私のささやかな夢、定年退職後に建設したいと願っている「スタジオまんぼうホール」にログハウスはどうかと、突然思いつきました。

本物の木じゃなくてもいい、なんちゃってウッドでもいい、やむを得ず、田舎?に建設することになったら、こんなのもありだなと。
大昔のことですが、私の大学時代に合宿等でよく利用した、山梨県山中湖近くにある「サウン◯・ヴィレッジ」が全棟ログでした。こちらは私が大学生になってからオープンした、当時としては斬新だった合宿スタジオ&ライブスペースで、私が通う大学の先輩卒業生が経営者だったこともあって、在学中には大変お世話になりました。こちらの施設は現在も現在で、人気があるとのこと。なので、検索ヒットを避けるためマスク文字にしてあります。
ここからの記事は、私の数少ない知人友人の中でも、それこそ数人にしか知られていない思い出です。あまり思い出したくないので、ずっと封印していました。今回も、全ての記憶を解禁したわけではありませんので、悪しからず。
「◯ウンド・ヴィレッジ」とは、就職してからもしばらくは関わりがありました。何回か(どころか、かなりの回数だったかも?)内々に呼び出し?があって、休日を中心に車で駆けつけてはトラの演奏やレコーディングもしました。月曜の早朝に山中湖から千葉に戻って、遅刻して出勤したこともあります。また、都内での活動のきっかけもいただき、平日の夜も含めてとても忙しくしていた記憶があります。リアル・プロの皆様との交流があったことも、よい刺激となりました。
また、仕事として所属事務所が請け負ったPAを託されたことも、何度かありました。こうして当時を振り返ってみると、私は大学4年生から就職1年目までに数多くのことを経験し、単なる学生生活では知る由もないことを学びました。特に大学3〜4年生の時は、活動が濃密でしたね。学生の仲間たちとは違う人脈があり、密かにあちらこちらに出没していたという感じです。
シークレットが条件とは言われましたが、あっちの?世界の人達ともたくさん知り合うことができ、幸せな時代でした。自分はもしかしたらそちらの業界に入るのかもしれないと勘違いしていたような気がします。
まさに、若気の至りですね。仕事に就いてからも、それらの関わりを急に精算することができずに、依頼されるとずるずると出かけていくということが続きました。
こんなことでは、本業に身が入るわけもありません。就職2年目には実際に仕事も追い詰められてきて、音楽活動どころじゃないからといろいろと断っていたら、そのうちにパタリと連絡が来なくなりました。その時代には、携帯も、もちろんスマホもなかったので、自宅電話の留守電メッセージを聞いて、私がすぐにかけ直すという流れが普通でした。そういったところも段々とルーズになっていき、連絡をいただいていたのに何日か経ってからやっと折り返し電話をして、仕事の多忙を理由に断るということが続きました。だから、自然と関わりを切られたのだと、今では思っています。相手からしたら当然のことですね。
私が本気で今の本業?に取り組むようになったのは、就職3年目からです。どちら側に対しても、残念ながら(笑)最初の2年間に仕事で私と出会った皆様には申し訳なかったと、今でも反省しているのです。中途半端は、やはりいけませんね。
閑話休題。ログハウス・スタイルのスタジオまんぼうホールを建設すると、私にとっては自分の青春時代の思い出がストレートに思い出されることになるのでしょうが、この善し悪しはどんなもんなんでしょうね。まんぼうは海の生き物なのに、なんで山なの(笑)と言われそう。デザイン自体は多くの人に支持はされるでしょうが、都会や駅の近くには作りづらいので、やはり郊外(田舎?)に建設した場合の選択肢のひとつになるということですね。
私の希望通りにうまくいって駅の近くに建設できた場合には、煉瓦(れんが)建築物風にするのもよいかもしれません。あ、これもまんぼうとは全く関係ないデザインになるのではないかと思われそうですが、煉瓦の色を変えてまんぼうの巨大イラストが現れるというのもよいかもしれませんね。駅から歩いて行くと、壁にさり気なく浮かび上がるまんぼう柄のデザインが目に入ってくる、なんでかっこいいことを考えてしまいました。
〈今回の収穫〉
・ホールを建設する場所によって、デザインや素材を検討する必要がある。
・思い出を建築物の設計に反映させてもノスタルジーに浸るのは自分だけで、他の人は誰もわからない(笑)そりゃそうだよね。