再び、Nコンの役員を務めてきた。小学校の部の本選だが、応募総数が少なくて予選がなかったため、本選のみの一発勝負。予選なしで本戦だけで県で12校というのも、昔の盛況を知っている身としては寂しい。参加することに意義がある、というような学校には敷居の高いイベントになってしまったこと、そして、コロナ禍において一気に合唱部の数が減ってしまい、再開できていないことなどが要因として考えられる。

ところで、本来の私は、コンテストやコンペティション等という、比較や順番が伴う音楽活動は好きではない。演奏や歌唱にはそれぞれの個性があってよいし、音を楽しむためには、勝った負けたということに執着してしまうのはよくないはずだ。私自身の音楽活動においては、どちらが上手かとか、そういった基準をもって人と接したことはない。楽しむために上達したい、という感覚には共感できるが。
今回の小学生の皆さんは、どの学校もその学校なり素晴らしかった。ただ、明らかに小学生離れしていてすごく上手だという学校がひとつあり、予想通りその学校だけが金賞となって本選に進むこととなった。その発表から小学生らしさは全く感じられず、高校生レベルではないかとも感じたほどだが、やはり選ばれてしまうのだな。彼らは、何を犠牲にしてここまで自らを高めることができたのか。指導者も同様だ。通常の教職を続けながらここまでのことができるものなのか、それとも何らかの特権でもあるのだろうか。
しかし、時には、他に勝ちたいということが大きなモチベーションにつながることもある。
また、金賞に選ばれなかった子供たちにとっては、自分の思い通りにならないこともあるのだという、いい勉強になったはずだ。勝敗が伴うスポーツと同じ教育効果が期待できる。
ところで、教育においてはスポーツばかりに注目が集まりがちだが、教育には文化的活動も必要である。
様々な要因が重なって、教育界における音楽という名の文化活動は危機に瀕している。
教師が、文化的音楽活動をやりたくてもバックアップが得られずにできない等、どうしようもないやむを得ない事情や、教育界を取り巻く働き方改革等の特殊な状況によって、小学校における文化的音楽活動が停滞している。最初にカットされやすいのが、文化的活動なのだ。これは習い事の世界でも同じことで、例えば学習塾と音楽教室とスポーツのチームを掛け持ちしていると仮定して、事情によりどれかを辞めなくてはならなくなったときに、真っ先に切られてしまうのが音楽なのである。
そんな中、今回の役員参加はとても有意義なことだった。前回の中学校予選では統括というようなまとめ役の神輿にされてしまったが、反発して下働きとして勝手にスタッフとして働いた。そうしたら、今回は統括を外れて最初から役割が付けられていた。よかったよかった。