己れを修む人を治む
楽しむに天下を以てすと(もってすと)、是れ(これ)聖学(せいがく)の骨子なり。
凡そ(およそ)聖学の主と(しゅと)する所、己れを修むと人を治む(おのれをおさむひとをおさむ)の
二途(にと)に過ぎず(すぎず)。
「楽しむに天下を以て(もって)し、憂ふる(うれうる)に天下を以てなす」という言葉がある。
これこそが聖学、つまり、孔子の学問の骨子である。
だいたい、聖学の主眼するところは、自分を修めることと人を治めることの二つにすぎない。
国事は極めて重し
夫れ(それ)国事は極めて重し、苟(いやしく)も国に為す(なす)なくんば、
朋友(ほうゆう
)を得と(うると)いえども悦ぶに足らず、乃ち(すなわち)、朋友を
失うも憂ふる(うれうる)に遑(いとま)あらざるなり。
国家に関する事柄というものは、大変重要なものである。仮にも、
国家に貢献しないものあれば、同じ志を持ったとしても喜ぶほどのことはない。
また、朋友を失ったとしても、憂慮するほどのゆとりもない
吉田松蔭