役職定年とは、酷な仕組みです。辻褄合わせの理論で虚飾された、卑怯なやり方です。こんなことなら、延長せずに早期退職して、退職金をもらって、やりたい仕事を探してやればよかった。自分はこの職で身も心も削って働いて実績も残し、求められていると思っていたので、裏切られた思いです。切り捨てられて、その後はいいように使われてしまう人生です。やりたくもない仕事を4月から始めるのですから、気持ちは暗くなるというものです。

今の惨状を予測できなかったので、メンタルのダメージは大きいです。
ただ、心温まることもありました。今日、職場でお別れの会があったのですが、たくさんの顧客の皆さんが純粋に別れを惜しんでくれたのです。突然私との別れを知った彼らは、不器用に、そして純粋に感謝の気持ちを伝えてきます。そんなピュアな皆さんと触れ合っていると、私が担ってきた仕事の素晴らしさを実感します。そういった思いを2度とできないのかもしれないと考えると、寂しさは募るばかりです。定年延長により、本来はあと2年間はこの素晴らしい仕事を継続できるかもしれなかったのです。そういった希望を奪われた役職定年システムの欠陥と問題点については、資料をしっかりと整えていずれ大々的に世間に訴えたいと考えています。
降格されてよかった点についても書くことにより、無意味な感情的な批判を受けることを避けるつもりです。役職定年の功罪について、というタイトルで公表します。一方的な批判をすると、だいたいは不適切な行動であると問題視されて、精神面がおかしいのてはないか等と逃げの理論で武装されてしまいます。内容の本質を離れたところで攻撃を受け、くだらないことで疲弊してしまうのが関の山です。批判を受けないような論調にします。しかし、読む人には理不尽な欺きのシステムであることが伝わるように工夫します。数々の資料も整えてあります。
そんなことをする暇があったら、片付けをして引継ぎの準備をしたらいいんじゃないの、という声も聞こえてきそうです。もちろん、今はそんなことをする暇がないのですから、このブログで愚痴る以外は何もしていません。役職定年で一線を退いてからの話です。
 





これ、パソコンの壁紙。私の最も苦手なアングルの画像。自動的にいろいろな画像が設定されるのですが、いきなりこれが出てドキッとして、いわゆる心臓に悪いというやつでした。こういうの、やめてほしいな。でも仕方がないですね。今の私の気分にピッタリ過ぎて、偶然にしてはタイミングがよく、驚いてしまいました。