廣瀬千香という人物を詳しく知るわけではないので、これから少しずつ調べなくてはならぬが、文学館で得た資料によると、廣瀬千香(ひろせちか・1897~1995年)は、山梨県甲府市山田町に生糸副蚕糸業を営む廣瀬慶次郎の次女として生まれ、熱心なクリスチャンで、評判の美人であったそうである。編集者、出版者、山中共子研究者、随筆家として活躍している。永井荷風の『ボク東奇譚』の校正を担当したり(断腸亭日乗にもしばしば名がでてくるようである)、青燈社という出版社を興し荷風の『机上之記』(昭和十一年)を処女出版した。千香は民俗学者の北野博美と結婚した。この北野博美はエログロナンセンス時代の軟派雑誌『奇書』(文藝資料研究會)などにも名を連ねている人物だ。少し脱線するが、この『奇書』には、北野の他にも、藤澤衛彦、佐藤紅霞、石角春之助、尾崎久彌なども寄稿している。『奇書』の第2巻第2号には、江戸川乱歩の次弟、平井通(耽好洞主人のペンネーム)が、「大坂賤娼考」を寄稿している。この周辺に位置する斎藤昌三(少雨荘)とも千香は懇意にしており、『書物展望』の編集を手伝っている。この時期、齊藤の紹介で文士訪問記事を書いているようだが、その際訪れた作家の一人が、馬込に住む室生犀星だったようである。
原稿には犀星宅を訪問した際の、短い会話が記されていた。
(千香が口述筆記をしようとすると、)
「アア、おやめになって・・・」
(ほどよい頃合いで、)
「こんなところで、よいでせうか、アア、よろしく・・」
「原稿見せて下さい。郵便でも・・・」頗る念の入った言葉。
最後の、「頗る念の入った言葉」というのが犀星の性格を表しているようで興味深い。その他にも犀星宅にリスが二、三匹飼われていた話や、苔の話で会話が弾んだことなども記されていた。そして最後は犀星の歌で締められていた。
故郷に身許洗はる 寒さかな
廣瀬千香に強い興味を持った。
つづく