まず、腰が痛い。どんどんと痛くなり、それでもどうしようもない。発熱したためか汗をかいてしまい、特にお尻が痒くて痛い。尾てい骨のあたりが特に痛い。寝返りも打てない。テレビをつけようとしても、動けないから自分ではできない。その他、数多くの不自由と共に1泊することになった。
失敗したなあと思うのは、ペットボトルの水を手術前に買っていなかったこと。水分を十分に摂ることができないから、今も胸が痛いが、その理由が血栓によるものか手術失敗によるものなのか、よくわからなくなってしまう。
ただ、点滴も継続して受けており(午前2時に突然警報音が鳴り終了した)、飲んでいた薬の効果もあって血液サラサラのはずなので、血栓はできないだろうと考えている。いやいや、同じ姿勢でずっといるのは危険なので、油断大敵。
体が固定されてしまうと、水を汲みにもいけないから、看護師が私の様子を見に来た際に申し訳なさそうに依頼するしかない。発熱をした際にコロナとインフルの検査をしに来た医師にも頼んでしまったが、それでも小さいカップで3杯しか飲めていない。失敗したなあ。なんで思いつかなかったんだろう。
担当医ではない医師が私の足の方の傷口を診に来て、バリバリバリとガムテープのような医療用テープを剥がし、抜糸をしてから巨大な絆創膏を貼って帰っていった。かなり痛かった。その後に別の看護師が来て、小水をとるための管を抜いていった。これもまた、すごく痛かった。しかし、その後に検査着から普通のパジャマに着替えたので、やっと自由に動くことができるようになった。まだのそのそしているが、少しずつ体を動かしている。
担当医はまだ手術の説明に来ていないが、昨日、今日、明日の諸検査の結果も鑑みて診察をするのだろう。心穏やかに待ちたいと考えてはいるが、胸の圧迫感やもやもや感、ときにヒヤッとするような感覚はまだ残っている。ただ、この新しい主治医の先生は、成功率7割とは言わずに、もともと3割の人は2度3度と行って完治するような手術ですと言っていた。なるほど、言い方によって印象は変わるものだな。しかし、仮にこの手術の費用が150万だとして、あと2回受けるのは経済的にも厳しいものがある。
話は変わって、昨日の手術のこと。私は、看護師に連れられて、点滴を転がしながら歩いてアブレーション・ルームに向かった。そこで妻と合流。外でひたすら待つだけとのこと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。急変や医療事故が無いとも限らないから、親族は基本的に待機していなくてはならない。
入口から入ったら、そこで技師の一人が何やらチェックを始め、私に名前を聞いてきたりリストバンドのバーコードを読み取ったりしていたが、別の技師に「ドアを閉めるのでどいてください」と言われた。私が悪いわけではないのに、不愉快である。見渡してみると、確かに10人以上のスタッフが様々な分野で動き回っていた。一人ベテランらしき男性の医師がおり、その人がいろいろと指示を出している。私の主治医もその人から様々なことを言われて、はい、はい、という感じである。そして、たまに笑いも起こっている。明るい職場、リラックスして協調する職場、という印象で捉えればいいのだろうが、これから命のかかった手術をするという際に、その現場に笑い声があってよいのだろうか。職員の皆さんの緊張感も感じる手術室だったが、だからといって、それを笑いでほぐす必要もないであろう。
遠くの方では、最新の機器を見ながら、若い技師が話し合っていた。「この新しい手術は初めてで経験ないんだけど、これまでの(アブレーション手術の)やり方と同じだよね。」「(計器の見方は)変わらないよ。」私は実験台なのかと、多少の不安を覚えた。※( )内は、推測です。
いよいよ手術台に乗せられ、様々な処置が始まった。そこでも、なんだかテキパキという感じではなく、いちいち確認しながら行っており、それやり方違うよ!などと指導をされている若い人もいた。まあ、プラスに考えれば、よく相談していることによって医療ミスや事故を防ぐために必要なことかもしれないが、事前に会議をしたりシミュレーションをしたりということはなかったのだろうか。アブレーション手術で有名なこの病院でも、それほど日常的に行われているわけではなく、私の症例は多くの若い医師や技師にとっての学びの場になっていた可能性もある。これも推測に過ぎないが、だからと言って確かめる方法もない。確かめる必要もない。
主治医が、「これから睡眠導入剤入りますね」と私に言ってからは、もう何の記憶もない。前の記事にも書いた通り、15時半までぐっすりだった。親族も病室に入ることができないので、妻は私の無事を確認してすぐに帰路についたようだ。麻酔から覚めるときの錯乱状態もなかったようで、それは一安心だった。妻によると、手術後に私が発した言葉は「トイレに行きたい」だけだったとのこと。私はそれすらも覚えていないので、目覚めたときには一人で病室にいて固定されていて、ああ、手術は終わったんだな、生きていたんだな、と思ったのである。

今朝の朝食。味のない無塩鮭に味のないおひたし。そこに、僅かな量の醤油を配分よくかけて食べなくてはならなかった。うまくやったつもりだが、やはり私には薄味だ。なかなか薄味に慣れない。味噌汁も薄かった。塩分量は2gとのこと。

呼吸がかなり苦しかったので、夜中に血中酸素濃度の表示を見たら、80いくつで、かなり低かった。日常的には98ということもあり、最低でも94だったから、かなり低い数値である。体中が痛かったことと、その他諸々の理由で眠ることができず、苦しい夜となった。でも、手術中に6時間も爆睡していたわけだから、ちょうどよかったのかもしれない。

動けるようになり、やっと水を購入することができた。これで一安心だが、昨夜にこそほしかった。動けなくなる前に、手術の前に用意しておくべきだった。私の場合は、水分補給は切実な問題なのである。