皆さま、こんにちは![]()
最近よく夢のお話をしていますが、
夢の次元でメッセージが降りてくることが多くなっています(*^^*)
今日は瞬時性に関する夢でした。
瞬時性、って、「いまここ」に常にいることで、
瞬間瞬間の自分の変化を最大限に受け容れながら
どんな自分にも固執することなく今この瞬間の体験をすること。
癒しが進んでいってエゴや観念の影響がうすくなってきたり、
カルマに気づいて外していったりすると
この瞬時性により楽に居られるようになってきます。
自分が固定化されなくなってきて、
その瞬間瞬間どんな自分で在ることも赦すことができるようになると
瞬時性に居られます。
「こうあらなければならない」
「あのときこうすればよかった。だから次にこうしなきゃ」
「私はこういう人だから…」
というふうに、今この瞬間の自分を固定化しようとする観念やエゴの影響を
外したところに瞬時性はあります。
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今日の夢では、大我と小我、つまり本質の自分とエゴの自分が両方登場してきました。
本質の自分は大我という文字通り、サイズもでっかくて(笑)
この現実を粘土遊びのようにエネルギーをこねこねして
作っていました。
その現実の中で体験をしてるのがちっちゃい自分の意識=小我。
今の私たちのことですね(*^-^*)
そう、それでね、夢の中では
今私たちが経験しているこの現実のように
大我が作る現実の変化がどんどん早くなっていて、
大我は次から次へと新しい現実を創っていました。
小我は次から次へとやってくる場面転換についてゆくために
どんどんつぎの現実という舞台のセットに移動するのに忙しい。
まるでドリフのコントの場面転換とか、
舞台の円形の床が動いて次の場面のセットが現れる演劇の舞台装置みたいに
それが常に動き続けているから
どんどん次へ瞬時性で進んでいかないと追いつけない!
みたいな感じ。
それも、「いやいや、転換転換でお芝居してる暇ないやん!」
ってツッコミたくなるような速度で
常に小我も波動を変えて移動してる感じ。
なんといっても今日はクリスマスですね。![]()
もう2016年も残すところわずか。
来年のエネルギーもすでにやってきているし、
来年の自分へ移行するのにそれぞれ持っていけないものもある。
だから今のうちに浄化して手放して、
新しい自分に変化しとかないといけなくなってて、
「過去をあれこれ考えたり過去の波動になろうとしてももうなれないんだよ。
サーフィンで今乗ってる波が自分の背後ではもう崩れて無くなっているように、
もうそこには舞台セットは存在しなくなってる。
それよりも速度を増した現実の変化の速さにしっかりついていけるように
瞬時性を発揮して体験してね。」
っていうメッセージがこの夢には込められていました。
人が瞬時性にいられない原因は、エゴにあります。
エゴは過去や未来にフォーカスさせて、
「いま」という瞬間から私たちの目を背けさせるのが大好き。
過去の体験を追体験することや
これまで自分が構築してきたものにこだわるのも大好き。
さらに、エゴは、変化を嫌います。
だから変えるべきところを隠すし、
変えようとすると抵抗します。
人が年をとって肉体が老いていくのも、
実は「変化を受け容れられなくなっていくから」という要素が
大きく関係しているんですよ。
身体の老化は精神の在りかたを象徴しています。
年とともに「自分とは、こういうものだ」という観念が強くなっていって
エゴと自分を同一視する度合が高くなる=本来の自分との分離が強まると、
肉体の老化が早まったり、自分との乖離によって肉体に不調が生じたり
ズレを象徴している部分が病気や疾患を発症したりします。
だから、いつまでも若々しい新しい自分に更新(代謝)しつづけるためには、
精神的にも柔らかく変化し続けることがポイントなんです![]()
そのためには、「いまここ」の瞬時性にあること!
私たちが体験できるのは常に「いま」だけだから。
話を戻しますが、時期的にも今は来年に始まる新しい流れのための準備で
浄化、手放しの追い込みの時期にあたります。
クリスマスや年末年始、ご実家に帰ったり、ご家族で過ごされる方も多いと思います。
そこで特にご両親やおじいちゃん、おばあちゃんという世代を見て
自分と共通している部分、違う部分というのをよ~~く見てみるというのも
一つのきっかけになると思います。
どういう考え方の癖があるか、
何を基準に物事を考えているか、
おなじような癖があるとしたら、何をしようとしているのか??
