最後の挨拶を終え、ようやく合点がいった。彼が全てを手配してくれたのだ。
 彼というのはイタリア銀行の支店長で、私がゴリツィアに来てから2年半ほど世話になっているPさん。彼の近所にすむ友人に入院の件を聞いて、その日の内に夫婦で様子を見に来てくれた。入院中夫婦揃って3日間、奥さんには更に色々助けてもらった。
 「全て」と書いたのは、身の回りのものや雑誌、新聞、食料などの差し入れのことではなく、「人脈」のこと。彼は某社交クラブ経由で病院関係者にくまなく連絡を取ってくれたらしいのだ。そういえば入院初日から任意の健康保健証を作った方がいいからと事務の人がやって来ては、必要書類への記入、郵便局での支払いを代行してくれたり、翌日にはもう出来上がった保健証を手渡され、「どうもイタリアっぽくないなあ???」と思ったのを覚えている。病院職員(事務を含む)の態度は一貫して親切で、入院2日目には他部局長が挨拶に来た。さらに最終日には課長、部局長、他部局長、友達の友達だという医師らが次々と担当医師を訪れたので、先生も「一体どうなってるんだ?」と不思議がっていた。
 このPさん、来週にはゴリツィアを後にしてピエモンテへ転任するそうで、退院の日には最後の挨拶をした。すると彼は途中経過を改めて説明するまでもなく、入院初日からの全過程をよく把握していた。保健証に必要な費用とか病院関係者の名前が次々彼の口から出るのを聞いて、どわ~っと感謝の気持ちが沸き上がってきた。考えてみればこの2年、「何かあっても大丈夫」という気持ちが心のどこかにあったような気がする。それは何より彼のアシストがあったからなのかもしれない。
 ちなみにPさんは3年後には定年退職を迎えるのだが、その内ゴリツィアにアパートを購入し老後はここで暮らすことを考えているそうだ。イタリア全国津々浦々で仕事をしてきた彼もゴリツィアの住みやすさを認めたということか。数年後にゴリツィアで再会することもあるかもしれない。