池波正太郎、山田風太郎と読み終えたところで、ちょんまげ時代に別れを告げ、舞台は下がって、今週から井伏鱒二『かきつばた・無心状』(新潮文庫)に入る。古本だと「しおり」がついていないこともままあって、そんなとき重宝するのがポストイットである。そんなわけでしばらくポストイットのお世話になっていたのであるが、今日から新潮文庫と云うこともあって、その心配もないと使い古して粘着の弱くなったそれと、おさらばした。さっそく電車で読み始めると、小栗上野介の話で始まった。つい先日も某テレビ番組で埋蔵金がどうしたこうしたと騒いでいたが、そのたびに登場させられる名奉行である。さすがは井伏先生、軽妙洒脱の文章で、読むものを違和感なく、作品世界へといざなってくれる。時間も忘れ没頭していると、まもなく降車駅である。いそぎ紐のしおりを引き出そうとするものの、手応えがない。爪先で、ちょろちょろするものの、つまめないのだ。嫌な予感が走り、念入りに探れば、案の定、寸断された形跡がみられるではないか。つまりスピン(茶色の栞のこと)が根本から哀れにも切り取られているのだ。しまった。その四文字が急速に頭を廻りつつ、ブックカバーを取り外して裏表紙をみれば、燦然と輝くように「ブ100円」のシールが貼られていた。ああ、無情。何でもかんでも平に整地すれば綺麗になって甦ると思っている商法の犠牲者(本)だったのだ。こういうケースは間々あることなので確認を怠った小生の手抜かりである。新潮文庫の特徴は、製本過程で初めに取り付けられるので、他社とは異なり上段の天の部分は断裁していない。というより、できないのだ。これがある意味、この文庫の味でもある。なんだか気の抜けたビールを飲むようで、やけに後味が悪かった。