続き








面接の会場。

周囲は全国から集まった明らかに優秀そうな学生たち。

皆さん同じ高校から複数人が書類通過したのか、親しげに会話している。


その声が色々漏れ聞こえてくるわけです。



そこには政治家の子がいたり、海外生活が長いのか英語で会話している人がいたり、もう異次元。


自分が目指していたところがこんな世界だったなんて‥と、やっと無謀さに気づいたんです。

予備校の教務課の担当が正しかった‥。


自信喪失したまま面接に臨みましたが、頭が真っ白になり、試験官とまともにやりとりができなかったのです。


そして最後に試験官から吐き捨てるように「君が頭の固い人間だということがよーくわかったよ」と言われたんです。






終了ーーですね。





2年間の苦労はすべて一瞬で終わりました。




その後の記憶は完全に途切れていて、結果発表が出るまでどのように過ごしていたのか全く覚えていません。


死んだように生きるとはまさにこのこと。





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そして合格発表の日。

クラスメイトが「一緒に結果を見に行こう」って言ってくれたんです。

優しいですね。

不合格確実なのに行くのは嫌でしたが、こういう経験も大事かなと思ったんです。



そのクラスメイトとともに、電車に乗ってその大学に向かいました。



そして、貼り出されていた結果発表。








‥‥。






え‥?






あったんです。←え?








俺の受験番号が。←は?








つまり、合格したんです。







ほぼ無名な高校から、当時の私大偏差値トップの大学に合格‥







まさに奇跡ですね。

奇跡の人。←は?

 






間違いなく受験生の中で1番不出来だったはずです。

もしかしたら「多様性枠」的なポジションで合格できたのかもしれません。「頭の固い人間枠」。←必要?






一緒に行ってくれたクラスメイトも喜んでくれました。





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ところでその後、記憶に残っているのが、合格後に予備校に行った時の話。


退校手続をすると学費が一部返金になると言われたんで、教務課に行ったんですよ。


散々俺にAO入試を諦めろと言っていた教務課の担当は驚きつつ、ひきつり顔で「お、おめでとう。ちょっと待ってね」と言って、合格通知を後ろにいた上司に見せていました。




すると‥



その上司らしき人が

「こんなものニセモノかもしれないじゃない」

って言っているのが聞こえたんです。






こんなにも高校の名前だけで酷い仕打ちに遭うんだと思い、ショックを受けました。





仮に俺が開成高校や灘高校の生徒だったらこんなこと言われなかったはず。




その後、違う書類を出せとか、親と一緒に来いとか言われたんで、悲しい気持ちになり、返金を受けずにそのままトボトボと家に帰りました。





それを最後に、もうその予備校には一度も行っていません。




しかし!!




タマタマ同じ高校からその予備校に通っていたクラスメイトが、「ケンくんの合格の垂れ幕あったよ」って教えてくれたんです。

↑こういうのの小さい版






疑ったくせに自分たちの手柄のようにするんだ‥と、もはや呆れを超えて笑っちゃいました。

(予備校として合格率目標とかあるんでしょうね)



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大学に入学して一層感じたんですが、学歴ってなんですかね。

自分という人間は何も変わっていないのに、名が知れた大学に入っただけで、「賢いキャラ」認定されて、周りからの視線や評価が180度変わる。




一連のことを通じて、学歴への固執や学歴で人を評価することの無意味さを感じました。




ま、そんな感じで尖っていたんで、大学では(大学でも)浮いた存在でした。




大学時代の話は機会があれば書きたいと思います。