昨夜の宴は楽しかったが、現実逃避をしていただけだったのかもしれない。楽しく飲んでいる最中にも仕事トラブル対応についての電話が何回も入り、雄二さんと未由子さんにご迷惑をかけてしまった。その電話の際には、現実に引き戻されてしまった。それでも、席に戻ればお二人の優しい笑顔がそこにあり、心が癒された。現実が厳しいからこそ、私には癒しの時間が必要であることは明らかだ。

土曜日の朝に目覚めて、数々の重い現実に心が打ちのめされていることに気がついた。仕事の大きなトラブルを複数抱えているので、その対応をどうするかについて常に考えているような状況になっている。このままでは、メンタルは崩壊するだろうな。胃が激しく痛んだのも久しぶりのことだった。
だからこそ、仲間との飲み会や音楽活動を強引にでも自分の生活の中に当てはめて行くことが大切なのだろうと感じている。
閑話休題。ここからは、介護についての記録となる。
今日の午前中は、両親をそれぞれ別の病院に定期通院と薬をもらうために連れていく日だったのだが、いろいろと手順がうまく行かずに、それも私の心が折れる理由のひとつとなった。その他、いろいろとありすぎて、疲弊はしているかな。でも大丈夫。両親の介護とは誠に難しいことである。
朝、約束した時間に迎えに行ったら、まだ起きていなくて、そこから出発まで1時間以上を要した。父は最初はわがままを言い、自分は病院には行かん、行く必要がないと怒る。車に乗るのだからオムツパンツをはくように行ったら、それも自分には必要がないと怒る。歩く時に杖を持たせようとしたら、これはあと2年後から使い始めると決めているからいらんと怒る。彼は、88歳になったら杖を使うと決めているのだそうだ。その場で思いついて言っただけだろうとすぐにわかった。
私の車に、彼はゆっくりとやっとのことで乗り込んだが、突然、車はいつ変えたんだと言われた。あなたはもう何度もこの車に乗ってますよ、と伝えると、ふむ、と黙り込んでしまう。覚えていないのだ。
車に乗っていると、突然ここで止まれと言う。車の流れに乗って走っていたので、少し減速しただけで、止まらずにごまかしてしまったが、仕方がない。
彼は車中から、自分が仕事をやめた頃は、ここが全部田んぼだったんだよ、などと言い始めるが、私の子供の頃から住宅地だったところなので、明らかに間違いだ。でも、これは否定をせずに聞き流す。彼がそう思っているならそれでよいし、他の人に迷惑をかけてくれなければ、それでよい。
しかし、彼は短歌の世界からなかなか引退することができず、多くの人に迷惑をかけている。自分自身が辞めると言えばそれで済むのに、彼はそうしない。我々家族と約束したことを忘れてしまうのか、いろんなことを安易に引き受けてしまう。関係者には私達子供を通してほしいとお願いしてあるが、私達が断っても、どこかで親族のいない間に本人に直接連絡を取っていて、本人の承諾を得ているのだからと言ってくる。これも詐欺のひとつなのではないかと、気持ちが暗くなる。物の売り買いなど金銭が絡んだことだったら大変なことになるが、他にも私達親族が知らないことがあり、彼の死後にいろいろと問題が発生するのではないかと考えると今から心配だ。
とりあえずは、GWの最終日、5月6日の明治神宮の何かの短歌イベント?に参加するようなので、誰かが父を連れていかなくてはならない。1日作業である。その場合には、家に残される母をずっと見ている人も必要になる。
これも、今の父には無理であると明確に断ったはずなのに、お父様ご本人が出るといっていますのでお願いします、ということになってしまった。昨年も一昨年も、父は確かに今回で終わりにするつもりだと言った。今回もそう言っている。主催者にもそう伝えている。しかし、また同じことの繰り返しだ。
家族の悩みは、まだしばらく続きそうだ。GW中の役割分担をどうするのか、一人に押し付けるわけにもいかないので、話合いが必要だ。それもストレスである。
そうだ、こんな気分のときは、完全メシのランチパックを食べるに限る!なんでだ?成分表も添付しておこう。