親子課題をわかって実行しているように見えるせおてんですが…

この作業をはじめたのは もう5年前になるかな~


それまで、自分の感情を

どう対処してよいのかわからなくて 

自分なりに、バタバタあがいてました。


ずっと心にある消えることのない疑問

なぜ?自分は生まれたのか?

生まれた意味はあるのだろうか?


でも なぜ生まれたのかを考えるのは、

生まれてきてしまったという思いが根底にあるから


せおてんの夫や娘に聞いても

「そんなことを考えたこともない」と 言う

生きる事 死ぬ事になんの意識もない

何もしない一日をぼ~っと過ごすことに何の罪悪感や後悔もない

そのまま

ただ そのままでいいという感覚

感覚って意識もないね


今はまだ こんな手放しの感覚になるのは難しいけど

このごろ ちょっとだけ 変わってきている自分も感じる

せっかく生まれてきたんだから

肉体のある状態で やれる事はやろうって思ってるのも

悪いことばかりではなくて

自分の肯定感のなさがあったからこそ

だからこそ

今の自分になれたって思える

ずっと頑張ってきたんだって感じるようになれた


自分結構やるじゃんって

そんな自分になったのはね

難しいことしたわけじゃない

ただ…

人の話しを、素直に聞けたからなんだな~って


自分の延長には自分しかないけど

そこに 人から聞いた思いや考えで、少しだけ方向が変わったら

人生長くなれば なった分だけ

けっこうな違いになるんだと思う


やってみたらって、誰かに言われたらね

嫌だな~とか無駄じゃんとか思っても

とりあえず よく話し聞いて やってみる

その時 無駄だった って思ったとしても


人生を振り返れる年齢になった時

それは自分の人生には必要な事だったと

しみじみわかるんではないかと…


振り返れる年齢になったせおてんは思うのです…


感謝

せおてん

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