お稽古事としてのピアノ。
その価値観、位置付けは
ご家庭やその子その子によって
様々だと思います。
ずっと継続してコツコツ
練習してきている子もいれば
レッスンの前日や当日の
突貫工事でやってくる子
はたまた
全くNO練で来ている子もいます。
とても根気がいることではありますが
あまり練習出来ていない子も
通って来れるのは
教室のひとつの特徴なのかな、
とも受け止めています。
進みはとても遅くなってしまうので
とても勿体無いなあと思うのですが
それでも音楽が
辞めたいものでもないんだろうなと。
ゆっくりでもゼロではないので
心身、脳、学力の成長にも伴って
楽譜が理解でき
弾けるようにはなってくるものです。
新譜を貰って翌週には
大方弾けている子に比べてしまえば
そりゃあ時間はかかりますが
レッスン中にピアノに向かう目線
指の動きを見ていると
音符をひとつひとつ
数えながらしか弾けなかった子が
音符の前後の上下繋がりや
塊読みで
両手で弾けるようになっていて
成長したなあ…
やっとここまできてくれた
と嬉しく感慨深いものがあります。
そう思っていた子が
音符にルビをふってきました。
ドレミが書いてあれば
私の前でひょっとしたら
もっとスラスラ弾けるかもしれないと
あまり深い考えもなく
そうして来たんだろうと思います。
ゆっくりでも
『楽譜を目で追いながら弾いていける』
その子が積み重ねて付けてきた力が
台無しになって
なんだかとても残念な気持ちになりました。
上手に弾くところを見せたくて
そうしたに違いないので
伝えずにおこうか迷いましたが
言った方がこの子のためだなあと
思い直し伝えることにしました。
この仮名はいつ書いたの??
書いた方が弾けると思ったかもしれないけどさ
前までもっと弾けてたのが弾けなくなっちゃってるよ。
なんでかって言うと今まで音符だけ見て弾いてたのが、カタカナも同時に読むという作業がひとつ増えてるからだよ。
本当に音符が読めない子なら、だけど、読めるからさ、楽譜にカナがいっぱいあってパッと見ごちゃごちゃして音符も見にくくなっちゃったんだよ。
私がこの休み中にここの棚を低くしたのも、物が視覚に入ってくるのを減らしたかったからなんだよ。
視覚に入るのが多いと脳が疲れるってやってるのを前に何かで観てから生活の中でも気にするようにしてるんだよね。
シンプルがいい。
きっとそれと同じだと思う。
自分は弾けないって思ってるかもしれないけど、前からの流れと塊でちゃんと楽譜見て弾けるようになってて、めちゃくちゃ成長したなあって先生はずっと思って見てたよ。
自信持っていいんやて。
絶対こんな風に書いたら勿体ない!
どこまで届いたか分からないけど
聞いてはいたかな。
なんだかんだと言いながら
通ってきてくれるから
来たくない場所ではないんだろうと
思いたいです。
根っこを大事にしたいと
思っています

売れ残りのヒヤシンスの球根を
水栽培で観察中〜
根っこが育っています
