久々に雨も上がったので、古本屋を覗きにでかけた。均一棚から梅原猛『地獄の思想』(中公新書)を拾い、読むかどうかは怪しいながらも、『太平洋戦争への道 開戦外交史1 満州事変前夜』と『太平洋戦争への道 開戦外交史別巻 資料編』(朝日新聞社)を300円なのでこちらも買う。重さに耐えながらも、いつもの如くその足で新刊書店に向かう。すると安岡章太郎『僕の東京物語』(世界文化社)と、田中貴子『鏡花と怪異』(平凡社)が売っていたので、こちらも買う。いよいよ重たくなったので、このあたりで休憩しようと、ドトールに駆け込む。アイスラテとスパイシードックを注文し、一息つく。こんな日にはちょうど良いとばかりに、『僕の東京物語』をさっそく開いた。


この本では、安岡氏の関係の深い土地が登場する。例えば幼少の頃過ごしたという小岩、市川では、江戸川の想い出が綴られている。安岡氏は川への郷愁が強いようで、偶然にせよ、鏡川、隅田川、多摩川など、住居そばには川があったようだ。 小生も子供時分、江戸川や中川で魚釣りをしたものだ。親父ともよく魚釣りに行ったが、その中でも忘れられない思い出がある。それは小学生の3、4年の頃、早朝の四時に起こされ、母親が作ってくれ弁当と釣り竿をもち、自転車に跨って向かうのである。餌は赤虫だかミミズだかを調達したと思うが、はっきり覚えていない。前の晩に雨が降ったせいか川は増水していたように思う。その日は、なかなか餌に食いつきがなく、親父共々、精彩を欠いていた。もうそろそろ帰ろうかという時分、浮きが水面に沈み込むと同時に、竿に「ビン」という重たい感触が伝わり、魚が食らいついたことがわかった。その引きの強さに、なにやら得体の知れない大物でも釣り上げてしまったに違いないという妄想と、川の主ならえらいことだという恐怖に似たものを感じた。おびえる息子を横目に、親父は何事もないかのように、かわりに竿をつかむと、するすると瞬く間に魚をあげてしまった。見れば黒々とした大ぶりの鮒で、すでに観念したかのように暴れることもなく、ただ口をぱくぱくさせていた。するとそんな興奮からか、急にお腹に変調をきたした。こんなところにはトイレなどあるはずもない。親父にその旨を告げると、「その辺でしてしまいなさい」という、子供にはあまりにも残酷すぎる言葉。そうはいっても我慢は限界に近く、周りの釣り人を気にしながらも、背の高い草の生えたところに駆け込み、息をひそめて用を済ました。悲しいかな、今でも朝露にぬれた青々とした草々が鮮明に思い出されるが、でもこの初めての経験は、得も言われぬ開放感を味わったことも事実だ。話しが少々くさい話しにそれたが、本著では川の想い出以外にも、上野や浅草界隈の想い出や、靖国神社、青山、神田など、興味深い昭和の戦前、戦後の写真を数多く収録しながら、作者の独特の目線で文章が綴られている。もちろん作者と時代は異なるながらも、想い出の地が幾つも重なるせいか、自身の回想とだぶってしまい、懐かしさと寂しさに時間を忘れ、一気に読み終えてしまった。そういえば、今日は母の日である。亡き母と、父への少しばかりの感謝のしるしとして、特売の寿司を買って帰ることにした。

安岡 章太郎
僕の東京地図