「カシオピュア・ライブ」も、早いもので今回で9回目となりました。昨年までは、年に3回、4月、8月、12月と4の倍数月に行っていたライブですが、今年からは年2回、1月と7月実施に変更しました。内容も、昨年までは「CASIOPURE with FRIENDS」ということで、バンド・ブッキングの形式で、いわゆる、複数のバンドやユニットが出演します、という企画でした。今回からは「CASIOPURE LIVE & FUSION SESSION」ということで、メインはあくまでもカシオピュアですが、来てくださったお客様にもセッションタイムに演奏参加していただこうという、一般的なスタイルに変更しました。もちろん、聴くだけの参加もありです。
今回は、キャストの皆さんに助けられたという思いが特に強い演奏会となりました。機材の準備から運搬、片付けに至るまで、たくさんの仲間が手を貸してくださり、私はほとんどと言っていいほど、力仕事をしなくてすみました。特に、藪野さんには大変お世話になりました。彼がいなかったら、何の機材を用意したらいいのかについても、全く思考の整理がつかなかったことでしょう。忘れ物や漏れ落ち続出だったような気がします。(注)今までスタッフという言葉を多用してきましたが、今後はキャストという言い方も多く使っていきます。
しかも、藪野さんには車も出してもらえて、とても助かりました。他にも、各所各所で多くの皆様に助けていただきましたが、その全てをここに列挙すると超長文になってしまうので、お礼の言葉を全員分書かないことご容赦ください。キャスト代表、藪野さんということで。
集客については、音楽ジャンルがこれですから、飛び込みで来る客はいないだろうと覚悟していましたが、予想通りというか予定通りというか、観客は事前に把握していた身内ばかりという状況でした。そんな中ですが、懐かしい昔からの知人や新しく知り合った方も何人か来てくださり、思ったよりも盛り上がったので、ほっとしました。
従来のブッキングバンド出演方式にすれば、各バンドの出演者も観客数としてカウントされるし、それぞれのバンドも知人やご家族を招待するというようなこともあって、これまでのライブも常に満席となっていました。その分、気を使うことも多くて大変だったのですが、気持ちは充実していたような気がします。7thライブまで、実に数多くの皆様にご出演いただき、誠に感謝の念に絶えません。
8thは、私がちょうど手術直前の著しい体調不良(主に胸の強い痛み)に悩んでいるときであり、複数バンドの出演を束ねる自信がなかったことと、突然私自身が倒れたときのことまで想定して、「CASIOPURE と 萬歌団」という2バンドブッキングのライブとしました。私が急に不在になっても、萬歌団の皆さんとドラムなし3人カシオプア?で何とかしてくれるだろうという、他力本願な状況でした。
2バンドだけのブッキングでは大量集客は難しく、お店には収入面でご迷惑をかけてしまいましたが、とりあえず予定をキャンセルせずに済んでホッとした記憶があります。私の無理なお願いを快く引き受けてくださった萬歌団の皆様には、すごく感謝しています。
そして、年の明けた最初の月例リハで、手術後の2025年からはカシオピュアのライブは2回にするとメンバーで話し合い、もともとカシオピュア・ライブ9thの予定で会場を確保してあった4月29日には、昔ながらのまんぼうイベントを行ったというわけなのです。
なんだか、カシオピュア・ライブの歴史を語る、みたいになってしまいましたね。でも、いつかは詳しく書きたかったので、いい機会と考えて記録させていただきました。
ここから、やっと本題です。演奏についてのレビュー&セルフレビューです。
私自身の演奏については反省点が多すぎて、気持ちは暗いです。昔だって深刻な間違いはいつもしていて、完璧にできたというような記憶はないのですが、しかし、今回のエラーは前の状況とは違うのです。何が違うのかについて解説します。カシオピュアのメンバーは、お読みいただければ腑に落ちると思います。
心臓を悪くする前の深刻なミスとは、リハでもできていなかったところ、成功率が低かったところなのです。あるいは、2度に1度は成功していたというような箇所があってもその曲をボツにすることをせず、チャレンジコーナーと勝手にネーミングして特攻隊のように演奏に突っ込み、そして玉砕していたわけです。たまに成功することもあるから、やってみようということになってしまい、たちが悪いのですね。その他の曲で、いつも普通にできていた演奏は、いつも大きな事故なく演奏ができていました。まあ、それが当たり前ですね。
