前にも似たことを書いたかもしれません。
頭のおかしい人の呟きとして受け止めて下さい。
「友達」ってなんですかね。
パヤパヤ系ゲイ友の多かった元彼くんが以前こんなことを言っていたんです。
「自分あまり酒飲めないけど、定期的に飲み会に参加しないと話題についていけなくなるから、嫌だけど参加する時がある」と。
俺にはない価値観でした。
嫌なら参加しないし、参加しないと話題についていけなくなるような苦労がある関係性は(俺の中では)友達とは言わない。
そういう関係性の「友達」しかいないのであれば、死ぬまで1人でいたい。
「家族」や「パートナー」についてもそう。
よく、「老後や死ぬ時1人は寂しいよ。結婚しないにしてもパートナーはいた方が良い」というアドバイスを頂きます。
確かに、愛し合い、分かり合い、信頼のおけるパートナーと出会えたならば、それは本当に素晴らしいことと思います。
でも、「将来寂しいから誰かといる」というのは自分の中の価値観に無い。
そんな邪な理由で他人様を巻き込みたくない。
俺が何よりも畏れていることは、物理的な孤独よりも精神的な孤独であって、「家族」とか「友達」とかいう名のついた人たちの輪にいながらも感じる孤独感が最も辛い。
たった1人でも生きていけることが重要であり、早い段階から受け止めるメンタルや経済力をつける必要があると思ってます。
この発想って昨日今日思いついたことではなくて、大学生の時にすでに「仮に衣食住全てを失ってホームレスになっても「精神的」に大丈夫か」っていうシミュレーションを繰り返ししていたんです。←今思えばそんな大学生イヤ、、
うちの家族(実家)は仲は良い方ではあるかもしれないけれど、自分は小学生の頃から、少しだけ理由の分からない孤独を感じてました。
多分そういうことの積み重ねが今に至るのでしょう。
こんなことを書くと「ケンケンさんってなんか寂しそう。かわいそう。」って思われそうですが、そんなこともないんで大丈夫です。
4年前に書いたブログの通り、それなりに楽しくやってます。
ま、こんなこと言っておきながら、数年後には「寂しいよぉ。誰でも良いから構ってよぉ」とかなってたら嫌ですね。