「◯◯、俺、がんになっちゃったよ。」一緒に飲んでいる友人から突然、しかもしみじみと言われた言葉だ。◯◯には、私の名前が入る。

年に1度か2度、必ず会っている大学時代からの友人だ。私の歴代ブログにも、顔や姿と名前は出さないがその存在をほぼ毎年紹介してきた。昨年のGWにも、彼と一緒に飲んだ。彼は、東京都内で、今の私と同じ仕事をしている。
その彼は、今年の1月にがんであることが判明し、癒着して手術もできない状況であるため、放射線治療を行ったのだと言う。今は、自分のがんの顔に合った薬をさがしているところだとも言う。転移は今のところないようだが、骨への転移が一番怖いと言う。その他、いろいろと話しをしてくれた。
これまでも、音楽仲間の友人からも、同じようにがんであることを打ち明けられたことも何度もあるし、ご本人やご家族のご逝去も含めて実際に悲しい別れをした経験も多い。知人が増えれば確率的にそうなってくることは当たり前だということは理解しているが、何度言われても、何度経験しても心情的には辛い出来事である。しかし、隠さずに言ってくれるということに感謝したい。私は私のようにしか人を勇気づけることしかできないが、私は何があっても変わらないということを示すことが一番の励ましだと考えている。
また、私には直接話がされなくても、知人を通して私の旧知の仲間ががんになって辛い思いをしているという話を聞くこともある。最近も、昔からずっと一緒に音楽をしていた某知人ががんになり闘病していると、身近な人からの情報で知った。
後半連休の初日である5月3日、私はやむを得ない事情により休日出勤をしていたが、その最中に「今日飲もう」と突然の連絡が入った。実は、4月27日にメールがあり、そのときは今年のGWはいつ飲もうか的な明るい感じだった。しかし、私の方に余裕がなく、とりあえず後半のどこかでと軽く返事をしただけだった。その後仕事でいろいろとあって、このことは頭から抜けてしまい、連絡をしていなかったら再び連絡があったということ。その短い文面に、私は何か嫌な予感を覚えた。
17時に、彼の家に近い駅の居酒屋で飲もうと言う。いつもは、それぞれの家の中間点の駅で待ち合わせをするのに、珍しいなとは思ったが、その時間からならば、彼と飲み終わった後に、もともと行くつもりだったロッキーさんの「ど・フォークの日」のセッションにも遅れて行けるだろうと考えて、よし呑もう!と返信をした。
年末の飲みの誘いは断ってしまったので、約1年ぶりの再開となった。かなり痩せたとは感じたが、飲みっぷりや食べっぷりはそんなに変化がないように感じた。私の嫌な予感は、完全に外れたかのようだった。いつものように、仕事の話やプライベートの話、そして昔話などをし、例年と変わらない時間が過ぎていった。
ふと長めの沈黙の時間があった。突然「◯◯、俺、がんになっちゃったよ。」と彼は言った。私は、きっと一瞬大きく目を開いて、彼をじっと見たに違いない。何も言えずに、しばらくは沈黙の時間が流れていった。
その後の彼は、経緯や自身の状況など、淡々と語り続けた。私は耳を傾け、頷くことしかできず、「とにかく、命あってのモノダネだから、命のためにできることを確実にやってほしい。」と伝えるのが精一杯の言葉だった。
その店を出る際に、彼が私に言った一言も心に残った。「◯◯、急に痩せ始めたら、とにかくすぐに検査したほうがいいよ。」
私は、それじゃあまた、と手を挙げて自宅方面に歩いて帰っていく彼の痩せた後ろ姿をしばらく見続けてから、大きく息を吐いてから駅に向かって歩き始めた。