ところが、今回の演奏でもそうでしたが、最近はこれまで絶対に間違えたことのない場所、間違えるはずのない場所を間違えてしまうのです。みんなで止まるところとか、ドラムのリズムパターンが変化する箇所とか、何回も普通にできていた演奏が、突然できなくなります。どこを演奏しているのか、わからなくなります。テンポがわからなくなります。演奏中に頭が真っ白になります。
これらは、ドラムを演奏する際によく現れる症状ですが、他の楽器を演奏していても同じです。例えば、ピアノやキーボードを弾いているときに、昔は、8小節とか12小説よか16小節とか32小節という感覚的な流れが自然に体得できていて、演奏する際にずれることはなかったのですが、今は、1小節単位で自分の立ち位置が突然わからなくなります。
更に、事前調査をしたにも関わらず、ドラムセットの確認を忘れていて、いろいろと不備がありました。自分の頭の中で、アートサロンのドラムセットは最新のいいものだという思い込みがあったのです。もちろん、いい機材なのですが、ジャズ用のセットで2タム、シンバルはチープなものでした。これは、自分のセットを持参するべきでした。ジャズにはよくても、フュージョンには向かないセットということもありますので。
バスドラムも、音をミュートするために打面にタオルのようなものを貼らないと音が響きすぎてしまい、演奏感覚として難しいものがありました。そのタオルのようなものを外すと、音がブオンブオンとなってしまうのです。クリッパーのセットと、全く同じ感覚です。そのタオルのようなものがあると、ペダルを蹴ったときのツインという奏法が、なかなかうまくいきません。ドッドドッドド・・・、というような、つま先とかかとをうまく使った演奏法です。
でも、言い訳はできません。他の出演ドラマーの皆様は、難なく素晴らしい演奏をしていました。やはり、私の技量不足なのでしょう。私はなかなか、弘法筆を選ばず、というところまで到達できないままです。
でも、言い訳はできません。他の出演ドラマーの皆様は、難なく素晴らしい演奏をしていました。やはり、私の技量不足なのでしょう。私はなかなか、弘法筆を選ばず、というところまで到達できないままです。
さて、次はセッション・タイムについてです。今回は、昔ながらのまんぼうスタイルで行いました。演奏曲の見通しを立てておいて、そこに参加メンバーをこちらで当てていくやり方と、参加者に自由に曲やメンバーを決めていただくやり方の二刀流です。すごく大昔にこのアートサロンやポートプラザで3回ほど行った、なんちゃってセッション?「みんなde JazzらNight」(だったかな・・・)」で取り入れた画期的なスタイルで、当時も好評だったのですが、今回も何とかうまく機能しました。
このまんぼう流のセッションがうまくいくためには、プロの皆さんの役割がとても大切になります。スタジオまんぼうが長年取り入れていた「サポート・プロ」制度は、コロナ禍をきっかけとして組織としてのスタジオまんぼうが終了したため、同時に終了しましたが、今でも「友達プロ(友プロ、と勝手に呼んでいます)」として変わらず支えてくださる、心優しいプロ・ミュージシャンがいます。今回は、古くからの付き合いでもある、藤田さんと玉木さんがセッションタイムにサポート参加してくださり、その素晴らしい演奏で私達アマチュア・ミュージシャンの夢と希望を叶えてくださいました。
千葉アートサロンは、飲食を楽しみながら音楽の演奏も楽しむことができる名店です。実は、この12月で閉店してしまいます。設備の老朽化がその理由とのことです。残念でなりません。この機会に、すごく久しぶりに私が主催した演奏会を開くことができて、感無量です。
カレーライスが美味しいのは知っていたのですが、多分ランチメニュー専用だったのか今回のメニューには無かったのです。私が食べたいなあとつぶやいたら誰かお客さんが掛け合ってくれたようで、特別に作ってくださいました。多分、理恵さんかなあ。すごく美味しくて、カレー好きの私としてはすごく幸せでした。お酒は飲まないつもりだったのですが、注がれたビール少々と、レモンサワー2杯をいただきました。
※画像の後にも文章があります。

