敬愛する久保はつじさんのブログで「時間」がとりあげられ、久保さんはご自分が考えられる「時間」を絵にしているのだが、私も自分なりの「時間」についての考えがあるので、それを書きます。
本当なら久保さんのブログのコメント欄に書くべきものなのだが、長くなりそうなので自分のブログ記事にします。久保さん、ごめんちゃい。
病気をして、死を意識するようになってからなのだけど、私の今までの一瞬、一瞬の時間はなくなってしまったのではなく、その「一瞬」として存在しているように思うようになりました。
ただ、その記録を再生する機械=人間がいなくなるだけで、その時間は確かに存在すると思うのです。
「現在」というのは管状の連続する「時間」の突端に過ぎず、「過去」もまた内包された断面として存在するような気がするのです。
だって、あの楽しい日々、あの輝いていた時間が永遠にないものだというのは、悲しすぎるし、信じられないから。