八千代高校の皆さんによる和太鼓芸能集団「鼓組」の初日演奏会に、今年も行ってきました。長年ずっと、応援し続けています。
早朝から職場で休日仕事をし、実家にも何度か顔を出してやるべきことをやり、その足で行ってきました。
昨年はいろいろと感動しましたが、今年は少し違和感を覚えたところもありました。誤解をしないでほしいのですが、演奏自体は例年通りとてもよく、感動していましたよ。客席の反応もよく、さすが大人気の高校生たちです。
その人気の理由を自分なりに分析したくなり、このブログの過去記事を探しました。皆さんも、もし興味があれば、昨年の6月19日付の記事を読んでみてください。なぜ鼓組の演奏がすばらしいのかについての分析が、我ながら理論的にわかりやすく書けていました。昨年も、ちょうど仕事が大変な時期だったのだなということも思い出され、自分の記事を読んで苦笑いしてしまいました。
今年は、少々演出面に関する疑問を感じました。様々な考え方があり、その代その代で工夫してくれたらそれでよいことは承知していていますが、私自身は長年彼らの演奏を聴き続けている者として、初めて違和感を覚えたのです。
曲には、その曲が存在する理由があります。作曲をした人々の思いがあります。和太鼓系の演奏の場合には、歴史的な価値を伝承していくという意味合いもあります。パンフレットを見ればそれぞれの曲についてしっかりと解説されていて、その曲がもっている背景を知ることができるのですが、今回のステージにおいては、草花の栄華盛衰をテーマにした演劇なのか朗読なのか、よく理解しがたい演出がされていました。「いのち」をテーマにするなら、実際の演奏だけでも十分にその息吹を感じ取ることができます。
芸能集団、と謳っていますから、朗読や演劇に傾斜したとしても別に構いませんが、芸能の意味をはき違えているのではないでしょうか。
鼓組の演奏が、設定されたストーリーに対するBGMであるかのような演出には、長年のファンを自認する私自身は納得することはできません。何度も首をひねってしまいました。なぜ、真っ赤な花が咲きましたとナレーションをしてからの次の演奏がみ神楽の舞いなのでしょうか。着ている服が赤いからですか。み神楽の女性の舞いの真実の悲しい意味を知っているのですか。
更になぜ、花びらが落ちるところが伝統曲の八丈なのか、理解できません。落ち武者の切ない気持ちを、長年の伝承演奏で引き継いできた伝統曲への冒涜ではありませんか。花が枯れることと島流しをかけあわせたと説明されたら、私はもっと怒るかもしれません。
もしかしたら、今回のステージに関しては賛否両論が出てくるかもしれませんね。高校生相手だからと、思ったことを飲み込む人も多いかもしれません。でも、本当にいいものは賛否が別れるものだとよく言われますから、生徒の皆さんは自信をもって達成感を味わってほしいです。重ねて強調しますが、演奏そのものはとてもよかったです。言いたい人には言わせておけばいいのです。
厳しいことを書いてしまいそうだったので、アンケートも初めて出しませんでした。来年の鼓組には、心から期待しています。演奏をメインにしたシンプルな演出がいいですね。
※この記事をきっかけとして、新カテゴリー「鑑賞記・訪問記」をつくりました。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

ステージの様子は撮影できませんので、例年のように公演後のロビーの様子をどうぞ。
