今日も何となくぼけぼけとした1日が始まりました。「去る者は日々に疎し」とは、親しい人も会わずにいると次第に疎遠になっていくというような意味だったと思いますが、4月から私の職種がガラリと変化して、3月まで一緒に働いていた皆さんや同志と思っていた方々ともどんどんと距離ができてしまい、連絡もなくて寂しいと思うこともあります。よく、私が自ら身を引いているかのように誤解されるのですが、環境や状況が全く変わってしまい、私の立場からの参画や参加をしていいのかどうかの明確な指針が無いので、どうしようもないのです。
夏の間は特に、仕事には行っても、特にやるべきこともなく、一人で自分がこれまでに保管してきた紙ベースの資料の整理ばかりしています。その中から、今の仕事に役立つ情報を探しています。まさに、前にも書いた通り「窓際族」や「肩たたき」といったような言葉がぴったり当てはまる私です。62歳の正式な定年退職の日まで、大企業で言えば「社史編纂」という部署に配置されたかのような毎日を送らなくてはならないようです。自分の部屋などもちろんありませんから、頭を下げてどこかの部屋を使わせてもらい、そこも急に使うということになれば早々に追い出されて、別の部屋を探さなくてはなりません。役職定年で降任というのは、こんなにも惨めな気分になるものなのでしょうか。
日々に疎し、と言えば、最近は確かに曜日感覚とか時間の感覚がマヒしてきたような気もします。
3月までは、仕事としての音楽活動(例えば県や市の音楽教育の研究や合唱団参加)もしていて、その仲間や知人、先輩や後輩等も多くいました。仕事としての音楽には苦労はあっても、自分の好きなことを仕事にしているという幸せ感はありました。そういったところが全てはぎとられて、声すらかかりません。
昨年度まで参加していた合唱団の夏のコンサートも、誰からも声がかからずに、行かずじまいでした。各職場にチラシを配っているじゃないか、観客として来たいなら勝手に来ればいいと言われればそうなのでしょうが、参加できないとしてもせめて鑑賞に来ませんかご指導お願いしますというようなアクションも何一つ無かったので、行こうという気にもなりませんでした。チラシなんか、目にもしていません。そもそも、そんなコンサートがあったことさえも忘れていました。
合唱団の冬のコンサートは、今回は30周年記念?となるようですが、真に定年退職をした大先輩方には丁重な案内等を送り、コンサートへの招待状なども発送するのかもしれませんが、私のような、なんちゃって現役?の単なる先達は放置されるような気がします。定年を迎えていないはずなのに役職定年?とは誠に意味不明ですが、一般の職員の皆様の方がむしろ、こんな私をどう扱ったらよいのかと戸惑っていることでしょう。こんな立場の私が存在していて、誠に申し訳ないことです。
冬のコンサートも自分から日程を調べて、職場を通してチケットを手配して、観客として勝手に行かなくてはいけないのかな。
今の事務局スタッフさんに伝えてあることがあります。私は立場上恐らく団員にはなれませんが、スタッフとしてはお力になりたいので、当日のプログラムは担当させていただきますということです。それも、彼らが今後は自分たちでやるのでもういいです、と言ってきたらそれで終わりです。プログラム作りでもさせていただければ、そのお礼として本番コンサートや反省会にご招待していただけるかもしれませんから、合唱団との関わりを保つための首の皮1枚、という感覚です。
ピアニストの富士子・ヘミングウェイが、ピアノが上手になりたかったら合唱団に入りなさいと言っていたのは、有名な話です。その理由を書くと長くなるのでここでは割愛しますが、今の私は、何とかピアノを以前のように弾けるようになりたい、もっと上達したいと願っているので、(それだけが理由ではありませんが笑)合唱団は続けたかったのです。そういった思いに、誰も寄り添ってもらえなかったのだなという虚しさが、今の私の心を支配しています。管理職のトップまでやってしまうと、誰かが背中を押すとか、引っ張り上げるとか、そういった対象者ではなくなってしまったということです。
来年度に合唱団に復帰するためには、早期退職をして純粋なOBとなるか、あるいは更に降任を希望して一般職の落ちるところまで落ちて職種を変えるしかなさそうです。あるいは、今の立場のままでも復帰ができるような環境づくりをしていただくしかないのかもしれません。そんな気概のある人など、誰もいないようです。
サメとまんぼう?意味不明ですね、すみません。ガチャガチャで買ったこのサメは、とてもかわいいです。知人にあげました。