阪神淡路大震災のことは、私の歴代ブログまたは掲示板でも何度か取り上げました。心の痛みと共に、毎年この時期に思い出されます。
私の古くからの友人の中に、これまで私が書いてきた阪神淡路大震災についての記事の内容を覚えている方が一人でもいてくだされば嬉しいのですが、それはさすがに難しいかもしれません。風化を恐れるようなコメントも数多く目にしますが、私は忘れません。その理由については、そのうちに公表します。昔の歴代ブログで書いてきたことを、ここで再び書くことが少し引っかかっているだけです。今では、昔に余計なことを書かなければよかったのかな、などと思うこともあります。
この阪神淡路大震災は、人々が長年忘れていた災害の恐怖を蘇らせたという点で、衝撃的な出来事だったと考えています。朝の出勤前にニュースを見ていたら、報道にも緊張感がありませんでした。関西で大きな地震があったものの、死者は5人、と言っていたのです。その後は、私の予想通り、あっという間に恐怖の映像と被害の実態が次から次へと報道され、騒然とした雰囲気となりました。マスコミがマスゴミだったことを世間に露呈するきっかけとなり、はた目からは報道各社の無能ぶりが競われているような感覚を覚えました。
その後にも、様々な大地震やその他の自然災害が日本の各地を襲いました。その後の災害報道では報道各社の姿勢も多少は改善されましたが、それもこれも、この阪神淡路大震災の経験があったからのことでしょう。
さて、話は変わって最近の私の傾向についてですが、昔のことは鮮明に思い出せるのに、間近なことが思い出せないことがかなりあります。だからといって実生活には今のところはさしたる影響はないのですが、将来のことを考えて心配になっています。前に記事に書いたように、私は77歳になってから気心の知れた仲間とラスト・ライブをやることが夢なので、その頃に何もわからないというような痴呆症になっていないことが目標です。痴呆と書くと強烈なイメージですが、いわゆる重度の認知症です。そうならないよう、ターメリックの摂取に努めようかな。
つまり私は、あなたのことを忘れないでいたいのです。いや、忘れたくないのです。私にとって、人のことを忘れてしまうことは、死に等しいことです。

注:画像と本文は、全く関係ありません。これは、知人が送ってくれた画像です。