こんばんはニコニコ まねおばけです。






きょうはゆっくりさせていただきましたー、青空がまぶしいくらいお天気も良くて🌸キラキラ温かい日になりました。







あの日も。






8年前のあの日も、昼間はきょうみたいにこんな風に晴れていました。言わずともご存知の、のちに東日本大震災と名付けられた大災害のあった日です。







私は。。。前日まで九州にいました。
翌日に仕事の予定があったので3月10日の夜に、大分空港から飛行機で羽田空港に戻ってました。そうだ。びっくり







今思い出しましたが、大分空港で飛行機に乗る列に並んでいたら、私の前に 元NHKアナウンサーだった草野仁さんが立っていらしたんですよね。同じ便でした。







帰宅時間が予想以上に遅くなって夜になって。。。






妹に、私たちが不在の時のわんこのお世話を頼んでいたものの、私が家に着いた頃には わんこがひとりでぽつんと待ってて。急いでお散歩行って、ごはんあげて。







翌日のお教室のための着物などを支度して、私も慌ただしく夜ごはんを食べて。。。







一緒に行っていた両親はキャンセル待ちの飛行機に空きがなくて乗れなかったから、私だけ戻っていました。







当日の朝は、またわんこをお散歩して、ごはんあげて、お化粧したり私も着物を着たり。必要なものをまとめて持って予定通り、当時、歩いて2kmくらいの距離にある呉服屋さんへ行きました。







最大の地震が発生した時は、呉服屋さんの1階奥にある和室に生徒さんとふたりでいました。呉服屋さんの建物は鉄筋コンクリートの壁で囲まれたビルです。







着たり脱いだりするお教室をやっている最中でしたので、お店のお客様に見えないように障子を閉めた状態でしたが、中にいても店内の棚の上に乗っていたものが落下して破損する音は聞こえていました。







生徒さんは地震が発生したので、子どもが家に帰ってきていると心配だから帰りたいと言われ、私も退室して。その日のお教室は途中で切り上げて、おしまいとなりました。






でも。その時は東京は震度3くらいだったんです。最初はそれほど大災害になる感じとは思わなかったんです。







呉服屋さんを出たあと、いつもなら自宅まで草履履いてのんびり歩いて帰る道のりなんですが、なぜかバスに乗って帰ろう♪と思って。最寄りのバス停で 確かバスの到着まで10分くらい待ちました。







あとあと公共の交通機関は止まってしまうのですが、その時は普通にやって来たバスに乗って。。。車内では、ひとり掛けの座席に座れたんです。








しばらく乗っていると、道路が渋滞し始めて バスはなかなか動かず、車窓から外を見ると人がたくさん歩道に出ていました。
特に病院の前には入院した人や白衣を着ている人も多くいました。







バスは波の上にいるみたいに片輪走行するような感じで左右に揺れたり、運転手さんが気を利かせてて車内放送でテレビかラジオの音声を流してくれていました。また、公園の遊具の揺れ方で、断続的に地震が発生しているのも目視でわかりました。







けっこう長い時間、バスのなかに乗っていました。ふだんならそんなかかるところではないのに。道路が渋滞していたからかもしれません。







バスを降りて、歩いて帰宅したら、九州にいるはずの両親が家に帰ってきていました。座席が取れたので大分空港から飛行機に乗って、その日の午前中に帰ってきて被災していたのです。







誰もケガはないしわんこも大丈夫でした、しかし家の中で箪笥の上の日本人形のガラスケースが落下していたり、食器棚の中がちょっとだけ散乱したり、本棚の本が出ていた程度でした。







それから。着物から洋服に着替えて、テレビのニュースを見て ことの重大さを知りびっくりしました。東京も余震が続いていて、いつ揺れるかわからない感じの中で船酔いしているような、めまいがするような感覚がありました。








今も、緊急地震速報の音を聞くと 瞬間的に緊迫感がきます。身構えるというか。







8年前のこと、結構鮮明に覚えてますね。







自然には抗えないです。







たまたま、私は無事だった人なんだけども、発生した場所や状況や。偶然にも一致していたら私も災害に遭っていたかもしれません。







ただただ被災された方々に対して、被災した動物に対して、被災した町や畑やすべてを知るとき胸が痛くなるのみです。