先日友人に手招きされたので寄っていけば、分厚い封筒を目の前に突き出すではないか。何事かと思えば、封の中からは帯の付いた札束とそれよりも僅かに薄い札束が出てきた。なにか悪さでもしたのかと思いたずねれば、ナンバーズで当選したのだと満面の笑みである。詳しく聞けば、宝くじ売り場の前を通り過ぎようとしたところ、なにやら袖を引っ張られるような感覚で、買わねばならないと思ったそうである。よく買う番号をあえて外し、初めて買う番号を思いつくまま選んだそうである。当たるとも思わず翌日宝くじ売り場に出向けば、大金を差し出されたので驚いたということだ(正確には銀行で引き換えたのだが)。何とも羨ましい話しである。思わず、「帰りは車に気をつけるように」と憎まれ口を叩いてやった。
梅原北明の編纂した大著の一つに『明治大正 綺談珍聞大集成』というのがある。この書物については後日、詳細に記述するが、今日はこの中にある「片腕の売物」を紹介したいと思う。
浅草あたりに奇々妙々な取り沙汰がありますと探訪者が息せき切って雨の中を飛んで帰ったからそれは何だと聞くと昔より名高い越後の弘智法印の干物や先日回向院へ見せ物に出た坊主の干物と違ってこれは現在浅草の百助横町にて××松蔵として渾名を腕松というものは今年六十を超した爺でこの男が三十年ほどあとに賊のために片腕を切り落とされそれを大切に箱に入れて仕舞って置いたら不思議にも指爪がだんだん伸びるので或人がその腕を三百圓に買いたいというと腕松は五百圓なら売ると当時掛合中だと焼芋屋の前では子守が噂をし井戸端ではおさんどんが評判をいたしましたそれは何にしても金儲けだろうが当せつ右にいい腕を持った人なら五百圓位は一ト月の月給で取れるアア腕松さんホンニさうでは無いか。序にお話申しましたよう切れた腕の爪が伸びたり死人に月代が生えるというといかにも不思議なようだがこれは月代が伸びるでも有りません自然に肉が落ちてくるから伸びるように見えるので有ります。(明治九年十一月十五日)
*一部現代文及び伏せ字に直してあります。
最後には何てことはない、面白くもない落ちが付いたが、人様とお金の関係というのは時を経てもあまり変わらないようでありますなぁ。