こんにちは~
Kindle集客プロデューサーを目指す「招き猫WebライターY」です。
セーターを着てちょっと動くと、うっすら汗ばむような陽気になってきました
でも毎年、後1回くらい、戻り寒波があるんですよね
寒がりの私は春先までコートは仕舞えません
1月末に満員御礼マーケティングの長山さんの集客塾に入り、
もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
学ぶことが多くて、正直、自分のキャパを超える内容もあるのですが、
塾生のレベルや進捗度合いに応じてコンサルしていただけるので、とても助かっています
自分の歩みで一歩一歩、着実に進んでいきたいです
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それでは、お仕事遍歴のお話を続けます。
公務員生活から心機一転を図るために、
私が選んだ仕事は、求人情報誌で見つけた北海道の農場のアルバイトでした。
北海道を選んだのは、前の年に秋の連休を利用して
2泊3日の駆け足で北海道の観光地を回って、とても旅情を刺激されたことがあります。
どこまでも続く地平線と雄大な風景を見ていると、気持ちが自然と伸び伸びとして
20代の私に何かしら可能性を感じさせてくれました
それと九州の福岡から一歩も出たことがない私が、住んだこともない、
自分のことを誰も知らない場所でどれだけ頑張れるか、試したかったことがあります。
社会人になって公務員生活しか知らないので、これから民間の荒波に揉まれる前に
免疫をつけておきたいと思いました
夜間部に通っていた調理師専門学校は半年間の休学を申し出て、
区役所には退職届を出しました。
役所の方は「栄養士の勉強とやりたいことがあるため」としか言ってなかったのに、
「北海道に行くんですか?」と聞かれてドキッとしましたが・・・。
4月に退職して、下旬には最小限の荷物を持って、
アルバイト先である北海道夕張郡長沼町の農場に旅立ちました
アルバイト期間は特に決まってなかったと思うのですが、
自分の計画では春に種を播いて、秋の収穫まで農作業を手伝って、
農作物がどうやって生育するのかを見届けるまで頑張ろうと。
お世話になった農場はいくつかの広大な畑があり、牛舎で数十頭の乳牛も飼われていて、
私の他にも各地から集まった10~20代のアルバイトが7~8人いました。
元塾の先生や元ホテルのフロントマン、元自衛隊員、酒屋の後継ぎと男の子ばかりで、
私は紅一点でしたが、一番年長だったので彼らにとっては期待外れだったようです
農場は家族経営の三世代同居で、おじいさんはトラクターに乗るし、
おばあさんも作業を手伝ってました。
北海道は冬が長く、4月から9月までの間に農作業を終えてしまわないといけないので、
農繁期はとにかく忙しくなります。それでアルバイトを雇うわけですが・・・。
最初の頃は北海道で働いている解放感もあり、初めての農作業や、
牛舎で子牛にミルクを飲ませたりするのが新鮮で、結構楽しく過ごしていました。
朝食にはいつも搾りたての牛乳が出されたのでラッキーと思ってましたし
(牛乳が身体によくないと聞いてからは飲んでないですけど)
それが5月のGWあたりから農作業の時間がだんだん長くなってきました。
乳牛のお世話で朝は5時から、昼間はビート畑の整地や畝立て、
その後、牛のエサの干し草をほぐしたりと夜8時ぐらいまで作業が続きます。
一応、運転免許を持っていた私は4トントラックを動かしたりもしました
アルバイトの男の子たちも「人使いが荒い」とか「食事が美味しくない」とか
よくこぼしていて、1人減り、2人減りと辞めていきました。
私は半年間は頑張るつもりで福岡から出てきているので、
そう簡単には辞められないと思ってましたが、
だんだん精神状態が不安定になってきました
ひとつは住み込みで個室はあっても
雇い主の家に同居しているので気を使う毎日だったことと、
一週間に1日の休みがほとんどもらえなかったことが大きかったと思います。
奥さんは明るい人で、アルバイトのみんなを
「おにいちゃん」「おねえちゃん」と呼んで家族のように接してくれたのは
嬉しかったのですが、長時間の重労働が続くと、ただただ毎日が辛くなります。
それで結局、農場に来て1ヶ月と10日目に辞めさせてもらいました。
そのとき、残っていたアルバイトは2~3人で、
私より前に来た男の子はほぼ居なくなっていました
辞めるときにいただいたお給料は「5万円」。
最後に農場のおじいさんから言われた言葉がトドメでした。
「大変なことはわかっていたはずだ。
こんなところまで来て、途中で辞めるくらいなら来なきゃよかった。
あんたは人間のクズだ」
疲れ切った心と身体に堪えました
お世話になった農場を後にして、その後、どうしたかというと、
福岡には帰りませんでした。
農場のアルバイト中、珍しく休みをもらった日に、
求人情報誌で食堂の求人を見つけて来るように言われたので、
バイト先の知床に向かいます
今、考えるとすごくおおらかな時代だと思うのですが、
当時は自分探しをする若者が北海道に多く来ていて、
バイトを募集するとふらっとやって来ることがあると
ご主人が言われてた気がします。
ここも住み込みで、私は食堂のホール担当。
接客の経験がないので、あまり気が利くバイトではありませんでした。
それでも賄い食は最高に贅沢で、「ほっけ」や「いくら」「ほたて」とか
北海道の幸をふんだんに食べれました
でも気分は晴れないんですね。
北海道まで来て農場の仕事に挫折して帰るに帰れなくて
端っこの知床まで来て、目的もなく食堂でアルバイトしている自分。
食堂の奥さんは元理容師さんで、シャキシャキしている方だったので
やる気がなく、煮え切らない態度の私は、奥さんから
「私が若かったころは~」とお説教されてました
このまま目的もなく北海道にいても、自分はダメになるかなと思ったし、
半年間休学することにした調理師専門学校に戻った方がいいかもしれない。
それで久しぶりに福岡の実家に電話してみました。
役所を辞めることに猛反対し、大喧嘩した母が
「帰ってきなさい」と言ってくれたので、ようやく帰る決心をしました。
行きは期待に胸がふくらんだ北海道生活でしたが、
帰りはすっかり意気消沈して列車の中で疲れて眠りこけていたら、
バッグの中から数万円が抜き取られていたという始末
本当に「泣きっ面にハチ」でした。
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役所を辞めてから、私の仕事人生は大きく転換していきます。
特に20代の頃はアップダウンが激しくて、振り返りたくないことも多いのですが、
仕事観や社会との関わりを模索していた時期なので、
やっぱりかけがえのない時間だったと思います
どんな経験もムダではないと、今なら本当に思えます
今日も結構長くなってしまったので、この辺で
今年のお正月旅行で念願の屋久島へ♡ガジュマルの木の下で記念撮影
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