2006年11月25日(土)



妻女山を降りて、再び走ります。
20061125川中島へ

千曲川を渡って~しばらく行くと・・・・・。


ここは・・・・・。

20061125霧の川中島2

霧の川中島


そう、川中島古戦場八幡原史跡公園です。

20061125八幡原史跡公園

ここら辺周辺が、川中島の合戦の舞台となりました。


20061125八幡原史跡公園2  20061125八幡原史跡公園3

20061125八幡原史跡公園4

紅葉も真っ盛り。


駐車場から真っ直ぐに行くと・・・。
20061125八幡原史跡公園5  20061125八幡原史跡公園6

そこにあるのが・・・。

20061125川中島の戦い

川中島古戦場八幡社
20061125川中島古戦場八幡社  20061125川中島古戦場八幡社2
社殿の周辺には、信玄謙信ゆかりの場所がいろいろとあります。


20061125逆槐 逆槐(さかさえんじゅ)

永禄4年(1561年)の第四次川中島の合戦

この地に陣を構えた武田信玄は、土塁を積みました。

その土塁の杭とした槐が芽を出してこんなに大きくなったとか。

今も、周囲に土塁の跡が見れます。






20061125川中島古戦場八幡社3


20061125執念の石 執念の石


合戦の最中、本陣にいる武田信玄にめがけ上杉謙信が斬りかかった時、武田軍の中間頭、原大隅という人が、謙信めがけ槍を突き出したとか。

謙信を倒すことは出来なかったものの、謙信の馬を驚かせ、その場を去っていったと言います。

信玄は、難を逃れたものの、原大隅謙信を逃したのを悔しがり、この石を槍で突き通したと言われています。




そして、ここが有名な。

信玄謙信の一騎打ちの場所。

20061125三太刀七太刀之跡

三太刀七太刀之跡


武田信玄めがけて上杉謙信が迫り、馬上より切りかかります。

信玄は軍配で最初は受けたものの、二の太刀で腕、三の太刀で肩を切られてしまいました。

この後、信玄の軍配を調べたところ、刀の跡が七ヶ所もあったとか。
20061125信玄VS謙信1

20061125信玄VS謙信2



地図とルートは、こちらから。