飼っている金魚の一匹に、厳しい試練が訪れている。奇形もますますひどくなり、まっすぐ泳ぐこともできない。動きもおかしくなっている。餌もあまり食べない。この状態はしばらく続いているが、その様子からは生命力の凄みというものを感じる。
私自身にも間もなく訪れるであろう様々な試練、その予感、その他諸々の困難や苦難。金魚の苦境が、なぜが我が身のことのように感じる。この金魚はもう長い間、目も見えていない中で頑張って生きている。白内障で、盲目なのだ。動きでわかる。
生き物を飼うということの重さを、金魚の飼育を通して感じている。

この状態で動かなくなっていたときは、さすがに焦った。しかし、奇跡的にまた動き出した。

これは、泳いでいるというよりも少し浮かぶことができたという感じ。突然ひれをバタバタッとさせて、少し浮き上がるのだ。

それでも、すぐに力尽きて、重い頭から底に落下してしまう。

この画像のときも、さすがにもう駄目だろうと思った。しかし、仲間の金魚がこの様子を見ていた。

ここで、奇跡が起こった。仲間の金魚が、動かない金魚仲間に向かって泳ぎ出したのだ。

動かない金魚に対して、何らかの行動刺激を与えているようにも見える。

10分以上動かなかった金魚が、仲間の刺激によって少しだけ復活したようだ。今晩もってくれるのかどうか、とても気になる。えら呼吸も、したりしなかったりである。無呼吸症候群の私も、こんな感じなのかもしれない。検査によると、呼吸が止まると1分半以上も呼吸が止まったままで寝ているらしいので。

その後も、特に状況は改善しない。仲間の金魚は、瀕死の仲間を土管の中に入れようとしているかのようにも見える。生き物とは、まさに不思議である。
※今後この金魚が死去した場合も含めて、このブログ上では飼育動物の訃報の連絡を具体的に書かない予定です。