この土日のことは、内容に応じて分割して書くことにしました。今回はタイムライン記事ではありません。こまめにあちこちに移動したので、疲れました。
土曜日の午前中は、両親を病院に連れて行きました。いろいろとうまくいきません。その後も様々な予定をこなして、夕方からは、スエさんか裕希さんを誘って買ったばかりの新品キーボードの開封式をしようとしましたが、お二人ともご都合がつかないとのことでしたので、結局実家であれこれやって、帰宅後は早めに寝てしまいました。キーボードは、まだ箱に入ったままです。
日曜日の午前中は、両親を八柱霊園まで墓参りに連れて行きました。毎年連れて行っているのに、父は相変わらず、もう長い間行っていないと言い続けています。
私と妻はかなり早めに実家に行き、両親の準備をサポートしましたが、やはり予定時刻には出られずに、行きも帰りも渋滞に巻き込まれました。彼らは車の乗り降りも一苦労ですが、毎年同じことを繰り返す墓参りなので、今年は特に両親の一層の衰えを感じて、複雑な思いでした。
今の私自身が、心臓病の影響と、その症状を緩和するために飲んでいる薬の副作用のために急激な劣化(老化?体調悪化?)を経験している最中であり、体のあちこちが悲鳴をあげています。それでも、自分の思うように動けない両親が頑張っているのだから、ここが辛いあれが辛い、なんて言ってられませんね。
それにしても、車内における父との会話はいつものように支離滅裂でした。おそらく大昔の記憶と混濁しているのでしょう。どこを走っていても、何度もこんなことばかり言います。
「ここも短い間に随分と変わったなあ。昔は、ここは一面が田んぼだったんだよ。」
私は、もちろん即座に否定します。優しい言い方で、少なくとも私が墓参りに車を出しているこの30年近くはほとんど大きな変化が無いを伝えます。すると、父は「そうか?」と答えます。
いつも通っているN競馬場の前で渋滞に巻き込まれている時には、「ここは競輪場か?」と尋ねてきました。昨年までは競馬場と認識できていたはずなのに、ますます厳しい状況となってきました。他にも、様々な言動から異常性が認められますが、早く何か手を打たなくてはならないと焦ってしまいます。
お墓に着きました。父も母も、もはや自力で墓の仏前に上がることもできません。ちょっとした段差も、苦労の連続となります。
大渋滞の後に両親を実家に降ろした後は、職場に休日出勤をしました。私自身も、仕事がなかなか進みません。新しい仕事は特になく、これまでと同じことをしているはずなのに、いろいろとうまくできないのです。昨年の同じ時期に同じことをしていたわけですから、私自身の劣化は私自身がよくわかります。
日曜日の夕方には、齊藤Gさんのお店に、修理に出していたベースを引き取りに行きました。このことについては、次の日記に書きます。

お土産でいただいた日本酒は、前に還暦会の際にいただいたお酒とたまたま同じでした。美味しいお酒だった記憶があるので、手術が無事に終わったお祝いにいただこうと考えています。楽しみが増えました。