悲しい葬儀だった。
たくさんの無念が漂っていた。喪主は気丈に振る舞い、自らの手で、夭折した愛する妻の葬儀の一切を取り仕切り、来訪者に対する気配りも欠かさなかった。
どんな思いだったのか。
最後の喪主挨拶には、短い言葉ではとても言い尽くせないはずの、亡き妻への深い愛が込められていた。キリスト教による式も、故人に相応しくてすばらしいものだった。
この感覚を、言葉で伝えるのは難しい。懐かしい面々との再会もあったが、特に何らかの会話があったわけではない。誰も私に声もかけてこない。それでいいのである。亡くなった友人を偲ぶのに、何の理屈が必要であろうか。
喪主の「おじぃ」とは、一言だけ言葉を交わすことができた。私なりの精一杯の思いを込めて声をかけた。
「辛いですね」この私の言葉に対して、彼は振り絞るように、そしてしっかりとした声で答えた。「はい辛いです」
すばらしい人物である。以前から、彼のことは尊敬している。私の願いが叶うならば、せっかく音楽活動を通して築いたこのご縁を、絶やさずにいたいものだ。
そのすばらしいお人柄で万人から愛されていたtomokoさんのご遺志を、何らかの形で繋げていきたいし、そのために私にできることがあればどんなことでもするつもりだ。


ジャズボーカルとして、初めて私の音楽イベントにメインとして参加してくださった際の、懐かしいフライヤーが出てきた。
この演奏会をきっかけとして、この後には毎年のように何度も演奏をご一緒できて、幸せだった。コロナ禍で疎遠になってしまったことが、今更ながら悔やまれる。
ご冥福を心からお祈りします。アーメン