私は、様々な症状に苦しみつつもスタジオまんぼうbaseで療養をしているが、この私が自分のブログでコロナ日記を書くことになるとは思いもよらなかった。
コロナ感染の辛さや大変さは感染した人にしかわからないということはよく言われることではあるが、確かに、こういうことだったんだなと改めて実感した。私は、コロナ禍の最中からも、常に感染してしまった知人や職員の心に寄り添った対応をしてきたつもりだったが、経験があるのとないのとでは、やはり微妙に何かが違うのかもしれず、このことは、自然災害等も含めたあらゆることに当てはまるのかもしれない。
しかし、自分には被害経験がないから当事者の気持ちがわからないのではないかとか思い込んで悲観する必要はない。戦争被害、自然災害の被災、犯罪被害、病気体験、事故の被害、その他様々な苦難が多くの人々を襲っているが、そういった経験をする人がこの世からいなくなることが理想であり、それが難しくてもその数や割合を減らしていきたいと思うことが普通である。自身は経験したことがなくても、人の苦しみを自分のことのように思うことができることが、優しさなのである。優しいという漢字は、「人」を「憂う」と書く。
まだ新型コロナウイルスに感染していない方は、どうか感染しないままでいてほしい。
さて、そんな私だが、最新特効薬のおかげか、重症化しなくて済んでいるようだが、まだ油断はできない。味覚障害と嗅覚障害は、今のところ現れていない。
これだけ連続して長時間、スタジオまんぼうbaseにずっといるのは久しぶりのことだ。何だか倉庫に押し込められているような感覚にもなってきたので、重くて動きの遅い体とだるい気持ちを奮い立たせて、少しでも過ごしやすい場所にしようと考えた。思い付いたことの中で、できることだけをやればいいだろうということだ。
コロナという判定が出たその日の夜は、ものすごく体調も悪く、いつものようにソファで就寝した。そのままで問題はないのだが、ネット情報によると、私の症状が軽快した後には使用したシーツや毛布カバーを洗濯またはクリーニングに出すとあったので、ソファではそれができないことに気付き、私専用の布団にシーツやカバーをかけてスタジオの床にひいて寝ることにした。
そうしたら、マットレスが無いからだろうが、尾てい骨が痛くなってしまい、あまり眠れなかった。他にはもう布団はないので、重ねることもできない。この問題をどうするかはこれから考えるが、もう一つ大きな問題が発生した。ソファの場所では何の問題もないが、布団をピアノの前にひくと、エアコンの風が直撃することになる。さらに、その風はピアノにこびりついている埃も巻き上げてしまい、私に降り注ぐのである。風の直撃は、寝る際にタイマーにしてエアコンを切ればいいが、埃については、エアコンを切った後に時間をかけて、舞っていた埃が徐々に私に降り注いでくるという塩梅で、昔から埃アレルギー持ちである私にとっては、症状も伴う辛い状況となってしまったのだ。
コロナの症状とアレルギー症状のダブルの苦痛の中、私は一大決心をした。ピアノの埃を全て、時間をかけてふき取ったのだ。
そんなの簡単だろうと思うかもしれないが、感染中の私にとっては重大なことだ。上部に積もっていた埃もそうだが、実はこのピアノはコロナ禍になってから全く使っておらず、約5年間このままになっている。汚れを隠すために、ピアノの蓋の上にはクッション等を置いてごまかし、完全にもったいない状態となっていた。その理由は、ピアノを弾く機会が全く無くなったことと、調律等のメンテナンスもできないためである。
埃というよりは汚れというのがふさわしいような、こびりついた長年の垢を落とすことは、大変な作業だった。拭けば埃は泥となり、何度拭いても汚れの痕が残り、きれいにならなかった。私は、それでもあきらめずに、掃除を続けた。
久しぶりに蓋を開けたら、蓋の裏側も鍵盤も汚かった。5年ぶりとはこういうことかと妙に納得。鍵盤を拭いているときに、それに伴う音は出たが、音楽的要素を伴う音を出す気にはならなかった。
何とか、添付した画像の程度まではきれいにしたが、恥ずかしいので、照明を少し暗くしてごまかしている(笑)。
いずれ、ピアノ用ポリッシャーでも購入して、徹底的に磨こうと考えている。そして、5年前までは毎年お願いしていた調律師さんに再びお願いをし、ピアノの使用も復活させたい。
それまでは、再び冬眠に入ってもらうこととしよう。そこで、2枚目の画像のようなことになった。逆戻りであるが、いい景色だ。
(注)画像の中にある、アナログパタパタ時計(デジタル時計に見えるがデジタルではない珍品)は、ディスプレイ用で動いていないため実際の時刻を表示していません。

