Page 57_自分の身を置く場所② | ゆる~くさらっと望みが叶うのが当たり前な私になれる【ゆるさら情報空間ラボ】

ゆる~くさらっと望みが叶うのが当たり前な私になれる【ゆるさら情報空間ラボ】

今まで得てきた
知識・情報・経験、他人の意見・世間の常識によって
自ら窮地に追い込んでしまうパターンを、
見つけて止めることが出来ます。誰かと争い、現実と戦って、
グルグル思考して消耗する人生から、ゆる~くさらっと、
自分の望む世界に変えて具現化できます♡

 

こんにちは、ともこです

いつもご覧いただき、

いいね!も、ありがとうございます

 

 

昨日の続きです。

しばらく続きそうですが

 

中高生の時でもインテリアには

興味がありましたし、

同級生の子の部屋も、家にも

羨ましさがありました。

 

 

実家ボロいのが本当に嫌でしたし、

家から出てくるところは絶対に

同級生や部活の後輩には

見られたくなかったです。

私の家だと認識されたくなかったです。

 

 

「ウチってなぜ、他人の家と比べて

こんなに古くて、汚いの?」

「なぜウチは平屋で二階建てじゃないの?」

 

 

“人を家に呼びたい”

なんて感覚は一切なかったです。

 

 

家庭訪問(今のご時世でもあるのか?)で、

担任の先生が来るのが嫌でした。

 

余談ですが、

 

家庭訪問で

“部屋を片付ける・片付けない”で、

親とモメて、片付けずに、

怒ったまま学校へ行き、

帰宅したら、

床の上に散らばっていた物たちは、

全て学習机の上に乗せられていて、

 

「ここまではやっておいてあげたわ」

「後はやっておいて」

「それだけは何とかして!

 

と、言われました。

 

綺麗な部屋で担任を待っていましたよ。

 

 

「ウチここだよー」なんて

軽く指さして言える子が羨ましかったです。

 

 

大抵そう言える子の家は立派でしたけど、

中にはそうじゃない子もいましたし、

実際にウチほど汚いわけでも、

古いわけでもなく、

それでも平屋の子でしたが、

卑屈じゃなかったです。

 

 

今の私ならわかりますが、恐らく

実家と自分の価値を結び付けていない

子だったのだと思います。

 

一旦切ります。

 

 

ミュンヘン

ガスタイク コンサートホール

 

中はこんな感じです

 

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