19世紀末清の時代(満洲族が中国を統一した時代)
山東半島に権益を持つドイツが宣教活動をして、宣教師達が教会を次々に建てていった。

そこで立退きを強いられた地元民達が大刀会(自警団のような武術組織)に助けを求めます。
大刀会は神拳(武術道場)と一緒になって教会を攻め、宣教師を殺し土地を取り返すことに成功します。
その噂が広まり、彼らは活動を広げていきます。
次第に噂は着色され『武術集団がドイツ軍に勝った』とされた。
困ったドイツは、義和団を追い払うように北京の袁世凱に頼みます。

袁世凱は山東省へと進軍し、義和団を山東半島から追い出した。
義和団は山東半島を追われたものの、武器にも屈しない強靭な体の武術集団という噂から人気を博しており20万の勢力へと拡大した。
(義和団は元々ドイツ人を追い出す事から始まった組織であり、中国人には手を出さない事をモットーとしている。)
しかし、この頃の義和団は20万の兵を養えずにいた。
そこで義和団は北京の西太后にお願いをして清の正規軍となり、北京へと進軍した。
首都である北京には外国の大使館が集まっており、この義和団は外国人大使館を襲うようになります。
■1900年
これを機に清国は列強国を北京から追い出すべく義和団を支援して諸外国に宣戦布告します。
各国は北京に出兵し、8ヶ国連合軍と清との国家間戦争に発展した。
約2ヶ月に及ぶ戦争の末、義和団は鎮圧されます。
各国は清に抗議したが、外国人の身の安全を保証できなかったため『北京議定書』(1901年調印)締結の末、
各国は自分達の身を自分達で守るべく、それぞれの軍隊を駐屯させました。



