2007年6月12日(火)
日差しが強いですね。
いい天気になりました。
暑いです。
そんな時には・・・。
日比谷通りです。
道の向こうに見えるのが、芝公園です。
芝公園は増上寺を囲む公園です。
明治6年、日本で最初の公園のひとつとして指定されました。
今日は、この日比谷通り沿い側を増上寺に向って行きます。
緑のトンネル・・・。
途中、東京タワーも見えたりしてます。
ここに立っている石碑は・・・。
月見をイメージしたモニュメントだそうです。
増上寺の三門(三解脱門)前までの辺りは、古くから松原と呼ばれていたそうです。
寛永17年(1640年)、幕命により松を植えたとか、青山家藩士が植樹したからとも・・・。
その後、松は焼失したり枯れたり。
今ではクスノキが主流になっています。
この石碑辺りは、江戸時代の番所跡と云われ、土塁とカギ形の通路となっています。
増上寺の三門が見えてきます。
この三門から真っ直ぐ延びる参道から・・・門の正面。
ちょうど増上寺の三門を中心に左右に広がっている感じです。
常夜燈の側から公園の続き。
大きなモニュメント・・・作品名分らず。
モニュメントを過ぎて、すぐのところにあるのが・・・。
万延元年遣米使節記念碑。
昭和35年、日米修好通商100年を記念して。
そして・・・。
ペリー提督像。
昭和29年、日米和親条約締結100周年を記念して。
万延元年遣米使節は、万延元年に使節団本体は品川から米軍艦ボーハタン号でサンフランシスコに向けて出発。
その随行員は、幕府軍艦咸臨丸で浦賀から出発し、日本の船としては初めて太平洋を横断しました。
さて、公園を進むと、日比谷通りの向こう見えてくるのが・・・。
台徳院は、徳川2代将軍秀忠公のこと。
寛永9年に徳川3代将軍家光公により、台徳院霊廟の正門として建てられました。
しかし、霊廟は戦災で焼失。
この門が残っています。
この門には・・・仁王像が立っています。
江戸時代の寄木造り。
この仁王像は、元々、埼玉県の西福寺に安置されており、安政2年(1855年)の暴風で破損し、そのまま修理されていませんでした。
昭和23年(1948年)、東京浅草寺に修理のため移され、以後、詳しい記録はないそうで、昭和33年頃、この門に安置されたと推測されています。
増上寺の三門に戻りましょう。