西田敏行さんの訃報からしばらく時間は経過しましたが、実は、そのニュースを知ったとき、私の心にはかなりのダメージがありました。虚血性心疾患…私にもいずれ訪れる、自身に訪れる未来の死の姿であると感じました。死後の発見のされ方も、私も同じようになるのだろうと感じたのです。心身共に弱っていても、死の直前まで皆さんと親しくお付き合いさせていただいていたという西田さんの姿が思い浮かび、すばらしいことだと思います。
ここで、ネットで見つけた記事を、要約して紹介します。西田さん自身は、必ずやってくる“その日”のことを強く意識していたようです。
何かの映画(忘れてしまいました)の制作発表の場で.記者の質問に公に答えたという西田さんの言葉です。
「死ぬということを、ごく日常的に考える年齢になりましたので、どう命をたたむか…毎日毎日、考えている。(中略)夜、寝る前に必ず1回は“明日、死んでいたらどうしようかな”と考えます。そんな人生……幸せだなと思います」
「死を考えることが幸せ」という独特な感性は、西田さんの経験から紡ぎ出されたものではないかと記事にありました。 次は、西田さんの知人が語ったという言葉です。
「福島県出身の西田さんは、東日本大震災でふるさとが甚大な被害を受けました。発災から2週間後には地元へ足を運んで、友人たちと一緒に被害の大きかった南相馬市に車で向かいました。」
知人によると、西田さんはその際、突然命が奪われ、人生が終わる悲劇を身をもって感じていたとのことです。
「西田さんは、仮に病気による最期だったとしても、“そろそろ自分は死ぬのかもしれない”と思いながら死を迎えられることは、幸せなことだと捉えていたのです。逆に震災や事故などで、死を意識していなかった人が突然亡くなってしまうことこそが、最大の悲しみだと考えていたそうです。 何度も病気になり、治療やリハビリが苦しいものだったとしても、役者稼業を終生まっとうし“明日、死んでいたら”と夜がな思いふけった結末の形で旅立ちました。西田さんにとっては“理想の死に方”を迎えられたのでしょう。」(前出・西田さんの知人)
心からご冥福をお祈りいたします。
もう一人、私が若い頃に大好きだったリミックス・ミュージシャン、ヌジャベスさんのことに触れないわけにはいきません。
私が最近好んで視聴しているテレビ番組、星野源の「おんがくこうろん」を見ていたら、突然彼が登場して驚きました。私がすごくショックだったのは、テロップで「36歳の時に交通事故で他界」と出ていたことです。テロップで流れただけで、出演者は誰も彼の死のことについて語りませんでした。
お亡くなりになったことは知りませんでした。顔も知らなかった人だけれど、若い頃にその音楽性を通してすごく好きだったのに、いつの間にかミュージック・シーンから姿を消していて、音楽業界も大変なんだなと勝手に思っていたのです。まさか死去していたとは知らずにいたので、ショックを受けてしまいました。西田さんとは真逆の世の去り方で、突然の死でありながら知名度の差で大きく報道もされなければ、昔は今のようなネット社会ではないので、今回のように知らないまま長い時間が経ってしまうということもあるのですね。昔に好きだったアーティストの中には、きっと私も知らないうちにお亡くなりになっている方も多いのでしょう。私が死んだ後のことは私にはわかりませんが、死してなお恥を晒すようなことにならないように、あと何年生きるかわかりませんが、悔いのないように生きて自らを律していくつもりです。
でも、ヌジャベスを音楽番組で取り上げていただけたことに、ある種の感動を覚えました。星野源さんのセンスなのでしょう。画像の後にも文章があるので、是非お読みください。

何気なくテレビをつけたら、いきなりヌジャベスさんを取り上げていて驚きました。この偶然に感謝します。私にとってはすごいことです。

生前は、絶対に人前に顔を見せないと宣言していた人だったので、番組を通してこんな人だったのかと知ることができて、それは嬉しかったです。しかし、この後に、36歳です亡くなっているということが短時間テロップで流れます。でも、司会者も解説者も、そのことには一切触れません。かっこよすぎます。私が死んだ後にも、同じようにして私の死には一切触れずに、私の無数の作品を後世に残してほしいです。

余計な絵が着いてしまっていますが、ヌジャベスが描いたと言われている絵画を久しぶりに見ることができました。この絵、すごいと思うのです。トリミングした絵も載せますが、私が一番皆さんに見ていただきたい部分が隠れてしまうので悔しいです。このスクショには、その部分がしっかりと入っています。次の画像と比べてみてくださいね。

昨年も今年も、私の音楽人生の礎となった多くの音楽家たちが、残念ながらこの世を去りました。日本国内でも、そして海外でも、死去の報道に触れる度に哀愁を覚えます。きっと、情報が無いだけで、もっと多くの方がお亡くなりになっているのでしょう。そういった年回りであると言われればそれで終わりですが、私自身の体調悪化に悩まされている今は、死生観と共に様々なことを考えてしまうことも事実です。