母の世話は、大変ではあるが認知症になった後はこちらにお任せという感じで、しかも思い出したかのように明るくにこやかに接してくることもたまにはあるので、大変ではあるがそれほど苦痛と感じることはない。突拍子もないことをして私達を困らせることはあるが、何もわかっていないだけだからと許せてしまう。
その母の世話を、自分自身がほとんど全てしていると勘違いしている父の場合は、母と同じく要介護認定をされるほどの認知能力しかないのに、謙虚さもなく言動がきついので苦労している。具体的なことはここでは書かないが、今晩も彼の言うことや振る舞いで傷ついた。いつものことであるが、体調が優れない私としては、心理的な苦労もまさに「心臓に悪い」という一言に尽きる。
母と同じく、父も何もわかっていないだけなのだが、どうしてこれほど母に対してと父に対しての私の感情は違うのだろう。謙虚さとか、愛嬌とか、そういった感覚的なところ、本来は無駄だと切り捨てられていたようなことも、介護においては大切なのかもしれない。もちろん、私は最期まで両親を大切にしていくが、その後に訪れる私自身の老後においては、私自身に子供がいないということもあるので、多くの友人・知人に愛されるような人になっていたい。そもそも、長く生きていられるかどうかもわからないのだが。

最近よく質問される、軽トラの屋根はその後どうなった問題の画像。修理業者は、剥がれ落ちた内張はそのまま使い、中のスポンジ?のようなものをホームセンターで自分で買って貼りつけたとのこと。そこまでやってくれて、率直にありがたいと感じている。