寒風吹き荒み、時折小雨も降る中、花見川団地商店でライブを行いました。中止か実施かの判断は厳しかったと思われますが、主催者の、実施するとの英断に感謝したいです。

計画では屋外の円形ステージで演奏をする予定でしたが、万が一、大雨となった際には機材へのダメージが甚大であることから、閉店した商店跡の、雨を避けられる場所で演奏をしました。
主催者からは演奏の中止も打診されましたが、ギリギリまで判断を伸ばし、結局は場所を変更して演奏しました。
そういえば、昔にこの場所で演奏を始めた頃に、シャッターの前で細々と演奏をしていたのでした。クリッパーの前店長、関さんのご紹介で、ビアホール企画における演奏を行ったことをきっかけとして始まったご縁ですが、今回の演奏をきっかけに、いろいろなことを思い出しました。全てがいい思い出です。何度か中断の危機もありましたが、何だかんだと演奏が毎年継続されているのは嬉しいことです。
今回の演奏に関しては、私は技術的に不本意なところも多かったのですが、私自身の体調のことを考えると実施できただけでも奇跡的だったという側面もありますので、今後のためにも本ブログに記録として残しておきます。画像は全部で10枚(制限数ギリギリ)、全ての画像の後にコメントがあります。
 

今回、急遽このような場所での演奏になりました。雨がぱらつく中で、主催者からは中止を打診されましたが、我々バンドメンバーとしては少し待ってみようということになり雨宿りをしていたら、主催者がその避難場所?で演奏したらいいと思いついたのか(真相不明)、空き店舗前のスペースでやることになりました。
セッティング開始時間がかなり遅くなったので、演奏開始時間もその分後ろ押しとなりました。本番の15分前からセッティング開始という緊急事態でした。どんなに急いでも30分はかかりますので、気持ちだけが焦る状況でした。
ところで、そのセッティングでは、私の個人的な体調のことで大問題が発生していました。ドラムのセッティングは私がするしかないのですが、ちょうど思考の整理ができない状況になってしまい、ドラムセットを全く組み立てられなかったのです。何をどう組めばどうなるのか、あるいはどのケースに何がどのように入っているのか等が、まったくイメージできないため、時間だけが無駄に流れて、何も作業が進みませんでした。
フルPAの場合は最低でも30分以上はセッティングにかかるため、私たちの演奏開始時間になってもなかなか演奏がスタートしないという状況になりました。待ってくれていたお客さんにも、迷惑をかけてしまいました。
キーボードのセッティングは、メンバーの裕希さんやスペシャルスタッフの藪野さんが自主的にどんどんと進めてくれたのでとても助かったのですが、それでも、いつもはキーボードの配線や音量バランスは私が担当しているので、そこに全く関わることができなかったのが申し訳なかったです。そして、そのことは演奏本番でのトラブルにも影響してしまったのです。

藪野さんの名前を出しましたが、今回は彼にスタッフをお願いして救われました。自分一人ではできないという予感と自覚があり、出演が決まった直後から声をかけていました。当日の午前中から来てくださり、テキパキと積込みをしてくれました。今回は、レンタカーを借りました。
実際に、準備や荷造りをしながらも、何が何だかよくわからないような感覚でした。自分が何をやっているのかが判らないのです。それでも、機材をリストアップして積込みをしているときに、時間をかけて冷静に考えてみたら、PAの心臓部とも言えるパワードミキサーを用意していないことに気が付きました。リストアップも忘れていたので、ギリギリセーフでした。この機材を忘れてライブ会場に行ったら、何もできないところでした。その他にも、藪野さんと一緒に早めに準備をしたからこそ、寸でのところで思い出して救われたということがいくつもありました。私一人では、重大なエラーが発生していたはずです。
これまでのライブやイベントの経験ではこんなことは全くなく、これまで長年やってきたことと同じことができなくなっている自分に愕然としました。


午前中から作業をしてくれた藪野さんに、あの名店?でランチをご馳走しました。2人とも、ちょっと食べすぎですね。しかし、食事中においても、何か忘れていることがないかと考え続けました。そしてこの後、不安でいっぱいの中、ついに現地に向かいました。運転は藪野さんにお願いしたのですが、裕希さんのご自宅にお迎えに行くときに、私がぼーっとしていて目的地を忘れていつも通っている道とは違うところを案内してしまい、渋滞にはまって遅れてしまいました。こういう失敗も、日頃の自分からは考えられないことです。
裕希さんをピックアップして、次はJR千葉駅付近で竹内さんと信濃さんを乗せて、いよいよ花見川団地に。ぽつぽつ降ってきた雨を心配しながらも、とりあえず現地に向かいました。画像を撮影し忘れたのですが、1台の車でみんなでワイワイと演奏に向かうのは楽しいですね。
目的地は、以前に勤めた職場があった花見川団地なので、地理には詳しいはずなのに、急に記憶が薄れてしまったかのようでした。事前に主催者からデータで送信してもらった地図や画像のデータを見ても、ピンときませんでした。私は、現地でも何度も違う道に藪野さんをガイドしてしまったのです。道がひとつずれていても気が付かず、何とか現地についてほっと一息でした。心配した主催者が、道に出てきてくださっていて助かりました。私は何度も「あれ?ここはどこだったかなぁ」とつぶやいていたはずです。