遠山さんが撮影してくださった、アンコール後のショットです。こんなことするのは滅多にない私達ですが、感謝の気持ちを込めました。

セッション演奏のワン・ショット。フュージョン・セッションなんて、滅多にない世界ですから客観的に見ていて面白いです。後ろでドラムを叩いている高野さんと、ピアノを弾いている裕希さんは、私にフュージョンの世界に引きずり込まれてしまった、気の毒な若者達です笑
手前でキーボードを演奏しているのは、やはり大昔にフュージョンで私と意気投合してしまった、気の毒な藪野さんです笑
この彼らが奏でる「アイズ・オブ・マインド」は、最高でした。私、ここでボンゴを演奏するつもりだったのに、聞き惚れていて忘れました。そのためだけにボンゴを持参したのに、残念でアホすぎました。

カシオペアの古い曲を見事に完全コピーしてきた高野さんの演奏を聴いて、私はとてもほっとしました。この画像は、新生カシオピュアにも繋がりそうな4人演奏です。私の体調問題もあるので、ゆくゆくはドラム演奏を何曲かシェアして担当するという時代が来る可能性もあります。私がやめて高野さんが入るというような、バンド活動「あるある」ではありません。美しい助け合いの精神で補い合うという、これからのバンドスタイルの提案をしたいのです。
ちなみに、カシオペアの兄弟バンド「北斗七星」にもカシオペア曲のレパートリーが数曲あり、ドラムは雄二さんです。こちらはメンバー固定であり、たまたま演奏曲にカシオペア曲があるということで、今回のカシオピュアの実験のように、曲によってドラムのメンバーが変わるかもしれないという手法とは全く違います。

古くからの友人である遠山さんが来てくださり、「スペイン」と「ルーム335」を友プロのお二人と一緒に演奏してくださいました。皆さんの演奏は、流石の一言につきます。遠山さんは、昔に「コン・フュージョン」のキーボーディストだった方で、今は亡きギタリスト、成澤さんの盟友だった方でもあります。ギタリストは、ハナケンこと花澤さんです。実際に335という高級ギターを持参して、そのギターの名を冠した曲「ルーム335」を演奏してくださいました。彼もまた、私によってフュージョンの世界に引き込まれてしまったお気の毒な方です。

ロッキーさんとE子さんの演奏は、実に奥が深くて素晴らしいです。この画像では見えませんが、友プロのふじたまきさんと、ピアノの理恵さん、ギターの竹内さんも参加していて、LPQ&プロという感動的なステージとなりました。ロッキーさんがハンドマイクで歌うという姿が、なかなかサマになっていると感じたのは、きっと私だけではないはずです。まんぼうはこの時は何をしてたのかって?たった1小節だけのコーラス参加しました笑
ありがたかったのは、ロッキーさんが「息吹」という曲をここで取り上げてくださったことです。マリンピアで、モニターの音が遠くて自分の音が把握できずに演奏がうまくいかなかったと、私が凹んでいた曲です。私のキーボード演奏で同じ3人で今回も演奏したのですが、音のバランスもモニターもよく、私としてはなかなか上質な演奏ができました。失敗を取り戻すことができたときは、すごく嬉しくなるものですね。使っていたダンパーペダルは、今回も安物ペダルでしたが、うまく使えました。音がちゃんと聞こえれば、普通に使いこなせるのですから、道具のせいにしてはいけませんね。※過去記事、ご参照ください。

今回初めてまんぼう系のライブイベントに来てくださった佐藤さんは、ノリノリでアサヤケを演奏してくださいました。こういう出会いは、まさに音楽の楽しさでもあります。フュージョン好きという少数派の「ブルー・オーシャン」な方と出会えたことは、この上ない幸せです。きっと、日本人観光客が少ない海外の街で、偶然日本人と会った時のような喜びだったのではないかと。私はそういう経験をしたことは無いので笑、単なる推測です。
ちょうど佐藤さんのかげになってしまいましたが、ハナケンさんも参加して、竹内さんも含めた3人ギターのアサヤケとなり、楽しかったです。そして、ピアノには遠山さんが参加してくださいました。キーボード裕希さん、ベース信濃さん、ドラム高野さんという豪華布陣で、とても楽しかったです。
まんぼうは何をやってたのかって?カウベルをちゃんと叩いていました。

70年代の洋楽フュージョンと言えば、シャカタクの「ナイト・バーズ」です。今回は、ロッキーさんと佐藤さんがコーラス参加という贅沢な布陣で、楽しく演奏ができました。理恵さんも、楽しそうに演奏してくださいました。本当は、この曲に板谷さんがドラムに入ってもらう予定で、画像撮影はそこでしようと思っていたのですが、ご遠慮なさっていたので藤田さんにお願いしました。板谷さんは、T・スクエァコーナーの2曲でドラム演奏をしてくださいました。出会いの場で、いきなりフュージョンの話題で意気投合した彼との付き合いも長くなりました。10月に成田弦祭りのステージで演奏をご一緒できることは、この上ない楽しみです。
左奥の方の客席に、末永さんの姿が見えますが、今回わざわざ来てくださり動画の撮影をしてくださいました。我々カシオピュアのメンバーの中では、5番目のカシオピュアメンバーと言われています。ちなみに、6番目はメイン・キャストも兼ねた藪野さん、そして今回めでたく7番目となったのが、高野さんです。

こちらは、オリジナルメンバーの「カシオピュア」。遠山さん撮影。
