香港に住んでいた頃、両親と姉が訪ねて来た。

数日間、3人を案内したのだが、英語があまり話せない家族を連れてガイドするのはかなり骨が折れるもので、海外旅行の団体ツアーで働く添乗員さんの気持ちがよく分かった。

うちの家族は、決しておとなしくはないはずだが、相手が外国人となれば、人が変わったように、皆、お行儀良く口を貝のように閉ざして開こうとはしなかった。


母親だけは、途中から慣れてきたせいか、毎度のお喋り好きな性格が戻ってきて、理由は分からないが、何故か愛想を振り撒き、笑顔で「ありがとう」と答えるようになった。ウインク ありがとうより、サンキューの方が通じるであろうが…とは思ったが、香港人は日本人には優しい。向こうも笑顔で返してくれていた。


香港名物のトラムの2階に乗っていた時、ちょっと薄汚いごちゃごちゃした街並みが面白かったのか、母親が乗り出して眺めていた。


母親の窓側の席には、まっすぐ向いて座っている女性がいたのだが、母親の視線は、その人の横顔を素通りし、外を楽しそうにじっと眺めていた。その女性が、自分を通り越して外を眺めていた母親に、「席を変わりましょうか?」と親切に英語で話してきた。母親は、「はい?何と仰いましたか?」と日本語で聞き返した。


その女性がまた、「席を変わりましょうか?」と英語で話しかけた為、私が間に入り、「大丈夫です。ありがとうございます」と返しておいた。


母親に、「母さん日本語は通じないよ。」と伝えると、真顔で、「あら?!ホント?」爆笑

続いて、「全く話せないの??」と。

何を思ったか、「日本語が話せるかと思っちゃったわ。ごめんなさいね。」とまたその人に話した。母さん、それを毎回、デカい声で2つ後ろから訳すのは私で、トラム内で声が響き渡っていた。


「台湾人や韓国人には、日本語が話せる人がいるじゃない?」だと。香港がイギリスの植民地であった頃、要は戦時中に、日本が香港で日本語を教えるわけがなく、天然な母親に寛容な親日派が多い香港で良かった と思った日だった。