お世話になった方の通夜に行ってきた。享年72歳。今の時代では、若すぎる死と言わざるを得ない。
ものすごく悲しかったが、その理由を自己分析してみた。つまり私は、これが自分だったら、ということに思いを馳せてしまうのである。彼は2年前に階段から落ちて頸椎損傷、全身が動かないという状況になったとのこと。私だったら、二度と楽器が演奏できないという現実に触れ、涙が止まらないだろう。親しい方がお見舞いに来た際には、もっとつらくなるかもしれない。面会謝絶だ。全身が動かないのだから、自殺もできない。
更に、この葬儀が自分のそれだったらとも考えてしまう。死んでしまえば、自分が葬儀でどのように扱われているかなんてわかりもしない。今回は、カントリーソング好きの彼のために、生演奏のBGMは、全てカントリーだったが、何だか違和感があった。私が死んだ歳に、葬儀の中でフュージョン好きの私のために、生演奏の奏者が譜面を見ながらたどたどしく演奏するという場面は想像したくない。遺言には、私の葬儀では音楽を一切流すなと書いていくことにしよう。そもそも、フュージョン曲には葬儀に合う曲などないのだから。
新しい発見もあった。今回の葬儀において、通夜が終わったあとで棺の近くに料理が持ち込まれ、形式的ではあるが故人と一緒に食事をするというような場が設定されたのだ。レストランの店主だった故人の業績を称えるためか、ジュージューと音を立てている本物のステーキも、通夜の会場に登場した。その様子を、参列者も最初のうちは不思議そうに見ていたが、最後には皆そこに集い、故人の口に料理や飲み物が運ばれる様子を取り囲んで見ていたのだった。
久しぶりに、カントリーバンドの皆さんとも再会した。トム武井さんは、私の父と同じ86歳でありながら、とてもお元気で、かくしゃくとしておられた、我が父との違いに愕然とし、悲しくもなったが、くじけてはいられない。
死を覚悟していたというご遺族の、あいさつの文章にも感動した。突然死ではないからできたことと言われればそれまでだが、思いがこもった手作りの言葉がすばらしかった。葬儀会社の形式的な文とは全く違い、あたたかかった。私は、自身の葬儀の際に遺族が読み上げたり印刷したりする挨拶文を、自分の手で作っておくつもりである、それを妻に託しておき、時間が私の命を奪うまで頑張って生きていく。





