曼荼羅画は、せっかくあなたが何時間何日かけて描いても
いつかは色あせて、この世にその姿を残そうとはしません。
生まれた時の美しさと感動は、ある一瞬の閃光のようなもの。
命あるものすべては宇宙に比べるとそんなものだと教えてくれます。
私は作品をほとんど手元に置かないですし、
大作ほどどなたかの手に渡したい。と考えるのですが、
それは、その閃光を独り占めしないためなのかもしれません。
だって、きっと私だけのものでは無いから。
「執着」と言う言葉がありますが、
そう呼ぶほどではないにしても・・・
多かれ少なかれ、人は物を所有します。
所有すること(瞬間)を楽しみます。
そうしながら心のどこかで「永遠に所有できるわけではないこと」も
ちゃんと知っているのですよね。
今まで培った雑多な「執着」をイメージではなく具体的に手放す。
その代替行動がわたしにとっては、
「曼荼羅画を手元に置かないこと」なのです。
チベットの砂絵曼荼羅のように。
在ったものを無くし、
無くなったところに在ったことを思う。
曼荼羅画は描き手に取ってそのようなものであってほしい。
私はそう考えています。