友人から、なんでゲイって外見至上主義なの?と問われたので、俺なりに考えてみました。

考える前に、そもそも外見至上主義ってなに?
てことで、検索。


ルッキズム(外見至上主義)とは、容姿(見た目)によって人を差別的に扱うことを指します。 

差別??


アパルトヘイト的な??


って要するに、自己や他者を評価する主たるモノサシが「外見」であるってことっしょ?


知ってる。
って皆知ってるね。

・・・

まず、ゲイ云々以前の話として、歴史的なことから考えてみたいと思います。

すなわち、その時代において重視される価値観はなんですか?という話。

思うに、高度に発展した社会であればあるほど、外見に価値が置かれるものと思います。

狩猟社会では物理的な「力」を持つことに価値が置かれます。
やがて、農耕社会になると食料を多く蓄えた「富」を持つことに価値が置かれます。


そして、「富」の格差拡大により、しばし争いが起きて。

争いを経て、さらに沢山の富を持つ者が現れます。
彼らは一生労働をせずとも、生きていけるようになります。

富を持つ者は、その象徴や他者を牽制する道具として「非生産的なモノ」を欲するのです。

華美な服飾や、音楽や、美術や、芸能とかですね。

そして、自分の妻や愛人を着飾らせることも、自身のステイタスに繋がったのです。

富を持つ者に保護される(囲われる)立場からすれば、自身が美しい状態であることが生きていくために重要になるのです。

足利義満×世阿弥の関係にあるように、女性に限った話ではないですよね。

即ち、昔の外見至上主義とは、富があるところに顕著に発生しうる価値観だったと思います。

しかし、近代社会に入ると、一般市民の所得が上がり、貴族の価値観が一般市民にも浸透していきます。

美意識も。
戦時中の大衆向けの雑誌ですら、顔の整った男女のイラストが採用されています。
即ち、大衆を戦争に翼賛させるツールとして、美意識が用いられていたんですね。

だんだん外見に関わる貴族の価値観が一般化してきたわけですね。

現代社会ではさらに外見至上主義的な価値観が浸透しているように思います。

まず、テレビ・雑誌等のマスメディアの発達により、外見に関わる価値観が一般に浸透しました。

さらに、近年ではSNSの浸透により、自身の容姿が他者と比較され、自身も他者と比較するようになります。

外見が良い方が称賛され、そうではない人は劣等感を覚えてしまう訳です。

即ち、現代では「メンタル的な観点から外見を気にする」人々が増えたと思います。

・・・

まとめますと、現代における外見至上主義は、ゲイ特有のものではないと思います。

しかし、ゲイ特有の社会的状況に鑑みて、男性平均と比較して外見至上主義になりやすい可能性は高いと思います。

理由としては、以下が挙げられると思います。

①男性性にコンプレックスを抱きやすい(幼少期に男らしくない、と言われてきたことへの反動)
②ゲイ同士の出会いがネット中心となっている
③婚姻制度がなく、(幅広い意味での)パートナー探しが長期に渡る

あまりにも行き過ぎてしまうと、醜態恐怖症になってしまう場合もありますよね。

(ゲイに限らず)メンタルが病んでしまうほどであるならば、辛いことだと思います。

・・・

俺個人のことでいうと、「こういう状態にありたい」という願望が、男性の平均と比べて強いかもな、とは思います。

でも、仕事に熱中している時は、全く容姿のことが気にならず、他のゲイと会う時ほど、気にしがちかと思います。

即ち外見を気にするのは「モテたい」願望ってヤツだと思います。書いててちょっとはずかしいけど。

しかし、そうなってくると、果たしてそれがゲイ特有かどうかは、よく分かりません。

遊んでるノンケ男性も不特定多数の女の子にモテるために、筋トレとか必死にやってますからね。
良いとか悪いとかって話ではなくて。

・・・

ついつい、面白いから俺も書いてしまうし、これからも書くだろうけど「ゲイは〜」とか「ゲイ特有の〜」って、本当にそうなの?ってことあります。


って長いね。