2007年4月15日(日) その2
駅前はこんな感じ。
先ほどの駅前から、真っ直ぐ延びる駅前通りを行きます。
温泉ホテルが両側に並んでいたりして・・・。
石和温泉は、昭和36年(1961年)、石和のぶどう園から湧き出した温泉が近くの川に流れ込み、青空温泉と有名になったことから始まったそうです。
途中・・・・・。
この川に架かっている橋は・・・石和橋。
悲しい物語・・・・・。
600年ほど昔、母親と二人で暮らす笛が上手な権三郎。
ある晩、豪雨で氾濫した川に二人とものまれてしまいました。
かろうじて権三郎は助かりましたが、母親は見つかりませんでした。
母親の好きだった曲を吹きながら探していました。
ある日、川の深みに足を滑らせ、そのまま権三郎も帰らぬ身になったとか。
その後、この川から美しい笛の音が聞こえるようになったそうです。
その川の名を笛吹川と、みんな呼ぶようになったとか。
カッパも日向ぼっこ。 カエルさんもね。
さらに行くと・・・。
小松導平翁をたたえる石碑です。
明治40年8月、笛吹川や近くの川が氾濫を起こして四日。
かなりの被害が出ていました。
田畑も荒れてしまいました。
その時、小松導平翁が尽力し、大農場を組織し、石和邑を復興させました。
沿道の石のモニュメント。
駅前通りと御陣屋通りが交差します。
御陣屋通りへ曲がって、しばらく行くと・・・。
石和八幡神社は、武田氏の祖信義の子である石和五郎信光が、建久3年(1192年)、この地に勧進しました。
永正16年(1519年)、武田信虎が躑躅ヶ埼に居を移すと、八幡神社も移転しました。
しかし、武田氏が滅亡した後、徳川家康の寄進により、再興されました。
ない!!
安永3年(1774年)に建てられた建物があるはずなんですが・・・しかも石和最古の建物なんですが・・・。
近くを歩いていたおじさんに聞くと・・・。
昨年、焼けてしまったそうです。
放火だそうです。
なんてことっ!!!
トボトボ歩き出して、ふと下を見ると・・・。
八幡神社の先には・・・。
小林公園。
おじさんの像が立っていますが・・・。
この小林さんは石和の名誉町民だった人。
戦後、日本開発銀行の初代総裁にもなり日本経済の発展に寄与したとか。
ここの出身だった小林さんは、旧宅の地を、当時の石和町に寄贈。
公園となりました。
側には、あし湯がありますよ。
民族史料倉庫も・・・。
沿道の街灯。
鵜飼いの鵜を模っています。
石和では鵜飼い見れるそうで・・・。
その歴史は平安時代まで遡るとか。
小林公園の手前に・・・あれ。
石和本陣跡。
寛永年間(1625年)ごろ、幕府の命令により、ここに置かれました。
明治維新まで、多くの大名が宿泊したそうです。
明治13年、明治天皇の行幸の際、休憩の地と予定していたところ、大火により焼失。
向こうに見える蔵のみとなりました。
弘安年間(1280年)ごろ、日蓮上人の弟子、日郎上人が鵜飼勘作の亡霊を沈め、近くに草庵を結び鵜飼の寺としたそうです。
鵜飼勘作は、その昔、殺生の禁断をい破り、漁を行ったため、簀巻きにされた人で、亡霊となって現れていたとか。
その3に続きます。




