先日にデータでもこのブログにアップしましたが、こうして改めてボードに貼られると、気持ちも引き締まりましたね。このステージでは演奏はできませんでしたが、機材を運んでセッティングをしようかどうしようかというところでこの画像を撮影しました。雨がぽつぽつと来ていたので、この後に主催者の判断で、急遽場所を変えることになったのです。

この規定のステージでは演奏はできませんでしたが、かえってゆったりと機材の撤収ができたので、よかったのかもしれません。バンドごとに演奏する場所が違うという計画にすれば、やりやすいことは確かです。機材を完全に自前で用意しないといけないという苦労はありますが、自由にできるのはいいことです。この画像は、最後のビンゴ大会で、盛り上がっているところです。
結局は、イベントの全てをやり遂げることができたということでしたので、私も自分のことのように嬉しかったです。

今回のライブにおいては、多くの知人・友人の方が私に声をかけてくださいました。告知を受けて聞きに来てくださった方も複数いて、嬉しかったです。特に、関さんのお顔を拝見した際には、不覚にも涙がこぼれそうになりました。その他にも、仕事を通して知り合った多くの方が、たまたま来場していた人々も含めて気持ちよく私に挨拶をしてくださいました。
金曜日に仕事の大トラブルが発覚して気持ちは激しく落ち込んでいたので、しかも自分の体調も悪いという中だったので、あたたかくて優しい多くの皆さんとこうしてご一緒できたことは、私の心の救いとなりました。


機材の積込みは私と藪野さんの2人で行いましたが、機材等を降ろす作業はみんなで行ったので、あっという間に終わりました。ただ、降ろしただけなので、この後の片付け収納は、私一人が担当することになります。次回の演奏の機会ですぐに使えるように、機能的に収納しなければなりませんので、ここからが勝負ですね。ただ、今の私にその能力があるのかどうか、それが心配です。以前にできていたことができなくなっているというところが、今の私の大問題点なのです。片付け収納にいったい何日かかるのでしょうか。今後も、レポートを継続します。
この画像は、機材を降ろし切った後に、みんなで記念撮影をしたものです。鏡に私が写っているのが、いつもながらなかなかおもしろいです。

私の出発準備ができるまで、ちょっとしたくつろぎタイム。反省会?というほどのことではありませんが、やはり会話は大切です。
今回は、私の体調不良で、私が思い描いていたような全体セッティングができなかったことが大きな反省点です。昨年の9月も裕希さんのキーボードで花見川団地ライブをしたのですが、バランスその他、うまくいっていました。今回は、私が自分のドラムの準備もままならなかったので、他の楽器まで気が回らなかったことを後悔しています。ライブの度に、私はいつも全体を気にしていたんだなと改めて気づきました。今回は、頭がパニックになってしまって、全く人任せでした。ドラムのセットがやっと終わったらすぐに演奏開始、という感じでした。
そのドラムセッティングも、シンバルの配置やカウベルの場所など、意味不明にめちゃくちゃでした。ドラム椅子も低すぎて、足技がうまくできませんでした。もうドラム演奏は引退した方がいいのかなと思い詰めるほど、悔いが残ります。ドラムの演奏自体も、今一つでした。
竹内さんのボーカルは、とてもよかったです。今後も、カシオピュアで竹内さんのボーカルというパターンを研究していきたいです。
 

ウチアゲは、久しぶりに「やまこし」に行きました。お馴染みに感じますが、裕希さんと信濃さんは、ほぼ初登場とのこと。竹内さんもかなり前に来たことがあったかな、という感じでした。肴が美味しいお店はいいですね。私は前ほどお酒を飲まなくなったので、食べ物を美味しくいただくことができる居酒屋は貴重な存在です。
 

雪まみれの藪野さん。車を置いてから遅れて打ち上げに参加してくださったのですが、外はいつの間にかすごい雪になっていました。この画像は、彼の到着時に突然撮影したものです。なぜここにその画像が貼られるのかについてですが、おもしろいので、ご本人の承諾を得てこのブログにアップしました。


いろいろともありましたが、充実した1日となりました。ドキュメント風に書き進めてきましたが、私自身の急激な劣化と体調悪化に、今後どう対応していったらよいのかについて、音楽活動をとおして考えさせられた1日でした。
多くの心優しい仲間や心友に支えられて、私は何とか生きていくことができます。感謝の気持ちをどう表せばいいのか、そのことも考えながら日々の生活を大切にして、颯爽(さっそう)と生きていくつもりです。どんなに歳をとっても、どんなに病で苦しもうとも、私は人の前では颯爽としていたいのです。