そこでファミリーカルマや受け継いだ観念に気が付いたら、
手放すときにも瞬時性はとても役に立ちます。
なによりも、相手への情に浸るというエゴの策略にはまりにくくなるから。
客観的にお互いを大きな視点で捉えて見ることができます。
そして、瞬時性にいると、変化の痛みにもとらわれることなく、
もう次の瞬間に次の新しい自分へと移行することができるからです![]()
変化を「辛い」と思うのは、
「過去そうであった自分」を手放したくないとエゴが抵抗するから。
手放しを「痛い」と感じるのは、
過去痛かったことの体験をエゴが追体験させようとするから。
でも、過去の体験はもう存在していません。
私たちが経験できるのは、常に「いま」だけです。
手放しも、変化も、本当は常に自然界では起こっていることです。
紅葉した葉が落ちることを、木は悲しんではいませんし、
苦しいとか痛いとか寂しいとか感じてはいないのと同じ。
木は、落葉した時点でもう次の在りかたへと移行しているから。
人間だって、
自分にも 人にも その変化を受け容れてあげて、
自らの意志で自由に変化することをさせてあげなければなりません。
それが私たちの魂の自然な在りかただから。
過去は、波のように
次の瞬間もうそこにはないものです。
だって、その波はもう体験し終わったから。
さっきの自分はもうここにはいないし、
目の前の人もさっきと同じ人ではありません。
いまここにはいまここの「わたし」や「その人」がいるだけです。
私たちは常に変化しているから。
その変化の動きが一定の速度で連続していることで、
安定しているのです。
(自転車で走るときのことを想像してもらうとわかりやすいかなと思います^^)
地球の波動が上がるにつれて
現実創造の速度も速くなっています。
つまりそれは、私たちも変化の速度を上げてゆくことが必要になっているということ。
場面転換に次ぐ場面転換だし、
波から波へと渡り続けていく
無限に終わらないサーフィンみたいなもの。
エゴは変化したり「これが自分」という固定観念がやわらぐと
「自分がいなくなってしまうのではないだろうか」と怖がりますが
「自分」は常に「いまここ」に居ます。
ちいさなちいさな枠にはまっていた自分が
大きな自分の視点に気づいたとき、
自分という意識は無くなることがないのだと気付くことができます。
視点の外側に、そしてまた外側に
さらに大きな自分が居るから。
あなたの現実も、あなたの大我が創っています。
それを体験しているのが、今これを読んでいる小我のあなた。
小我は、自分の現実を色々な観念を使って見たいように見ることができます。
それが大我の意図とは違ったとしてもね。
でも、基本的に大我はあなたを喜ばせ、
幸せにする出来事を常に作りたいを思っています。
それを体験するときに、ファミリーカルマや自分のものではない観念を持っていると
それを限定的に狭めて体験したり、歪ませてネガティブな体験に
作り変えてしまいます。
だからこそ観念やファミリーカルマの影響を外してゆくことが
あなたの魂が本当に体験したいことをこの世界でするために
必要なことなんです。
どんな経験であろうと、
常に魂はあなたを本来の自分に戻すためのきっかけを
目の前の事象に仕込んでいます。
ということは、チャンスは常にあるということなんです。
それに気づいて変化してゆくこと。
常に常に新しい自分として「在る」こと。
その変化を楽に起こし続けるために、
瞬時性はとっても役にたちますよ![]()
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あ、そうそう、
先日ファミリーカルマの記事で書き忘れたことをひとつ。
輪廻のシステムとか、
ファミリーカルマとか、
海外では「宗教(とくに仏教)上の概念」だと捉えられがちなんですが、
このシステムは地球上の人類共通のもので、
クリスチャンでもムスリムでも
他のどんな宗教を信じている人でも
地球上の人類であればみんな
輪廻してるし、ファミリーカルマを持っています。
なんとなくこれは書いとかなきゃいけない気がしたので、
ここで付け加えておきますね。
ちなみに、動物たちはエゴが少ないのでファミリーカルマはほぼ無いと捉えてもらってOKだと思うんですが、どっちかというと種の集合意識としてのカルマと、その種の中での転生はあります。
それだから人間とも転生のたびに特定の魂と出会ったりできるというわけで…^^
最後にちょっと余談でしたが、
今日もお読みいただいてありがとうございました。
みなさん、このあとも素敵なクリスマスをお過ごしくださいね♡
他のゲームもそうですが、
アメーバのピグって、大我が小我を動かしてる感覚がつかめて面白いです^^
特にピグは「自分のキャラをつくる」っていうのがコンセプトだし、
好きな自分を作ることも可能。
これって、ハイヤーセルフが下の私たちを創造して、動かして、
上から見てる視点と同じだから。
さらに、このクリスマスは我が家ではここしばらく海外ドラマの『EUReKA』三昧です(笑)
地球上のスーパーテクノロジーが終結した町での出来事、
それをホームドラマのように笑える脱力系要素満載でこれまた面白いです!![]()
愛をこめて♡♡♡
メリークリスマス!!

