自分は仕事が休みだし、ちょうど天気も曇りで暑過ぎなかったので、なかなかできなかった実家の庭の刈払と樹木の剪定を行いました。

カテゴリを、私の健康のことを書いている「希望の轍」とするのか、両親の世話や介護のことを記録している「悔悟?日記」とするのか、大いに悩みました。
私のカテゴリ分けや名称は、なかなかウケが良いので、このやり方を新しいブログでも継続したいのですが、新しいアメーバblogでもできるのかな。カテゴリという名称ではないけれど、何かその様な機能があったような記憶がありますので、チャレンジしてみるつもりです。
ただし、何度も書いているように、移行した後に、全ての記事に関して自分自身で一つずつ分類し直さないといけないようなので、それもまた苦労だなと。かなりの記事数だと思うので、これは一苦労ですわ。
あ、まだ移行作業は全く行っていません。心の余裕がないのと、やはり体調が万全ではないため、のそのそとしてしまうことが理由で、3月までのように仕事がすごく多忙だというわけではありません。私自身の心身に鞭打てばいろいろなことができないわけではないのに、勢いがつかないのです。
 

こちらが作業前の実家の庭です。裏庭はもっと大変なことになっていますが、撮影していません。


こちらが作業後の画像です。私は苦難に耐えて頑張りました。庭がこの程度の広さ(狭さ?)なので、約1時間程度の刈払機での作業で済みましたが、心臓にはよくないことであることは間違いありません。雑草の背丈が伸びる前に作業をしないと、後で大変なことになるので、これからも私の命を削りながらの定期的な作業になることでしょう。
刈払だけで終わりではなくて、刈った草をゴミ袋に入れたり、樹木の伐採や剪定もしたので、その後は体調がかなり悪化してしまいました。


玄関近くに完全に枯死している樹木があり、倒れそうで危険だったので苦労して伐採しましたが、父の了承は得ていません。彼は、現状変更を嫌がり、前にこの木を切らないと危険だから進言した際にも、いいからそのままにしておけという感じでした。で、すぐに忘れます。
他にも、隣の家の敷地に激しくはみ出している枝葉を苦労して伐採して、何とかトラブルになることを避けました。道路にはみ出しているところは、次回に作業します。
更に、各樹木の下枝を切り落としたり、伸び過ぎた枝を剪定したりというような、一般的な作業もしました。そのため、枝葉の山ができたのです。庭の端に山積みになっている枝葉は、枯れるのを待ってからゴミ袋に入れるつもりなのでそのままにしておいてほしいと父に言いましたが、何だか腑に落ちないような表情でした。
明日になったら私に電話があり、家主の許可を得ずに何をやってるんだと怒るのでしょうかね。朝に私が、これから庭の手入れに行くと父に連絡しておいたのですが、私が実家に到着したときには、何だか父が庭にいて、ヨボヨボと動きながら、できもしない作業をしようとしていました。悲しい景色ですが、どうぞ室内に戻ってくださいと言うしかありませんでした。彼は、なぜか雑草の花を摘み取っていました。花瓶に生けると言うのです。雑草の花も美しいと感じているということでしょうか。ただ、彼は室内サンダルのまま外に出るので、室内も砂泥だらけになります。彼自身の足も汚れます。私はそこには口を出せず、妹か妻の女性陣にお願いするしかないのですが、今日はもうどうしようもありませんでした。


もうひとつ、困ったことがありました。実家の庭にはマキの木が2本あるのですが、雄花と雌花があり、雄花の方?かな?の花粉がすごかったのです。植木バサミで剪定していると、まるで煙のように花粉が飛び散ります。
マスクやフェスカバーをして作業をしているので、直撃は避けられているように見えますが、細かい粒子は身体のあちこちに付着しているはずですから、うまく削除と除去をしないと、私の肺にとってはダメージが大きいはずですね。ただでさえ、最近は空咳や痰がひどくなってきたので、心配は尽きません。
心臓と肺の両方の心配をしながら生きていくということ、試練ですが運命です。頑張ります。
この文章のカテゴリは、やはり「希望の轍」ですね。そうします。
※ この記事の文面は、ここで終わりです。