベスト3。あとディーン・R・クーンツの「ライトニング」ってのが「ターミネーター」風であり、ラブロマンスとサスペンスを上手く絡めた非常に面白い娯楽小説でした。

他にもも、悲劇的な人類滅亡の危機を救うために、未来から過去にやってきてその原因を変えようとする映画に、テリー・ギリアム監督の「12モンキーズ」って作品と、その原案となった短編映画「ラ・ジュテ」があります。

「ラ・ジュテ」は1962年のモノクロ短編映画であり、写真を連続して映しつつナレーションで物語を語る独特の手法で描いた作品。
「ラ・ジュテ」は第三次世界大戦で滅びそうになった未来からやってきて、リメイクの「12モンキーズ」ではウィルスによって滅びそうになった未来から、その原因を変えに過去にやってきた主人公の運命を描きます。

「シュタインズ・ゲート」の登場人物の一人、阿万音鈴羽の視点からこの物語を観れば、まさに「ラ・ジュテ」や「12モンキーズ」を思い出してしまうのです。

タイムリープがもたらす悲劇性と感動のドラマ、これは「シュタインズ・ゲート」では完璧であり、もっと広く多くの人に知れ渡って欲しい名作でしたね。
特に、岡部がリーディング・シュタイナーと呼ぶ能力を持っていて、彼だけが全ての記憶を持っているのがより悲劇性を高める結果になっていたと思います。